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*religionに関するuchuuyarouのブックマーク (10)

  • 音楽と信仰

    ちょっと長い前置きがあります。 このブログで書いている文章の多くは、「信仰を内側から見る」試みを表したものです。正確には、「内側」と「外側」を貫通する試み、あるいは「内側」の見方をそのままに「外側」的に表現する試みです。少なくとも自分ではそのように意識しています。宗教や信仰以外についての文章も、「内側から見る」方法を意識して試みるようにしています1。 とりあえず信仰について言うなら、「信仰を外側から見る」言説というのは沢山あります。文化人類学的な視点であるとか、宗教活動を文化の一部であるようにみなしたりして観察することで、学問的なアプローチとも言えます。こうしたものに(娯楽や研究者の雇用創出という)重要性がないとは思いませんし、わたし自身も好きですが、それは信仰そのものとは全然関係がありません。 もちろん、(わたし自身を含めた)大抵の人間は非常に狭い興味の範囲しかもっていないもので、それ以

    音楽と信仰
  • 後藤寿庵先生の「ユダヤがらみ」の話をしよう

    漫画家の後藤寿庵(@juangotoh)先生が丑三つ時につぶやいていたものをまとめました。 教科書や難しいで勉強するのが苦手な人も140文字以内で収められたものなら楽しめるのではないかと思います。 今後聖書を読むとより味わい深いものになるかもしれないまとめです。

    後藤寿庵先生の「ユダヤがらみ」の話をしよう
  • まさかの極彩色!奈良の大仏は創建当時こんな色だった!!実物大の大仏半身像が大阪にお目見え : カラパイア

    4月放送のNHK古代史ドラマ「大仏開眼」のロケ撮影で使用された実物大の大仏半身像が12日、難波宮跡公園(大阪市中央区)にお目見えしたそうだ。 高さ・幅約9メートル、奥行き約4.5メートル、重さ約2トン。髪の毛?の色はヴィヴィットなブルー。顔にはおひげも生えている。史料を基に、聖武天皇が建設した奈良・東大寺の大仏を再現したという。

    まさかの極彩色!奈良の大仏は創建当時こんな色だった!!実物大の大仏半身像が大阪にお目見え : カラパイア
    uchuuyarou
    uchuuyarou 2010/03/13
    本物も塗り直したらいいのに。
  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • グノーシス主義の思想―"父"というフィクション - 情報考学 Passion For The Future

    ・グノーシス主義の思想―"父"というフィクション 若手研究者による意欲的なグノーシス主義研究書。 2世紀頃のキリスト教異端の一派であるグノーシス主義という思想は、反権威、反伝統の知のかたちとして、しばしば20世紀の思想家によって語られた。おかげで現代のSFやアニメにも広く影響を与えている。最近では、ファイナルファンタジー13は明らかにグノーシス主義の影響を受けている。"悪い創造主"が出てきたらまずグノーシスを疑えである。 グノーシス主義は二重構造が特徴だ。みんなが神様と崇めているのは偽物の劣った神(造物主)であり、当の至高神は天界の最上部にいる。人間は至高神の性質を受け継いでいるので、やがて叡智とともに神のもとへ帰昇することができると信じた。現体制は偽物で、物はきっとどこかにあるんだという反権威主義的な発想である。 グノーシスの神話は筋立ても含意もかなり難解であり、こうした研究書を通し

  • 史上最大にして、最もささやかな宗教とその帰結:何故我々は満員電車で無視し合うのか?

    「みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。 けれどもお互い他の神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう」 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』初期形第3稿より) 人が、自分の生まれた村や町で一生を終えていた時代には(想像もつかないほど昔のことじゃない。時間にすれば、人類の歴史のうちほとんどがそうだった)、接する人たちは皆顔見知りで、村や町みんなで同じ神様を祭ったり拝んだりしていた。 コミュニティの中や近くにある岩やらトーテムを、コミュニティのみんなで拝んでおけば、自然と一体感がうまれてうまくいった。 これが原始的な宗教のかたちだった。 そして同じ神様を祭ったり拝んだりする人たちが、要するに「仲間」だった。 ところが、多くの人間が互いに大きく移動し合い、一人の人間がいくつもの集団に所属したり、見も知らぬ人の集まりがあちこちにできたりする時代となると、「同じモノを拝む奴

