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  • 中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」の歌詞にみる10代の圧倒的リアリティ

    中村あゆみ最大のヒット曲「翼の折れたエンジェル」 1985年にリリース、中村あゆみ最大のヒット曲である「翼の折れたエンジェル」は、現在に至るまでレコード、CDの売り上げが50万枚以上。ストリーミングの再生回数は120万回以上になるという。これはもはや、昭和の名曲という括りで語るものではなく、昭和、平成、令和と聴き継がれる普遍的な名曲と言えるだろう。 この曲が聴き継がれている最大の理由は、リリックに潜む物語性だと思う。決してソフィスティケートされていない、むしろ青臭くも儚い男女恋愛模様だ。いや、恋愛模様という言葉で片付けることのできない、十代特有の焦燥や苛立ち、そして憧れがすべて詰まっていた。 こういう流派がいつからヒットチャートに登場したのかを考えてみると、その起点は尾崎豊の登場からだと思う。「シェリー」、「OH MY LITTLE GIRL」など決して強くはない男が主人公となり、女性を

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  • 舘ひろし × 柴田恭兵の名作「あぶない刑事」が起こしたテレビドラマの音楽革命!

    舘ひろし&柴田恭兵の曲もいいが、実は挿入歌が凄いサウンドトラック そんな稀有な刑事ドラマに関連した2枚組CD『あぶない刑事 オリジナル・サウンドトラック スペシャル・エディション』が2023年4月19日にリリースされる。Disc1は第一作『あぶない刑事』の放送当時のサントラ盤「あぶない刑事オリジナル・サウンドトラック」&「あぶない刑事 オリジナル・サウンドトラック総集編」を新編集&全曲収録したもので、Disc2には関連音源とTV用BGMがセレクト収録されている。 ここでは、同CDの発売にちなみ、刑事ドラマとして―― いや、日テレビドラマとして極めて画期的だった『あぶない刑事』の音楽についてクローズアップしてみたい。 テレビドラマ『あぶない刑事』、『もっとあぶない刑事』は、舘ひろし作曲によるオープニングテーマで始まる。そして、見せ場であるアクションシーンを柴田恭兵が歌う「RUNNING

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  • ザ・ベストテンのディレクターが語る!森高千里の美脚と生まれ変わった「17才」

    南沙織、森高千里―― ともに大ヒットした「17才」 1977年、TBSに入社した私は、制作部に配属され、ピンクレディーの『たまりまセブン大放送!』のADを皮切りに、『ザ・ベストテン』『輝く!日レコード大賞』 『日有線大賞』など、2015年の定年まで、数々の音楽番組に携わり、音楽と離れたことのない制作人生だった。 数々の歌手、アーティストと仕事をしてきたが、そうは言っても私も男子。特に好きな… というか好みのタイプの女性歌手が、入社当時は、キャンディーズの蘭ちゃんと南沙織。そして、私が30代になってからは、何と言っても森高千里だった。 南沙織と森高千里。私が大ファンだったふたりをつなぐのが、ともに大ヒットした「17才」である。 1989年夏、大ヒットした森高千里の「17才」―― そもそもこの曲は、1971年、元祖アイドル・シンシアこと南沙織のデビュー曲として発表され大ヒット。沖縄出身の小

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  • シド・ヴィシャス「マイ・ウェイ」ヘロインに溺れて夭折した破滅型パンクロッカー

    八神純子「想い出のスクリーン」:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.4 1979年2月2日、シド・ヴィシャス急逝 1970年代の半ばのロンドン。ロックをストリートに戻そう!という当時産業化されたロックに対するアンチテーゼがパンクロックの起点だ。2023年時点でロックの歴史を俯瞰してみても、その象徴はセックス・ピストルズだと言えるだろう。 セックス・ピストルズは、77年に結成当初からベーシストとして参加、優れたソングライターとして楽曲作りにも参加していたグレン・マトロックを解雇し、後任に抜擢されたのが、元々セックス・ピストルズの熱狂的なファンであった当時21歳のシド・ヴィシャスだった。 イメージ先行、異例の大抜擢は、のちのパンクに対するパブリックイメージをガッチリ固めることになる。 スパイキーヘア、傷だらけの素肌にレザージャケット、破けたジーンズにエンジニ

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  • 絶対に成功するぞ!ジャーニーの熱い想いと産業として巨大化する音楽マーケット!

