ラグビー ラグビー日本代表 「ラグビーは大好き。でもラグビー界は好きじゃない」畠山健介はなぜ軋轢を恐れず発言してきたのか…今後は“スクラムの調律師”に?
![「ラグビーは大好き。でもラグビー界は好きじゃない」畠山健介はなぜ軋轢を恐れず発言してきたのか…今後は“スクラムの調律師”に?(生島淳)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4e546d55b923643f2ba3ae65075af288e3391036/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F5%2F1%2F-%2Fimg_511058e1116819fa2c0d14cf8ac2e24391022.jpg)
昨季、V2男子で初優勝を遂げたヴォレアス北海道。積極的な仕掛けが功を奏し、ホームゲームには多くのファンが駆けつける 暦は6月。早いもので1年も半分が過ぎようとしている。 バレーボール界に目を向ければ、パリ五輪へ向け男女日本代表が始動。ネーションズリーグが始まり、国内でもVリーグの各チームが新体制でスタートを迎えた。引退選手やチームを離れる監督、1人1人に思いを馳せればきりがない。だが昨季の国内シーズンを振り返るうえで、大きなトピックが1つ。昨年12月に発表されたV1男子、FC東京の活動休止だ。 当初は突然の決定を「受け止められずにいる」と動揺を露わにした選手たちも、「今一生懸命取り組むことがこれからにつながる」と、その後の天皇杯、リーグを戦い抜き、4月にはネイチャーラボへの全体譲渡が正式発表された。 結果的に「東京」からチームは消滅することなく、5月28日には感謝の集いを開催し、活動最終日
相手の良さを消すため、リスクを抑えるために、引いて守るとかロングボールを使うといったことは、フロンターレもジェフもやらないんです。下がらずに撃ち合う。自分たちの良さをぶつけ合う。試合中はとにかく大変なんだけど、自分のなかではどの試合も名勝負になっていたと思います。 対戦相手を悩ませ、自分たちは躍動するサッカーをジェフで作り上げたオシムさんが、日本代表の監督になる。いったいどんなチームになるんだろうと思っていたら、いきなり驚かされました。 「オシムさんの目はこっちに向いているんだ」 自身の初陣となる2006年8月9日のトリニダード・トバゴ戦に向けて、オシムさんは18人の選手を選んだ。ジーコが率いたドイツW杯のメンバーは川口能活、三都主アレサンドロ、坪井慶介、駒野友一の4人だけで、黄金世代の中核を担う選手はひとりもいない。その代わりに、Jリーグで頭角を現わしてきたアテネ五輪世代──中村氏の世代
夢を叶えたからといって、人生は終わらない。“阪神フィーバー”を牽引した1992年の大活躍から一転、仲田幸司は翌年から下降線を辿る。FA権を取得した95年オフには「こんなものは紙切れと同じや」と球団代表に切り捨てられ、ロッテへ移籍するも再起は叶わなかった。 2年で解雇された仲田は古巣へ戻ろうと入団テストを受験し、2日目に“内定”をもらうが……。引退後に“死亡説”が流れ、現在は毎朝5時起きで工事現場監督として働くマイク仲田の波乱の人生に迫る――。(全3回の3回目/#1、#2へ)。※敬称略、名前や名称は当時 ◆◆◆ あの一言は、今も鮮明に焼き付いている。 97年10月、阪神の入団テストにはかつて輝きを放った投手が集まっていた。日本ハムで3年連続開幕投手を務めた津野浩志、中日でセットアッパーとして煌いた上原晃、甲子園の優勝投手である南竜次……その数は10名近くに上った。野手のなかには、かつて阪神で
スピードスケート界に衝撃的なニュースが流れた。 3月1日、日本電産サンキョースケート部が3月31日をもって廃部となることが発表されたのだ。 「近年強いリーダーの不足に加えて、ここ数年スケート選手を目指す若者も減り、そのレベルも落ちてきたことから、企業がスピードスケート競技の発展に貢献するという当初の目的についての展望が持てないと判断し」、廃部を決定したという。平昌五輪で2つの金メダル、北京でも団体追い抜きで銀メダルを獲得した高木菜那ら8名の選手が現在も在籍していることや、何よりもスピードスケート界屈指の名門が消えることに「まさか」という驚きの声が上がっている。 清水宏保らトップ選手を輩出してきた名門 もとの社名は三協精機で、1957年にスケート部が正式に発足した。現在の社名を冠した「日本電産サンキョースケート部」になったのは2005年だ。 1960年のスコーバレー五輪に3選手が出場したのを
