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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/chaturanga (6)

  • チャトランガ夫人の恋人 - チャトラン村には寛容な人が多いのに ><

    ナショナリズムは、排外的な時ほど高揚する。はてなの村意識にも、これに似たようなものがあるんじゃないかなあ。特に「はてなブックマーク」が批判される場合の論争なんかを見ていて、ときどきそう思っていました。 ただ、こう自分で書いておいてなんですが、いま改めて思うに、はてな村の方々は、個人個人ではそんなに排他的ではないんじゃないか、と。むしろその逆で、何かにつけ、多様な価値観を認める寛容な人が多い。特に声の大きいコメンテーターは。やあやあ、我こそがもっとも寛容なるブロガーであるぞ、お前は狭量だな、と競い合っているように見えることさえ。そういう印象が私にはあります。それなのに村だ村だと言ったり言われたり、魔女狩りだなんだと排外的な風に思ったり思われたりもする。これはなぜなんだろう、と。 最近、ブクマ論や無断リンク禁止関連のエントリのために、閉鎖したり更新停止になったりするはてなダイアリーをいくつか立

    udy
    udy 2007/10/11
    はてな村の人々はとても寛容でした。ただ一点、「非寛容な人に対して」以外は。
  • アジテーションの修辞学 - スマイル・トレーニング・センター

    ネット時代の煽動技法 - レジデント初期研修用資料 北村弁護士やマイク・グラベルの演説を分析した上のエントリが刺激的だった。medtoolz氏は、次の4つを歴代と違う「ネット時代の煽動技法」としてあげる。 北村弁護士とマイク・グラベル候補。2人の優れた煽動者が、歴代と異なっているのは以下の部分。 ・負けるのが前提の議論を展開していること ・自らの立ち位置を明らかにすること ・自らの履歴を矛盾なく説明できること ・伝わりやすい議論でなく、分かりやすい議論を行ったこと ネット時代の煽動技法 - レジデント初期研修用資料 ただ、ここであげられた4つそれぞれは、従来からある技法だとも思う。単独でとりあげるとちょっともとの文脈からずれるところもあるけれど、自分の関心に引き付けて、それぞれ見ていきます。 1. 負けるのが前提の議論を展開していること これは「負けるが勝ち」とか、「敗北主義」と呼ばれるも

  • レッテルのインフレ ──もう右翼は右翼、左翼は左翼で良いのでは? - スマイル・トレーニング・センター

    今は昔、『左翼がサヨクになるとき』(磯田光一,1986)というがあったとさ。島田雅彦のデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』に刺激をうけて書かれた面白い評論。この時は、「左翼」が「サヨク」と表記されることに批評的意味があった。左翼が時流からずれ、従来もっていたアウラを失い、滑稽にすらなってきた様をあらわすのに、適切なレッテルの張り替えだったのだ。 その後、特に小林よしのりがこの「サヨク」表記を好んで多用し、一般にもひろく定着した。ネット時代になり、「右翼」も「ウヨク」になった。 ネットがいっそう普及して、レッテルの張り替えは加速する。「サヨク」は、「サヨ」になり、「ネットサヨク」になり、「ブサヨ」にもなった。「ウヨク」は、「ウヨ」になり、「ネットウヨ」になり、「特定ウヨク」にもなった。ついでに「保守」も、「ホシュ」になったりした。例えば、小林よしのりと渡部昇一の『愛国対論』(2002)

    udy
    udy 2007/09/28
    ハイパーインフレになってしまったのでデノミを実施しました、とのこと。
  • まったりするにも金がいる - スマイル・トレーニング・センター

    90年代後半、宮台真司の言葉は女子高生に届いていたのか、それに対して小林よしのりの言葉は誰に届いていたのか、というのは再検討に値するテーマだと思う。学者先生や院生さん - スマイル・トレーニング・センター 前回こう書きましたが、これはけっこう重要な問題と思っていて、このエントリでは90年代後半の宮台真司のことを思い出してみる。 荻上:95年に神戸の地震、オウム、エヴァンゲリオンブームなどもありましたが、やはり「95年以降」で雰囲気が変わったというイメージですか? 宮台:そう。でも、そう思うようになったのは時間が経ってからだよ。95年当時は、『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』(筑摩書房、1995)で書いたように、「オウム的なもの=男の子的なもの」を「ブルセラ的なもの=女の子的なもの」がほどなく凌駕すると予想していた。「オウム死してブルセラ残れり」が僕のイメージだった。時代は

  • 希望は、赤木智弘? - スマイル・トレーニング・センター

    希望は、戦争blog 〜「丸山眞男」をひっぱたきたい Returns〜「丸山眞男」をひっぱたきたいけっきょく、「自己責任」 ですか赤木智弘氏新刊のキャンペーンブログがはじまったようですね。『論座』に掲載された論考は、話題になっていたので大体の論旨は知っていたのですが、現物は今回初めて読みました。そして現物は、私が想像していたよりもずっと真摯で、刺激的な論考と思いました。同じ世代の人間として、特に旧態依然とした左翼批判を中心に、大いに共感する部分もありました。 ただ、しっくりこない部分もあります。 中で、一般に最も誤解を受けているのは「希望は、戦争。」というフレーズでしょう。しかし普通に読めば、赤木氏が、戦闘機大好きな軍事マニアだったり、人が苦しむのを見るのが好きな鬼畜野郎なんかでないことは明白です。むしろ真逆のタイプの方でしょう。「戦争」といっても、空想的な北朝鮮との核戦争とか、太平洋

    udy
    udy 2007/09/11
    「希望は負け戦」というのは的確。「焦土」?高層ビルもなにもない荒涼としているけど見晴らしのよい風景。みたいなものを彼は望んでいる気がする。
  • 憲法九条と九十六条に関する素朴な疑問 - スマイル・トレーニング・センター

    世は護憲だ改憲だ、またその言葉には飽き足らず加憲だ愛憲だ創憲だといろいろ言っています。私は『あほ拳ジャッキー』を愛読していました。あれはブルース・ソーとか斬新なキャラクターが出ていてすばらしい漫画ですので、ぜひプロダクションI.Gとかにアニメ化してほしいと今でも思っています。 それはさておき、私は昔から現日国憲法についてよくわからないことがあって、そのうちの一つをエントリします。法学の世界ではとっくに結論の出ているようなことかと思いますが、私はその世界に疎いので、ご存知の方に教示いただけたらと考え書いてみます。 まず、言わずと知れた憲法九条の条文はこういった内容。 第九条一、日国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は

    udy
    udy 2007/08/03
    おもしろ視点
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