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architectureとeducationに関するuchiuchiyamaのブックマーク (6)

  • 情報理論を視覚的に理解する (1/4) : | POSTD

    世界を考察する新しい方法を手に入れたときの感覚が大好きです。特に好きなのは、いずれ具体的なコンセプトに形を変えるボンヤリとした考えがあるときです。情報理論は、その最たる例です。 情報理論は、多くの物事を説明するための正確な言葉を与えてくれます。自分はどのくらい理解できていないのか?質問Aの答えを知ることが、質問Bを答えるのにどのくらい役立つのか?ある種の信念が他の信念とどの程度似ているのか?こういうことに対し、若くて未熟なころから自分なりの考えがありましたが、情報理論に出会って正確で強固な考えとしてはっきりと固まりました。その考えは、桁外れの、例えばデータの圧縮から量子物理学や機械学習、さらにはその間に広がる数多くの分野に応用が利くものです。 残念なことに、情報理論は少々威嚇的に見えてしまうのですが、そう断定すべき根拠は全くないと思います。実際、情報理論の多くの重要な概念は完全に視覚的に説

    情報理論を視覚的に理解する (1/4) : | POSTD
  • 大学のレポート提出で一工夫したらコピペが皆無になったという話

    レポートを「特許同様に先願制とする。つまり意図せずとも類似内容だった場合後に提出された方を減点する」と呪文を唱えたら、コピペが皆無となった上に〆切よりだいぶ早く集まった — Masahiko Inami (@drinami) 2009, 12月 22 当方が学生時代もレポートの類や試験の筆記問題などは(持ち込みがOKな場合も多々あるので)、OBなどが持つ過去問を頼りにそのまま写したり、ほぼトレースする所業が多数行われていた。中には歴代の先輩たちが使いまわしする、伝説のレポートなんてのもあり、高値で取引されたってのも記憶にある。何度となくコピーされたせいで、文字が随分かすれていたり、ね。まぁ、問題を出す教授側も新しい問題の設定が面倒くさいのか、毎年同じものしか出さないのも一因なんだけど。 今ではインターネットが普及しているので大学生界隈では情報の共有ももっとスマートになってるんだろうけど、同

    大学のレポート提出で一工夫したらコピペが皆無になったという話
  • 学生に考えさせる授業

    矛盾の止揚の教育(福耳さん) 学生に、Aという仮説を教える。そして然る後に、Aと矛盾する仮説Bを提示する。そして教えるこちらからはAB間の矛盾は解決しない。学生自身に矛盾について悩ませる。 その結果、そうとうちゃんと考えてこそ、ABそれぞれをふまえて、両者を止揚した仮説Cに学生自身の手でたどりつく。それをしてこそ、当に自分の頭で考えて、自分の頭の中にその成果が残り、洞察力という力の存在を認識できる。 そういう講義をせんとあかん、と思ったのは、いまの学生、「決まった正解を教わるのが大学の講義」と勘違いしているからである。あーこどもっぽくっていや。そんなの、チャート式でも読んどいてくれ。 僕なんぞは、考え方ではなくって、他人が勝手に決めた正解を学んで、なにが面白いのかなんて思いますがねえ。 なかなかうまくいかないというか、結局のところ、学生が演技力を駆使するだけの結果となりそう。 というのは

  • 大野左紀子さんをコピペレポート問題から解放する(かもしれない)授業案

    レポートコピペ問題の問題(大野左紀子さん) しかしいろいろ参照したとしても、最終的には「自分で考えて意見をまとめる」という基的なことが教育できない、その重要性すら叩き込めないとしたら、単に教育者や教育システムの問題だけなのだろうか?という疑問は湧く。それは、「自分で考えて意見をまとめる」ことが当に大切なことだとは、世間では思われていないということの現れではないか。 自分で考えることが大切なのではなく、そこはショートカットして自分で考えたかのように振る舞えることが(処世術として)大切、というふうになっているのではないか。それどころか、もしそれが他人の意見だとしても、少なくとも自分よりは頭が良さそうな人の意見に右に倣えで、何が悪いのかと。世の中そんなものではないかと。自分の意見なんかいったいどこで求められるんだ‥‥。 いやいや、堂々と「学生に『考えさせる』なんてくだらない」といっている(下

  • 講座設計のイロハ

    1. 数年前、ふと気になって、夏休みの宿題について WWW にどのような情報があるのか、調べてみました。出てくるのはたいてい、宿題に取り組む人のための情報でした。 たまに親視点の情報もありましたが、基的に「宿題に取り組むのは子どもであって私じゃない」というスタンス。子どもが宿題をサボるのは自分が至らないからだ、と考える親はほとんどいないらしい。なるほど、「勉強しなさい」と他人事のようにいうばっかりなわけです。 私が「夏休みの宿題」という小文集を書いたのは、こうした状況への抗議でもありました。宿題は家族で取り組むもの、子どもだけに「やらせる」ものじゃない。だから、保護者は子ども以上に、宿題にきちんと取り組まねばならない。そんな主張が、検索上位にひとつくらい顔を出してもいいはず……。 今日、「夏休みの宿題」と検索してみると、宿題の指導がたいへんというお母さんの質問が上位に出ていました。私の解

  • 『コンピュータを使わない情報教育 アンプラグドコンピュータサイエンス』

    『コンピュータを使わない情報教育 アンプラグドコンピュータサイエンス』 監訳者:兼宗進 翻訳者:正田良、鎌田敏之、紅林秀治 翻訳協力者:西田知博、井戸坂幸男、保福やよい 追補執筆者:久野靖 ISBN978-4-904013-00-7 C3037 \1,500E 2007年9月1日第2刷 ★ご購入方法 ジュンク堂池袋店に常備しております。 JUNKUDO BOOK WEBからご購入できるようになりました。 ※お問い合わせ ご購入、仕入れに関してはkyutaro@urap.orgにメールでお問い合わせください。 原著者たちは普段、コンピュータアルゴリズムの専門家として数式に囲まれながら研究を進めているはずですが、このでは10年以上前に、ティム・ベル博士が当時小学生だったお嬢さんに教えたときの体験を元に書かれているため、とても楽しく、わかりやすい内容

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