廃部の可能性を報じられた宗像サニックスブルース。昨季限りで廃部したコカ・コーラレッドスパークスに続き、またしても九州のチームが岐路に立たされた 冷たい風が吹き付ける中で、80分の試合は行われた。 2月20日、北九州市の本城競技場で行われたラグビーリーグワン・ディビジョン3の宗像サニックスブルース対クリタウォーターガッシュ昭島はタフな試合だった。 ブルースはみごとな試合をした。風上の前半は10-7と苦しんだが、不利なはずの風下に回った後半にチームのアイデンティティである攻撃ラグビーが爆発。元日本代表WTBカーン・ヘスケスの2連続トライなど4トライをたたみかけ、今季最多となる5トライ37点を奪う大勝を飾ったのだ。 戦い終えたFB屋宜ベンジャミンレイ主将は、試合後のオンライン会見で言った。 「報道された通り、僕を含め選手はみなショックを受けました。でも応援してくれるファンのために最後まで乗り切ろ
昨年放送された『水曜日のダウンタウン』おぼん・こぼんTHE FINAL。ベテラン漫才コンビが解散宣言から、仲直りするまでのストーリーで“神回”とされる。 そして今回、1965年結成・57年目のおぼん・こぼん、1975年結成・47年目のオール阪神・巨人。東西を代表する漫才コンビの“超ビッグ座談会”が実現。『水ダウ』を見たという阪神・巨人のお2人から、「じつは私たちにも解散危機があった」という告白から話は進んでいく(全3回の1回目/#2、#3へ)。 こぼん「殴り合いですよ」 ――漫才コンビにおける相方って、いつ聞いても、たとえようがないんだな、と思います。友だち同士ではないし、夫婦関係に似ているようで、それも少し違う。かといって、ビジネスパートナーというほどドライでもないと思うんです。 おぼん 漫才コンビって、基本、仲悪いと思うねん。あれだけいつも一緒におったら。夫婦よりも、兄弟よりも、誰より
今季から名門のユニフォームに袖を通している板倉滉が、試合を支配するほどの活躍を見せているのをご存じだろうか。 板倉は、昨季までの2年半にわたって、マンチェスター・シティからレンタル移籍という形でオランダのフローニンゲンでプレーした。そんな彼が新たに期限付き移籍で加入したのが、シャルケ04だ。昨季はブンデスリーガ1部で最下位に沈み、31年ぶりに2部での戦いを強いられているドイツの名門だ。今季のシャルケは20試合を終え、自動昇格となる2位ザンクト・パウリと勝ち点3差、入れ替え戦に回る3位ブレーメンと勝ち点1差の4位につけている。 そんなチームにあって主に3バックの中央のリベロとして板倉は(2022年に入ってからの2試合では怪我人や出場停止の選手が出たためストッパーのポジションで出場)、異彩を放っている。ドイツの老舗『キッカー』誌はウインターブレイク中に、シーズン前半戦の各ポジションの選手のラン
Sports Graphic Number 太田兄弟によるニューイヤー駅伝“連続区間賞”、女子マラソン日本記録更新。快進撃を支えたシューズの驚くべき進化とは 和田悟志Satoshi Wada PR 2024/03/25 箱根駅伝PRESS 青学大“箱根連覇”に最大のライバル出現? 大阪マラソン&学生ハーフで優勝、下級生も大躍進…絶好調の國學院大 前田監督は「平林の5区もある」 和田悟志Satoshi Wada 駅伝 2024/03/14 オリンピックPRESS “世界屈指の高速コース”東京マラソンでパリ五輪代表選手が「でなかった」ナゼ…不安定なペースメーカー、世界選手権からの連戦、最大の理由は? 和田悟志Satoshi Wada マラソン 2024/03/04
ラグビー 大学ラグビー 《岩出監督と帝京ラグビー》脱・体育会、医療との連携…26年間で築いた10度の大学日本一と「人を残す」組織カルチャー