    ジャーニー、日での成功物語 私がレコード会社の洋楽ディレクターとして、ジャーニーを担当したのは、前任者の後を受け、1981年にリリースされた彼らにとって初めてのライブアルバム、『ライヴ・エナジー』からです。続いて同じく1981年に発表された『エスケイプ』は全世界で大爆発。アメリカでもナンバーワンを獲得し、80年代を代表する名盤として今でも人気があります。当時でも全米で800万枚セールス、累計では1000万枚越えるセールスを記録しています。日でジャーニーはこのアルバムで大ブレイクしています。 このジャーニーの “日での成功物語” はある屈辱の夜の経験があったからこその戦略によるものです。詳しくは『ジャーニーが屈辱を晴らした夜、初の武道館ライブ終了後に大パーティ!』に書きましたので、お時間がある時にでもお読みください。 業界の常として、スーパーセールスを記録した後のアルバムは、得てして失

    絶対に成功するぞ!ジャーニーの熱い想いと産業として巨大化する音楽マーケット!
  • 時代を超えた名曲:渡辺美里「My Revolution」80年代の革命とはいったい何だったのか?

    渡辺美里を支えたアーティストたち これまでの人生でこの曲を何度聴いてきただろう。初めてこの曲を聴いた少女時代から今に至るまで、最も聴いた曲といえば間違いなく渡辺美里の「My Revolution」だ。自転車を漕ぎながら口ずさんだ中学時代も、授業中に先生の話も聞かず外を眺めていた時も、社会に出てくじけそうになり悔しくて泣いた日も、いつも支えてくれたのは「My Revolution」だった。 1985年に「I'm Free」でデビューした渡辺美里。80年代の彼女の曲を作ったのは、言わずと知れた面々。小室哲哉、岡村靖幸、大江千里、木根尚登、佐橋佳幸、伊秩弘将などなど、ソングライティングのクレジットには素晴らしいアーティストたちが並ぶ。 特に1985年リリースのデビューアルバム『eyes』からセカンドアルバム『Lovin' you』までは、小室哲哉と岡村靖幸の名前が数多くクレジットされている。当時

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  • グレン・フライの死から7年… イーグルスの音楽は21世紀になっても宝物!

    5000万枚超のセールスは歴代2位「イーグルス・グレイテスト・ヒッツ1971-1975」 世界で売れたアルバムセールスのランキングというのがあるが、そのトップ10を眺めてみると、1990年代までにリリースされたいわゆる ”名盤” と呼ばれるオリジナルアルバムが並ぶ。 ■ マイケル・ジャクソン / スリラー ■ AC/DC / バック・イン・ブラック ■ ピンク・フロイド / 狂気(Dark Side Of The Moon) ■ ミート・ローフ / 地獄のロックライダー(Bat Out Of Hell) ■ フリートウッド・マック / 噂(Rumours) ■ サントラ / ボディガード ■ サントラ / サタデー・ナイト・フィーバー etc. ―― 出典先によって微妙に順位が変化したりするが、1990年代以降のCD売り上げや2000年代以降のダウンロード売り上げを含めても、おおむね上位の

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  • 【追悼:ジェフ・ベック】時代の先端で尖り続けた孤高の天才ギタリスト

    ジェフ・ベックのギターは不老長寿の魔法の杖?永遠に思えた若々しい姿 ロックギターの真なる巨星墜つ。2023年1月10日、ジェフ・ベックが細菌性髄膜炎によりこの世を去った。78歳だった。エディ・ヴァン・ヘイレンの時と同じ、朝方の訃報だったこともあり、起き抜けでの突然の知らせに驚いたロックファンも多かっただろう。メディアでの報道の大きさに加え、名だたる有名アーティストを始めとする、ネット上を埋め尽くした追悼コメントを見ているだけで、いかにジェフがリスペクトされる存在だったのか、改めて実感させられた。 人間は誰しもいつか亡くなる。そんな当たり前の真理を疑いたくなるほど、ジェフはキャリアを積み重ねても、やることなすことすべてが若々しかった。この世が続く限り、永遠にギターを弾き続けるんじゃないか? 彼のギターは不老長寿の魔法の杖なのか? 大げさかもしれないが、そんな妄想さえ抱かせてくれただけに、未だ

