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格差社会に関するug_idolのブックマーク (4)

  • 【秋葉原事件】↓ここで中年非モテ&不安定労働者が一言: ギネスに挑戦! 最強フラレンジャー

    私は、ネット上で非モテの仲間を一人、失いました。 秋葉原で17人を無差別に殺傷した、あの容疑者・加藤であります。 彼はケータイの掲示板サイトに「『友達できない』不細工に人権無し『彼女できない』」とかいうスレッドを立て、非モテのブルーズを綴っておりました。そこはケータイサイトということもあり、いわゆる過疎った場所らしく、容疑者の書き込みには、ほとんどレスが付かなかった模様です。なにしろ最後の凄まじい犯行直前実況報告さえ、完全スルーされてしまったくらいですから、容疑者の疎外感は容易に察せられます。 非正規雇用の現場は、コミュニケーションがありません。腹から笑うこともないどころか、正社員の「勝ち組」さんたちから文字通り白眼視されます。特に女子正社員の目は恐ろしい。 「こんにちは」、「お疲れさまです」などと笑顔で挨拶すると、無言で白い目を向け、にらんで来る。それが当に「白い」んですよ、目が。 「

    【秋葉原事件】↓ここで中年非モテ&不安定労働者が一言: ギネスに挑戦! 最強フラレンジャー
  • 「自分で何とかしなければ」そんな人ほど落ちていく~『反貧困』 湯浅誠著(評:澁川祐子):日経ビジネスオンライン

    「ネットカフェ難民」という言葉が初めて使われたのは、2007年1月に放映された「NNNドキュメント」(日テレビ)だった。たまたま深夜にこの番組を観た私は、暗澹たる気持ちを抱えたまま、布団にもぐりこんだことを鮮明に覚えている。 番組では、10代、20代の男女が昼は日雇い派遣で働き、夜はネットカフェの椅子で眠りながら、100円200円を必死で切り詰めて生活している姿が映し出されていた。ある18歳の女の子の手帳には、「強くなる」「責任感を持つ」の言葉の後に「夜ご飯べない」という文字が書かれていた。 どうしてそういう生活に陥ってしまったのか。誰も頼る人はいなかったのか。這い上がるチャンスはどこにもないのか──「夜ご飯べない」という言葉が放つ切実さに衝撃を受け、疑問が次から次へとわいた。以降気がつけば、私は貧困やワーキングプアを取り上げたドキュメンタリーをチェックするようになっていた。 この手

    「自分で何とかしなければ」そんな人ほど落ちていく~『反貧困』 湯浅誠著(評:澁川祐子):日経ビジネスオンライン
  • http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008050302008486.html

  • ワーキングプア1 - はてな匿名ダイアリー

    学生時代も含めると、足掛け5年くらいいたことになる。商業サブカルチャーの発信基地としておなじみの、と雑貨の店でバイト(結局のところずっとただのバイトだったのだ)していた僕は、貴重な時間をドブに捨てている実感もなく、気が遠くなる程の時間をそこで過ごしていた。 具体的な数字でいうと、僕の時給は600円台前半からスタートし、600円台後半までしかいけなかった。暗黙の了解として、各都道府県の最低賃金に設定されていることになっていたが、明らかにそれを下回っていることは明白だった。幸い、試用期間が終わると600円台半ばになったが、無論それも法律上アウトだった。合法である600円台後半にたどり着くまで3年近くかかり、そこがゴールだった。 単純計算で月200時間働いても額面13・4万という事実が重くのしかかる。そして200時間という労働時間はそこでは甘ちゃんであるということも。確かに、休みが週1日という

    ワーキングプア1 - はてな匿名ダイアリー
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