欧州から帰国しJリーグでプレーする選手が増えるにつれ、彼らの経験が言葉となり発信されるようになった。特に目立つのは、酒井高徳、長友佑都、すでに引退した内田篤人の発言だろうか。彼ら3人は偶然にもそろってサイドバックというポジションで、それぞれにドイツ、イタリア、フランス、そして日本代表で結果を出してきた選手たち。彼らが発信、発言する日本と欧州の違いは現実的で面白い。 彼らと同じサイドバックである酒井宏樹も日本に復帰し約半年。欧州と日本の違いを今どう感じているのか、言葉にしてもらいたいと思った。が、少々難航したと正直に明かしておきたいと思う。酒井は言葉を選びながら語ってくれた(全2回の2回目/#1から続く)。 ◆◆◆ 「何か見せなきゃいけないとかは全く思ってないですね」 あらためて言うまでもないが、酒井は現日本代表で、東京五輪のオーバーエイジにも選ばれた。現状日本のナンバーワン右サイドバックだ
20時を過ぎた体育館に、2年ぶりに響き渡るチャント。 12月12日、天皇杯バレーボール全日本選手権大会男子準々決勝・ウルフドッグス名古屋対FC東京。声の主は、FC東京のリザーブの選手たちだった。 コロナ禍では声を出しての応援はできず、ホームゲームでもサポーターたちはチャントを歌うことはできない。でも今だからこそ、自分たちが歌おう、とFC東京の選手たちは会場に一体感を生み出した。 結果はセットカウント1-3、ウルフドッグス名古屋が勝利を収めた。しかしFC東京は、スタンドからチャントに合わせて起こる手拍子に後押しもあって、劣勢から何度も盛り返した。 本職はアウトサイドヒッターながら、今大会からリベロに抜擢された谷口渉を中心に「食らいつく」という表現にふさわしい粘りのディフェンス。必死につないだロングラリーを制する渾身の一本など、6本のサービスエースを含む活躍を見せたFC東京の長友優磨は試合後、
「高い身体能力を持っている塩見(泰隆)が、ようやく1番打者に固定できるようになったし、オスナ、サンタナのふたりが4月のいい時期に合流できて、相手に圧力をかけられるようになった。それに、4番のムネ(村上宗隆)がよくボールを見極められる。外国人ふたり、それに村上といった中心打者が我慢強ければ、それはチーム全体にいい意味で伝染していく。得点力が上がったのは、地味にそのあたりも大きいんじゃないかな」 たしかに、日本シリーズひとつとってみても、6試合を戦って、ヤクルトは21個の四球を選んだのに対し、オリックスは15個。投手の制球力に起因するところもあるが、ヤクルトの打者はシーズンを通して“patient”=打席で粘り強さを発揮したことは間違いない。 巨人、阪神のダグアウトとは対照的だった 選手たちは、ある意味で「同期」していたように思う。 打線全体としてストライクとボールの見極めをしっかりと行い、フ
「シャー! いったるで織機! WAYSや!」 愛知県刈谷市のグラウンドに響く絶叫、スクラムを組む前はいつも笑顔、トライを誰よりも喜ぶ、合言葉は“WAYS”――『自分たちのスタイル(道)を貫け』。 豊田自動織機シャトルズ愛知のFL松岡大和はイメージ通りの熱い男だった。 天理大主将として日本一、卒業後はトップリーグ(現リーグワン)1部所属のチームへ進むも4カ月で退団、3部所属の豊田自動織機へと移籍した。「ラグビーめっちゃ好きだから」。その理由はあまりにもシンプル、彼らしい答えの出し方だった。 絶叫キャプテンが抱いた「違和感」 「めっちゃくちゃ、うれしいです」 大学選手権決勝、優勝インタビューで右ほほをつたう涙とともに喜びを爆発させる姿が『絶叫キャプテン』として注目を集めた。コロナ禍での苦難をのり越えて日本一、関西勢の優勝は36大会ぶり、次のステージでの活躍も期待された。
それでもW杯最終予選では4試合連続で先発中で、違いをもたらすような働きはできていない。このまま左サイドが「プロブレムゾーン」であり続けるなら、日本は最終予選でさらに苦しむだろう。 なぜ日本サッカー界から「第二の長友」が出てこないのか? かつてドイツのシュツットガルトやハンブルガーSVで主力として活躍し、日本代表で長友や内田とポジションを争った酒井高徳(現ヴィッセル神戸)に話を聞いた。 ◆◆◆ ――日本サッカー界から突出したサイドバックが減ってきていると思います。高徳選手は「ポスト長友」問題をどう見ていますか? 酒井 難しいテーマですね。きっとみんな、長友選手を凌駕するようなサイドバックがバンと出てきて『うわ、この選手に任せよう』というのを期待していると思うんですけど、そういう理想的な世代交代って世界的にもなかなかなくて。 現実的に言えば、これは起用する側の問題も関係しているのかなと。たとえ