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  • W杯決勝!超攻撃的布陣【ハードロック&ヘヴィメタルのギタリスト】ベストイレブン

    ギタリストベストイレブン、HM/HR洋楽ギタリスト編 ドイツスペインを撃破した日本代表チームの躍進により、大きな盛り上がりを見せた今回のサッカーワールドカップ。欧州や南米はサッカー強豪国が多いことで知られますが、ドイツ、ブラジルをはじめ、HM/HR(ヘヴィ・メタル、ハード・ロック)が盛んな国々と多くが重なっており、サッカーに親近感を覚えるHM/HRファンも少なくないでしょう。 ワールドカップ開催にちなんで、リマインダー上では音楽アーティストによるベストイレブン選出が繰り広げられましたが、好評企画の今回は、HM/HR洋楽ギタリスト編として、80年代を中心に選出していきたいと思います! 純粋なギタリストランキングではなく、あくまでもサッカーに例えてみた11選で、ポジションは日チームにならいFW1ーMF2ーMF4ーDF3でいきましょう。ワールドカップとオリンピック以外はほぼサッカーを観ない

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  • ピンク・レディー3年目の勝負曲「モンスター」は阿久悠から送られたエールなの?

    ピンク・レディーの楽曲は作詞家・阿久悠の「巨大遊園地」 ピンク・レディーの歌は、ビックリ箱だ。私は当時小学生だったが、新曲が出るたび、「さあ、とんでもない展開が来るぞ!」とブラウン管の前でワクワクしたものだ。作詞家・阿久悠氏が「巨大遊園地」をイメージしてピンク・レディーの楽曲を作ったというエピソードを知ったのは、30を超えた大人になってから。けれど、子どもの頃なにも知らずとも、私はまさにジェットコースターに乗るがごとく、彼女たちの歌を聴いていたのだ。 なんだかわけのわからない名前の「ペッパー警部」、アラブの大富豪が出てくる「ウォンテッド(指名手配)」、宇宙人と恋する「UFO」――。子どもの頃は歌詞の世界観なんて深読みせず、ただただ変わった単語に反応して楽しんだ。ワケがわからないことが、最高に面白かったのだ。 「モンスター」はその中でも特にエキサイティング! いきなり男性の「ワッハッハッハ…

    ピンク・レディー3年目の勝負曲「モンスター」は阿久悠から送られたエールなの?
  • 神脚本が生まれたヒミツ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は何故ヒットしたのか?

    デートムービーって、どんな映画? 100%のデートムービーがある。 いわゆる “吊り橋効果”(恐怖や不安のドキドキを、恋愛のドキドキと誤変換するアレ)が期待できるパニックやアクションの要素があり、適度な恋愛描写もあり、ハッピーエンドで読後感のいい映画をそう呼ぶ。 これがホラーになると、女子の中には2時間、スクリーンから目をそむけたままのコもいるし、恋愛描写がこじれて二股や三股のストーリーだと、見ている2人が気まずくなる。バッドエンドだと、映画のあとのお茶がお通夜になる。 かつてユーミンが作って、バンバンが歌った「『いちご白書』をもう一度」は、学生時代に授業を抜け出して恋人と2人で行った映画の思い出を綴った名曲だが、実際の『いちご白書』は当時流行りのアメリカン・ニューシネマのバッドエンド・ムービー。デートムービーとしては最悪である。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は “伏線・回収好き”

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  • 11月29日が命日【静かなるビートル】ジョージ・ハリスンっていったいどんな人?