    史上最大にして、最もささやかな宗教とその帰結:何故我々は満員電車で無視し合うのか?
    uchuuyarou
    uchuuyarou 2010/01/06
    電車内での通話を控えるマナーに合理的な根拠が考えられなくていつも腑に落ちないんだけど、これはマナーじゃなくて儀礼だから、ということか。
  • いわゆる教会用語について: 関口 康 日記

    「クリスチャン」と呼ぶべきか、それとも「キリスト者」と呼ぶべきかという議論は、私が学生だった二十年以上前にも繰り返し行われていたものです。記憶はかなり怪しくなってはいますが、その当時私のまわりで「クリスチャンではなくキリスト者と言うべきだ」と主張していた人々の多くは、旧日基督教会系の人々(いわゆる改革派・長老派の流れをくむ人々)だったと憶えています。 なぜ彼らがそういうことを言っていたのか、その理由までは憶えていませんが、クリスチャン(Christian)がともかく英語であることだけは確かなことですから、アングロサクソン的な背景を感じさせる言葉であることは間違いないわけで、「鬼畜米英」(不快語、すみません)とか言っていた世代の人々が、軍部から禁止されていたカタカナを使わずに「基督者」と書いていたころの“伝統”を重んじたい人々がそういうことを言っていたのではないだろうかと、今となっては思い

  • audioquraan.com

    uchuuyarou
    uchuuyarou 2009/10/29
    "Adhaan from around the world" 世界のアザーン
  • 『仏陀再誕』は弥勒(未来仏)とも無関係。楳図かずおは天才。 - ひじる日々

    菩薩は必ず出家して「成仏」する ついに公開された映画『仏陀再誕』ですが、「釈迦牟尼仏陀が再誕する」という主張があまりにも無理筋であることに気づいたらしい某教団は、最近、しきりに「再誕の仏陀は未来仏、つまり弥勒仏陀の下生である」ということをほのめかしています。 教団関係者が執筆していると思われる wikipedia 記事には唐突に、 過去七仏、仏陀再誕の言い伝えがある、インドのアジャンター村の石窟寺院の第17窟に、未来仏を含めた「八仏」が描かれている。 として、写真が貼り付けられています。写真の右端に王族の装束を着た未来仏が描かれていることを取り上げて、インドの仏教遺跡は「スーツを着た仏陀の出現を予言していた」と強調したいようです。でもこれは、仏教美術のイコノロジーへの無知から来た誤解に過ぎません。 未来仏として受記されているという弥勒(マイトレーヤ、メッティヤ)は、仏典によれば現在トゥシタ

    『仏陀再誕』は弥勒(未来仏)とも無関係。楳図かずおは天才。 - ひじる日々
  • 宗教紛争と「客体化された宗教」 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    いま大学院の授業で、関根康正さんの『宗教紛争と差別の人類学』(世界思想社、2006年)を講読しています。こののなかで、関根さんは、インドの今日の宗教紛争を招いているヒンドゥー・ナショナリズムとイスラーム主義双方の「コミュナリズム(宗教対立主義)」の台頭に対して、セキュラリズム(世俗主義)を擁護しようという論調があるけれども、コミュナリズム対セキュラリズムの構図では、宗教紛争を解決することも読み解くことはできないと言っています。 すなわち、特定宗教を普遍的価値として主張するコミュナリズムと、すべての宗教の価値評価を保留し私的領域に押し込めるセキュラリズムの対立は、見せかけのものであり、両者は、「宗教を対象化して眺められるような近代思考としての世俗化した社会認識を共有している」(41頁)と言います。 つまり、セキュラリズム(世俗主義)もコミュナリズム(宗教対立主義)も、宗教を「客体化」してい

    宗教紛争と「客体化された宗教」 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    uchuuyarou
    uchuuyarou 2009/10/13
    ヒンドゥーとイスラムを同じ「宗教」として並べるのことにそもそも無理がある、という話を思い出した。
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