長すぎる。区別がつかない。一貫性がない……。散々な評判である。トップリーグにかわり来年1月に開幕する「リーグワン」の各チーム名のことだ。10月4日に行われた日程発表会見。待ちに待った発表だが、日程表を見ても、肝心の対戦カードが全然頭に入って来ない。 チーム名になじみが薄いのはやむを得まい。Jリーグ誕生時も、最初は当惑の声も多かった。だが慣れるのに時間はかからなかったし、そこには理念があった。企業名を入れず、メディアは地域名で、ファンは愛称で呼ぶ。一部オーナーからは反発もあったが、そことの戦いでリーグの掲げる理念はむしろ広く周知された。 対してリーグワン。チーム名には「地域名は入れる。企業名は入れても可」とされたが、地域名に似て非なる会社の略称をそのまま入れているチームが複数あるのは解せない。 象徴は「トヨタヴェルブリッツ」。リーグワンの東海林専務理事は「トヨタも地域名という認識です」と話し
今年、創立100周年を迎えた日本サッカー協会は、2050年までに日本にワールドカップを再誘致し、優勝することを目標に掲げている。またJリーグは、2030年までに世界の5大リーグのひとつになることを目標としている。 日本のこれまでの歴史、とりわけJリーグが創設され、日本代表がアジアのトップとなったこの30年間を振りかえり、今後の10年、あるいは30年を予測したときに、ふたつの目標は達成可能といえるのか。 フィリップ・トルシエに話を聞いた。ベトナム(PVFアカデミーのディレクターとU19代表監督を兼任していた)からフランスに帰国し、懸案だった膝の手術が成功したばかりのトルシエは、術後も3週間の入院とさらなるリハビリを要するという。 手術の翌々日、電話でおこなったインタビューを前後2回に分けて掲載する。(全2回の1回目/#2はこちら) ――手術はどうでしたか? 「ああ、うまくいった。君は元気か?
TDのエドゥが「右サイドバックとして獲った」と公言していますし、アルテタも「彼は4バックのどこでもこなせるが、右サイドバックで違いをもたらす選手」と話しています。 アーセナルは今夏、右サイドバックのベジェリン(→レアル・べティス)を放出しましたし、他候補のセドリクやチェンバーズも評価は決して高くない。ですからレギュラーのつもりで獲ったのは間違いないと思います。 特にアルテタは右サイドバック選考にあたって、空中戦の強さ(高さ)を重視していて、それで188cmの冨安を熱望したようです。 また、アルテタは3バックと4バックを併用します。4バックの場合、左サイドバックにはティアニーというスコットランド代表選手がいて、豊富な運動量と鋭いクロスで、攻撃面で大きく期待できます。そのため右サイドにはより守備的な選手を置き、攻撃時には可変的に3バックに変更。センターバック2枚+右サイドバックの冨安選手がスラ
若年層の視聴率は伸びたとは言え、五輪は根本的に彼らの視聴傾向を変化させたとは言えない。それではどのような競技や視聴スタイルであれば、若者の食指は動き、関心は持続するのだろうか。 ニールセンデジタル株式会社のアナリスト、コヴァリョヴァ・ソフィヤ氏は若年層の好む観戦スタイルを次のように話す。 「今回の五輪直前に弊社が実施した調査では、15~34歳までの若年層が、『より自宅観戦を楽しむための手段』として最も多く挙げたのは『SNSで不特定多数の人とコミュニケーションを取りながら観戦する』でした。次点は『友達や知人とグループ通話などを使って観戦する』ですので、オンライン上のツールでコミュニケーションをしながら観戦したいという傾向が若年層は強いです」
外にはコロナ禍におびえて開催をあやぶむ多くの声。内では大会運営に関わる重要人物が相次いで離脱する混乱の数々……そんな逆風の中で行われた東京五輪だったが、騒動もどこ吹く風とばかりに日本選手団は史上最多のメダルを獲得し、その勇姿に大多数の国民は湧いた。特にスケートボードでは10代~20代前半の日本人選手が表彰台に立ち、新たなスターが誕生している。 もっとも、その華やかさの裏側で、興行イベントとしての五輪には危機感も漂う。それを象徴するのが、上記のスケートボードの他、BMXフリースタイル、スポーツクライミング、3人制バスケットボールなど、若者に人気の都市型スポーツ。今大会から正式に追加された種目だが、これは若者の「五輪離れ」を危惧したIOCによる肝いりの施策なのだ。
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