    11月29日はジョージ・ハリスンの命日 2001年11月29日、ジョージ・ハリスンが癌のために58歳という若さでこの世を去った。 当然だけれど、ジョージ・ハリスンを知ったのはビートルズのメンバーとしてだった。もし、バンドのリードギタリストが花形となっていたもう少し後の時代にビートルズが登場していたら、ジョージはもっと脚光を浴びていたかもしれないとも思う。けれど、ビートルズがデビューした頃は、演奏しながら歌うバンドというスタイルそのものが珍しく感じられたものの、具体的な演奏テクニックにまで関心を抱くことはそれほど無かったという気がする。もちろんそれは、ガキだった自分が、まだバンドの知識も経験もまったく無かったからなのだけれど…。 そんな僕たちが感心していたのは、ビートルズのレパートリーの多くがメンバーが書いたオリジナル曲だったということで、その意味ではやはりジョン・レノンとポール・マッカート

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  • ランディ・ローズ没後40年、ドキュメンタリー映画で明らかになるギターヒーローの輝き

    没後40年。今なお加速し続けるランディ・ローズへの想い ランディ・ローズがこの世から去って40年もの歳月が流れた。そんな事実が信じられないように、ランディの存在は日のHM/HRファンの中で今も息づき、輝きを増し続けていく印象すら受ける。 2022年の命日にあたっては、10年単位の節目だけにランディの話題をメディアなどを通じ、いっそう目にする機会が多かった。亡くなった人々はときに美化されていくけど、それはランディにも当てはまる事象だ。若く天使のような残像、激しくも美しい哀愁を帯びたギタープレイ、伝えられる誰からも愛された人間性。ランディに対して我々が抱くイメージがどれも非の打ち所がない以上、それは至極当然と言える。 生前のランディに関する情報量の少なさは、終わりなきイマジネーションを抱かせ、美化、神格化をいっそう増長させていく。残されたオフィシャル音源は、周知の通りオジー・オズボーンとのス

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  • バングルズのプロモーション来日にみたガールズバンドの絶対的な掟とは?

    バングルズ「気分はモノクローム」命名の背景にあったもの 私がCBSソニー(昔話なので、あえて当時の社名をつかってます)洋楽のディレクターとして、最初に担当したバングルスの作品は、彼らのメジャーデビューアルバムとしての1984年『All OVER THE PLACE』ですが、これにあろうことか、『気分はモノクローム』という意味が分からない邦題を付けて、同年9月に発売しています。 アルバムカバーからのイメージと秋の季節感を含めたこういう雰囲気だけのタイトルをつけていたことを、恥ずかしながら白状します。 ちょうど西海岸カルチャーとかAORがお洒落で格好いいと思われた時代でした。この流行りのトレンドに乗っかろうとしただけの未熟なディレクター時代の話です。 今更、誰に弁解しているのか分かりませんが、この年、フットルースやブルース・スプリングスティーン、スティーヴ・ペリーなどのヒットアルバムが目白押し

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  • 大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」と 小泉今日子「永遠の友達」は表裏一体?

    大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」スタッフも納得の出来 初めて聴いたあの日から、ずっとその曲は心の中に息づいていた。理由なんて分からない。そしてある日突然、その曲の素晴らしさに気づかされるのだ。 それは自分が大人になったから? 成長して曲の世界に追いついたから? ―― 私にとってそんな1曲が大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」だ。 1984年にリリースされた名曲「そして僕は途方に暮れる」。当時はEPICソニー全盛期。鈴木雅之、佐野元春、渡辺美里、TM NETWORKなど煌びやかなアーティストと共に、大沢もEPICソニー所属アーティストの1人だった。 大沢はアイドルたちへの楽曲提供を経て、自身の音楽活動へと歩を進めた。80年代には、作詞家の銀色夏生やプロデューサーの木﨑賢治氏らと共に、チームのように作品作りに取り組んでいたのも印象的で、その中から生まれたのが「そして僕は途方に暮れる」だっ

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  • 8月29日はマイケル・ジャクソンの誕生日 -「バッド」こそ史上最大のポップアルバム!

