タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/ikedanobuo (24)

  • 小沢一郎氏の終焉 - 池田信夫 blog

    1993年6月18日、小沢一郎氏が宮沢内閣不信任案に賛成して自民党政権を終わらせた瞬間を、私は国会内の中継車で見ていた。歴史の歯車が回る音が聞こえたような気がした。自民党最大の実力者が党を割って出る決断力に感銘を受け、「リスクをとらなければ何も変わらない」と心に決めて、その1ヶ月後に私はサラリーマンをやめた。そのとき以来、小沢氏の動きにはずっと注目してきたが、細川政権の崩壊以後は、その決断がすべて裏目に出て、結果的に自民党を延命するという同じパターンの失敗を繰り返してきた。 彼の最初の失敗は、1991年、海部首相が辞任したとき、後継首相に党内で一致して推されたのを断ったことだ。当時49歳で党内の権力を握り、まだ何度でもチャンスはあると思ったのだろう。彼の持論は、自民党の福田派と田中派の流れが二大政党として政権交代を実現する保守二党論だったから、政治改革で主導権をとり、中選挙区制に固執する

    ultraquiz
    ultraquiz 2007/11/08
    自民党の打倒を唱えながら、くりかえし保保連立を画策する小沢氏の矛盾した行動の背景には、自民党が分裂しない限り安定した二大政党はできないという信念がある。それはそれなりに筋の通った政治理念なのだが、彼は
  • 池田信夫 blog 不都合なノーベル平和賞

    ロンボルグがゴアとIPCCのノーベル平和賞受賞にコメントしている:今回、受賞したIPCCは、科学的な分析によってどのような気候変動が起こるかを予測したが、ゴアは事実にもとづかないで、温暖化がいかに恐ろしいものであるかを誇張して宣伝してきた。彼の映画はアカデミー賞を受賞したが、イギリスの裁判所に「一方的で科学的な誤りを含む」と批判された。映画では向こう100年間で海面が20フィートも上昇することになっているが、IPCCは1フィートぐらいと推定している。これは過去150年間に起こった海面上昇と変わらない。 ゴアは、グリーンランドの氷が「加速度的に溶けている」というが、IPCCによれば、これは今世紀中に海面を3インチ上昇させる程度だ。グリーンランドの温度は、1941年以前には今よりも高かった。ゴアは温暖化で死者が増えると強調しているが、凍死者が減ることに言及していない。2050年までに温暖化で

    ultraquiz
    ultraquiz 2007/10/19
    温暖化対策よりも重要なものがあるとの主張
  • 縮んでゆく日本 - 池田信夫 blog

    昨日ある研究会で、ITU関係者の話を聞いた。おもしろかったのは、ITUが最大のテーマとして掲げる「デジタル・デバイド」の解説だった。日ではデジタル・デバイドといえば、僻地の商売にならない話というイメージがあり、私もITUの会合で途上国の話ばかり聞かされてうんざりしていたのだが、彼によれば今やデジタル・デバイドこそ最大のビジネス・チャンスなのだという。 特にすごいのはアフリカで、年率20%で携帯電話のユーザーが増え、ガボンでは固定電話が数%しか普及してないのに、携帯電話の普及率は50%を超えている。もちろんGSMで、端末は50ドル以下。ガボンにキャリアなんかないから、ノキアが端末から基地局からオペレーションまで全部やって、アフリカで大もうけしているという。そのライバルは、中国のファーウェイ(華為)。日の通信ベンダーは影も形もない。 アジアでも同じような状況で、こっちでもノキア、モトロ

    ultraquiz
    ultraquiz 2007/10/11
    トヨタやソニーが世界企業になったのは、1950年代の日本が貧しい時代に、海外に市場を求めるしかなかったからだ。なまじ国内市場が大きくなったために、PC-9800やPDCに代表されるパラダイス鎖国状態が続いてきた。
  • 冷戦―その歴史と問題点 - 池田信夫 blog

    書は、冷戦についての権威がこれまでの研究を一般向けにまとめた、いわば冷戦についての教科書である。ちゃんとした書評は、週刊ダイヤモンド(9/17発売)に書くので、それに関連して先週のブッシュ演説についての感想をひとこと: この演説は、多くのブログで「クリントンの『不適切な関係』についての演説と並ぶ歴史的お笑い演説」との評価が定着したようだ(Slate)。ただ、書との関連でいうと気になるのは、ブッシュが(というよりはアメリカの情報機関が)冷戦の教訓をいまだに正確に分析していないと思われることだ。 ブッシュ演説で笑えるのは、冒頭から真珠湾を持ち出して、日軍とアルカイダを同一視し、日には"shinto"というイスラム教なみの狂信的な国家宗教があり、占領後の抵抗は容易ではないと思われたが、実際には日人はマッカーサーを熱狂的に歓迎した、とのべている部分だ。これはイラク開戦前に彼が「フセイ