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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (28)

  • 国民という差別。 - hituziのブログじゃがー

    言語政策学会のシンポジウムで李洙任(り・すーいむ)さんの報告を きいた。李さんには『グローバル時代の日社会と国籍』という田中宏(たなか・ひろし)との共著がある。 李さんの報告の題は「移民コミュニティの移民言語教育―オールドカマーを中心に」であり、「国民」と「外国人」という規定の問題を指摘していた。 おなじような内容を 最近、サイトに のせたので、紹介しておきたい。 「国籍ってなんだろう―日の入国管理政策の問題」 - あべ・やすし さて、李さんの報告にたいして、フロアから つぎのような発言があった。要約する。 わたしも法律の国民という表現について問題だと感じていた。だが、あるとき法律の専門家に「文言説」と「性質説」のちがいをおしえてもらった。つまり、法律の文言では「国民」とあっても、じっさいの運用では その「国民」には「外国人」が ふくまれるのだと。それをきいて、国民という語について問題

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  • だれのためのデザインか(便座について)。 - hituziのブログじゃがー

    N700系の新幹線の11号車に、車いす対応トイレがある。まるい部屋に なっていて、ひろさを 確保している。ただ、ベンチレーターのひとは それでも せまくて 使用できないかもしれない。とはいえ、このトイレができたことで新幹線が利用しやすくなった ひとは たくさん いるのだろう。ひろさの確保という点では、限界があるにせよ、かなり配慮してあると おもう。 気になったのは、ちがう点だ。このトイレは、なぜか、自動的に便座があがるようになっている。手をかざすと水をながすセンサーがある。もうひとつセンサーがあって「便座をおろす」ためのものだ。これは おかしい。 なぜ、どうして、便座をあげた状態が標準設計なのか。 男性のうち、さらに、便座式のトイレで あえて便座をあげて おしっこをするひとのためのデザインになっている。便座式のトイレで、便座に すわって おしっこをすることに、なんの問題があるのか。 不潔な

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  • 「外国人」と医療についての本。 - hituziのブログじゃがー

    2010年 3月に でたに『外国人をめぐる生活と医療』というブックレットがある。ほかにも いくつかがある。手もとにあると検索して みつけたを まとめてみる。あたらしいものから ならべる。 難民支援協会編 2010 『外国人をめぐる生活と医療―難民たちが地域で健康に暮らすために』現代人文社 山村淳平(やまむら・じゅんぺい) 2010 『難民への旅』現代企画室(「なにが外国人医療を貧しくさせるのか」200-214ページ) 西村明夫(にしむら・あきお) 2009 『疑問・難問を解決! 外国人診療ガイド』メジカルビュー社 移住労働者と連帯する全国ネットワーク 編 2009 『多民族・多文化共生社会のこれから―NGOからの政策提言〈2009年改訂版〉』移住労働者と連帯する全国ネットワーク(第7章「医療と社会保障」) 外国人医療・生活ネットワーク編 2006 『講座 外国人の医療と福祉―NGO

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  • 本屋で みつけた いくつか。 - hituziのブログじゃがー

    屋で を さがすのが しゅみです。こんなが でてる、こんながあったのか。そういうかんじ。 そういうことを やっていると、かわないけど、よまないけど、いいだなあ、おもしろそうだなあというを みつけます。たとえば。 レベッカ・ソルニット『災害ユートピア−なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』亜紀書房 椎野若菜(しいの・わかな)ほか 『「シングル」で生きる−人類学者のフィールドから』御茶の水書房 デビッド・C.ポロック、ルース=ヴァン・リーケン『サードカルチャーキッズ−多文化の間で生きる子どもたち』スリーエーネットワーク フランク・ヴェスターマン『エル・ネグロと僕−剥製にされたある男の物語』大月書店 原武史(はら・たけし)『可視化された帝国−近代日の行幸啓』みすず書房 「災害ユートピア」って わりと つかわれてる表現なんですね。『「シングル」で生きる』は着眼点が いいと おもう

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    umeten
    umeten 2010/12/29
    >『エル・ネグロと僕』は、「田舎町の博物館で出会った黒人の剥製〈エル・ネグロ〉。人間が標本とされていることに衝撃を受けた青年は→これはいまも続く『人体の不思議展』の問題と直結しますね。ググってみて
  • 介護職の あなたへ。 - hituziのブログじゃがー

