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ブックマーク / workhorse.cocolog-nifty.com (9)

  • 和魂と洋才と残業したい人々(下) - マーケットの馬車馬

    終身雇用、年功序列、そして持ちつ持たれつ助け合い、と並べると、何だか日の会社というのは随分と居心地が良さそうに思えてくる。実際、こういうことを思う人は少なくないらしい。で、「この厳しい国際競争の世の中では、日企業のような甘っちょろい組織は生き残れない!」といった、様式美と呼ぶべきお約束の議論が始まるわけだ。 しかし、日の企業というのはそんなに甘い組織なのだろうか。そして、容赦なくクビを切る(と言われる)欧米の企業というのは、そんなに厳しい組織なのだろうか。正直、筆者には、日の企業が"使えない人々"に対して甘い組織だとは到底思えないのである。 同僚に"優しい"組織 海外のオフィスにお邪魔していると、当然一緒に夕飯をべたりすることもあるわけだが、そういう席で"上司の悪口"で盛り上がるのは洋の東西を問わない。悪口の中身も、自分の業績を取られただの、査定が低すぎるだの、自分のやりたいこと

    和魂と洋才と残業したい人々(下) - マーケットの馬車馬
  • 和魂と洋才と残業したい人々(上) - マーケットの馬車馬

    筆者が海外のオフィスにお邪魔した時、最初に違和感を感じたのは電話だった。オフィス中に反響しそうな勢いでビービー鳴っているにもかかわらず、誰もその電話を取ろうとしないのである。こちとら「誰の電話が鳴っていようと、3コール以上通話相手を待たせるべからず」という鉄則を叩き込まれてきたクチだから、これはどうにも落ち着かない。3コール目くらいからソワソワし始め、5回、6回、と心の中で指折り数えてしまう。集中力もへったくらもあったものではない。7コール目くらいになると救いを求めて秘書の方を見るのだが、これまた泰然と無視なさっておられる。どれだけ大物なんだ。さぞかし名のある家の出に違いない。次からはマダムと呼ぼう。 そういう益体もないことを考えている間に、電話のコールは十を数える。こちらは何もしていないのに既に疲労困憊である。流石にこのころになると、周囲も電話のことを気にかけ始めるのだが、その態度は明確

    和魂と洋才と残業したい人々(上) - マーケットの馬車馬
  • 和魂と洋才とユダヤの商人 - マーケットの馬車馬

    もう何年も前の話になるのだが、コーポレートガバナンスという「洋才」を使いこなすために「洋魂」が必要かもしれない、というエントリーを読んで色々と考えたことがある。日の社会というのは、欧米のそれとは少し違うものであるらしいということはよく知られている。ここが違う、あそこが違う、と言い合うのは、ある種の「お茶漬けナショナリズム」とも相まって、海外旅行をした日人の楽しみの一つでもある。 しかし、この手の話題は大概非常にあいまいなところでストップする。海外だと接客態度が悪すぎる。目の前に困っている客がいるなら、何とかしてやろうと思うのが自然ではないのか。欧米の企業に比べて日の企業は非効率すぎる。みんな仲良く残業しなきゃいけないなんてナンセンスだ。この手のお約束トークは挙げればきりが無いが、「では何故日ではそうなっているのか?」という段になると、大概が精神論で終わってしまう。日人の気質だから

    和魂と洋才とユダヤの商人 - マーケットの馬車馬
  • 和魂と洋才と医療の崩壊(上) - マーケットの馬車馬

    前回、ギルド社会で赤の他人を信用できるのは評判メカニズムのおかげであり、そしてその信頼関係は異分子の混入に対して脆弱なので、ギルド社会は質的に排他的にならざるを得ない、ということを書いた。それこそが銭湯などでの「日人は外人を差別する」というお約束の主張につながっていくのだ、という所で〆たわけだが、別に異分子とは外人に限らない。ギルド社会が機能不全に陥れば、誰だって異分子になってしまうのだ。今日はそんな話を。 人間社会と人間の意識、そして人間の選択 医療の話に入る前に、前々回のおさらいもかねて評判システムのメカニズムをもう一度確認しておきたい。とある社会に多くの人がいて、この人々は互いに協力しながら頑張って生きているとしよう。そして、世の中の常として、裏切りは少なくとも一時的には得になる。仕事をサボって相手に押し付ける、売上金パクって逃げる、などなど、挙げればきりが無い。 もし裏切られた

    和魂と洋才と医療の崩壊(上) - マーケットの馬車馬
  • 救われない「不運」について - マーケットの馬車馬

    昨日になって、最近(それとも今更、なのだろうか?)話題の赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』を読んだ(丸山眞男と聞いただけで難しそうだったので敬遠していた)。色々な意味で救いの無い話だなと思ったのだが、以下感想を。 氏の議論の持って行き方を自分なりにまとめると以下のようになる(なお、私は右翼だ左翼だ論壇だという話題には興味が無いので、そういう視点からの理解はしていないという点はご承知おき頂きたい)。 フリーターで生活が厳しい。 これは不景気のしわ寄せが若年労働者に集中したからであり、企業がフリーターやニートを働かせようとしないからである。 よって、『過去に遡って、ポストバブル世代に押しつけられた不利益を是正』すべき。 不景気のしわ寄せが若年労働者に集中したのは、平和な日社会が現状維持を志向しているから。 よって、現状維持が出来なくなるような突発的なイベントが起これば自分も救われるかも