    マイケルの3大アルバム「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バッド」 1980年代最大のスーパースター、それはマイケル・ジャクソンで異論をはさむ余地はない。マドンナやプリンスをしのぐ人気っぷりは、「凄まじい」の一言だったといえよう。 彼がスーパースターの地位に君臨することになった基盤、それはもちろん1曲1曲が計算し尽くされた粒立ち鮮やかな数々のヒットソングたちにある。 1980年代、ヒットチャートを常に賑わせていたマイケルのヒットソングたちは、大衆音楽史上に大きな爪痕を残した3大アルバムから生まれていた。モータウンからエピック(当時、現ソニー)に移籍してから最初の3枚のソロアルバム、すなわち『オフ・ザ・ウォール』(1979年)、『スリラー』(1982年)、そして『バッド』(1987年)だ。 今年2022年は、『スリラー』発売40周年、『バッド』発売35周年を迎える。 大衆音楽の流れを的確にと

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  • 産業ロックにゾッコン!やっと “ジャーニーが好き” と言える時代がやってきた!

    やっと「ジャーニーが好き」と言ってもOKな時代がきた ジャーニーが好き ―― 僕ら50代の音楽好きにも、やっと公言できる時代がやってきました。 “産業ロック” と名付けられ、大衆受けを狙った売上至上主義、大袈裟な割に内容のない音楽… と不名誉な扱いを受けていたカテゴリー。 常にチャートの上位を賑わしていたにも関わらず、音楽マニアから蔑まれていたが故に、友達には言えなかった好きなアーティストの数々、ボストン、カンサス、フォリナー、エイジア、TOTO、REOスピードワゴン、スティックス…。 どんなにトム・ショルツ(ボストン)は天才だと思ってギターの音色をコピーしても、あのボストンのフニャフニャな女の尻しか追っかけてないような歌詞のお陰で、パンクやグランジがのしていた時代には隠れキリシタンのように息を潜めてました。 もうこの産業ロックが好きだという「遥かなる想い」は墓場まで持ってゆくしかないと思

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  • 哀悼のヒットソング30曲、オリビア・ニュートン=ジョンよ永遠に!

    Olivia Newton-John 全世代の心の琴線に触れたオリビア・ニュートン=ジョンの歌声 2022年8月8日、オリビア・ニュートン=ジョンが、73年の人生を閉じた。およそ30年にわたって闘病を余儀なくされた乳がんによる死であった。主に1970年代から1980年代にかけて、まさしく一時代を築いた世界で愛された歌姫には、各界著名人からその死を悼む声が届いているようだ。 長きにわたり多くのヒットソングを残し、それぞれの世代の心の奥底に思い入れの強い楽曲が刻まれているであろうオリヴィア。「そよ風の誘惑」、「愛のデュエット」、「ザナドゥ」といった、永遠に歌い、聴き継がれているスタンダードナンバー化したような作品も多いだけに、ここ日では数少ない “名前を聞いただけで説明不要な洋楽アーティスト” のひとりになっている。まさしく老若男女、全世代の心の琴線に触れる歌声を届けてくれていたのが、オリビ

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  • ピンク・レディー「渚のシンドバッド」デビュー4作目にして早くもミリオン達成!

    ピンク・レディーデビュー時のキャッチフレーズは“はじめての味覚(あじ)” 1976年8月25日のデビューから、46年もの歳月が経過しようとしている。が、今なお多くの人々を魅了してやまないのがスーパーデュオ、ピンク・レディーである。その活動期間は4年7か月と、今考えれば驚くほど短い。しかし、それまでに類を見なかった圧倒的なスケール感と強烈なインパクト、そして他を圧倒しまくったミリオンセラー連発などにより、ニッポン音楽界における数々の記録を塗り替えた怪物ぶりには目を見張るものがあったもの。 ピンク・レディーは、アイドル歌謡というジャンルを超越した異次元的な楽曲群、コドモたちがこぞって真似したユニークなフリツケ、スパンコールがまばゆいばかりのコスチューム、キャラクターグッズ販売も兼ねたマーチャンタイズ戦略等、どこかアメリカナイズされた新しい形のアイドルとして当時の日を躍動させた。デビュー時のキ

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