    救われない「不運」について - マーケットの馬車馬
    umeten
    umeten 2007/08/26
    一度つまづいたものは二度と救われない、美しい国。
  • マーケットの馬車馬: 指導者の資質(下):ブッシュ大統領の資質

    さて、恐ろしく間が空いてしまったが、8月に書いた「指導者の資質(上)」の続きを書きたい。8月以降、大洪水やらイラク情勢の好転やらでブッシュ大統領への評価は下がったり上がったりしているが、少なくとも8月よりも良くなっているということは無いような気がする。そんな状況で書くのも少々気が引ける結論なのだが、「ブッシュ大統領は少なくともアメリカの大統領としては、世界平和に貢献しうる資質を持っているし、(恐らくは)実際に貢献している」と思うのだ。以下説明したい。 ジョージ・デュビャ・ブッシュ ブッシュ大統領といえば、とにかく目立つのはその独特の語り口だ。「独特の」というのは最大限好意的に表現した書き方であって、そこら辺のリベラルアメリカ人を捕まえれば、ブログにすら載せることを躊躇うような罵詈雑言が聞けること、まず疑いない。例えば、『イラクに駐在するアメリカ軍兵士への攻撃が続いていることを受けて、「ア

    マーケットの馬車馬: 指導者の資質(下):ブッシュ大統領の資質
    umeten
    umeten 2006/01/24
    踏みにじられるものとしては、承服できん議論。だが、一つの視点ではある。
  • 論理の嫌いな日本人(3) 武器なきマスコミの彷徨 - マーケットの馬車馬

    さて、このシリーズ第1回の冒頭に戻りたい。筆者がイギリスの修士課程を終えた友人と飲んだときに、1のビデオテープをもらった(うちにはPAL対応のビデオがある)。彼はイギリスのドキュメンタリーは非常に質が高いと強調していて、そのビデオはそのうちの1であるということだった。そこで先日そのビデオを見てみたのだが、正直度肝を抜かれた。 容赦なきイギリスのドキュメンタリー その番組は豊胸手術を取り上げた番組だったのだが、のっけから豊胸手術に失敗して胸が大変なことになった女性が出てくる。その女性がモザイクもボイスチェンジもなく胸をぽろんと出すのにも結構驚いたのだが、圧巻だったのはその後だ。ふたりそろって豊胸手術を受けるという双子が登場し(こちらも当然のようにモザイク無し)、番組はその手術の過程を細大漏らさず報道する。 まずおっぱいの下部を10cm強ざっくりと切開し、そこからおっぱいの中に手首まで手を

    論理の嫌いな日本人(3) 武器なきマスコミの彷徨 - マーケットの馬車馬
    umeten
    umeten 2005/09/27
  • 論理の嫌いな日本人(2) 日本人の議論の仕方 - マーケットの馬車馬

    前回、日では討論番組が流行らないこと、そもそも日人は論理を組み立てていくプロセスそのものが苦手か、少なくとも嫌いに見える、ということを書いた。 どちらかというとこの前回の記事は前置きで、今回の記事-ネットの内外で繰り広げられている日人の議論のついて-が題だ。筆者は「平和主義を唱える人たちへ」や「右翼と左翼、理論と感情」などで、何度か特に左寄りの人は論理的な組み立てが苦手なようだ、と書いたのだが、コメント欄でご指摘いただいたとおり、右寄りな人が特別論理的に議論をしているようにも見えない。 挙句プロの「評論家」にまで似たような傾向が見えてしまうと、どうもこれは右左の問題じゃないなぁと思えてくる。そこで、若干昔の記事と内容がかぶるのだが、筆者が感じている「日人の議論の仕方」についてまとめてみることにしたい。 論理に頼らずに議論をしようとする人は大体以下のような特徴を持つ。 ・自分の価値

    論理の嫌いな日本人(2) 日本人の議論の仕方 - マーケットの馬車馬
    umeten
    umeten 2005/09/27
  • 論理の嫌いな日本人(1) 議論が報道されない国 - マーケットの馬車馬

    先日、イギリスで経済学の修士を取って帰国した友人と飲む機会があった。色々と面白い話が聞けたのだが、特に面白かったのはイギリスのテレビの話だ。 彼が言っていたのは、イギリスのテレビというのはやたらと討論が多いということだ。政治でも、社会ネタでも、サッカーであっても、2~4人くらい集めてああでもないこうでもないと議論をする。筆者自身イギリスで修士を取ったクチなので、その時は4人くらいで議論をするというスタイルをテレビでよく見た気がする(筆者の寮にはテレビがなかったので、ほとんど見る機会はなかったのだが)。 そこでBBCのホームページを見ていたら、Daily Politicsという番組があった。毎日政治の話をするのかよと思ったら、週3回平日の昼間に放映されるもののようだ。最新回がウェブ上で公開されているので見てみたら、なるほど硬派な番組だ。昨日筆者が見たときは、保守党党大会スペシャルと銘打ってい

    論理の嫌いな日本人(1) 議論が報道されない国 - マーケットの馬車馬
    umeten
    umeten 2005/09/27
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