    介護職でも、看護師でも なんでも いいけれども。ケア労働者へ。 ありたい わたし。期待されている わたし。そういう理想像が かたほうに ある。 そして、そうでは いられない わたしが いる。そのとき、ひきさかれるように、つらくなってしまう。そういうことが ある。 武井麻子(たけい・あさこ)『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代』に引用されている短歌。朝日新聞に のったもの。 天使にもペテン師にもなりきれぬまま 二年目ナースの今日が始まる これは ないてしまう。ゆらぐ きもち。自信が もてないようす。肯定できずに、くるしい きもち。孤独。そういった感情を 感じさせる。 だけどなあ。これは ほんとうに、あなたは ひとりではないんだ。あなたの ことばに、うなづく ひとが たくさん いる。そして、それが わかったとき、わかちあえたとき、あなたは すこし楽になるだろう。そして、「今日も始ま

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  • たすけない。孤立させる。そんなテストは もう いらない。 - hituziのブログじゃがー

    テストは なぜ、ひとりで こたえないといけないのか。たすけあっては いけないのか。わからないところを おしえてもらっては いけないのか。「カンニングは いけない」とか、うるせえ! わからないとき、わからないと いう。おしえてほしいことを、おしえてくださいと いう。それって だいじなことでしょう? まちがっているかもしれないと不安になり、確認したいというとき、ちょっと だれかに きいてみる。そういうのって、だいじでしょう? ひとり。もくもくと。だまって。自分のちからで。なんで そんなことばっかり。 自分で べんきょうして、それをテストして、これが わたしの点数。わたしのもの。ほんとうに そう? いっしょに べんきょうしたのに、テストするときは どうして個別テストなの。カンニングしたら点数おまけしてもらうくらいで いいじゃないか。だって がんばってるじゃないか。 協力しあって こたえを さがす

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    umeten
    umeten 2010/11/03
    >“できない(依存)”と“できる(自立)”の間には…“いっしょに◯◯する(共同性)”という世界が豊かに広がっている。
  • 介護職とボランティア。 - hituziのブログじゃがー

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20101022/1287712210 社会貢献活動というと、たいていある種のボランティア活動を指す。たとえば介護ボランティアなんかがあるが、これが素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかりというのはよく聞く話である。介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ。 んー。介護職が適切にアドバイスしたうえで、できることを してもらえば だいじょうぶだと おもいますね。「素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかり」というのは、責任を ボランティア側だけに おしつけてしまっている。そういうのは、うけいれる側(介護職)の問題でもあるでしょう。共同作業ですからね。 人間って おかしなもので、「介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ」などと いわれると、そんなことないよと いいたくなる。いっぽう

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  • おそろしい施設―学校(熱中症について)。 - hituziのブログじゃがー

    9月になっても あつい。気温は30度を こえているどころか、40度に ちかい。あぶない。 熱中症の予防に必要なのは、あついところから すずしいところへ移動すること(冷房をつけること)。水分を補給すること。その ふたつでしょう。 水分補給といっても、たんに 水を のめば いいというものではありません。汗を かくと、体内の水分と塩分が からだから でていくことになります。それなら、水分と いっしょに塩分も補給しないといけません。 よく、水分補給にはスポーツドリンクが おすすめされています。なぜでしょうか。スポーツドリンクには塩分(ナトリウム)が ふくまれているからです。 スポーツドリンク - ウィキペディア うえのリンクには、とても たいせつなことが かいてあるので、きちんと よんでください。 塩分を とらずに水分だけを のみすぎると、血中のナトリウムの濃度が さがりすぎてしまいます。すると、

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    umeten
    umeten 2010/09/07
    >きちんと水分補給させないのは、虐待(ぎゃくたい)です
  • 責任の分散とリーダーシップ。 - hituziのブログじゃがー

    だらだらと。結論もなく。なんとなく。 3人くらいで しらない まちを あるいていて、みちに まよってしまうことがある。安心してしまうからだ。たぶん、だれか、みちを ちゃんと えらんで あるいているんだろうと。 責任の分散って、社会心理学の実験で指摘されていたよね。 傍観者効果 1964年のある日の夜、ニューヨークの住宅街でキティ・ジェノバースという女性が帰宅途中に男に襲われました。女性が襲われたときに悲鳴をあげたため、男はその場を立ち去りましたが、誰も出てくる気配がなかったのでもう一度戻り、女性に暴行を加えました。そのようなことを数回、30分にも渡り続け、とうとう女性は殺害されてしまいました。この事件が特異なのは、犯人ではなく周囲に住んでいた人々のほうでした。事件後の調べによると、なんと38名もの人が女性の悲鳴を聞いていたというのです。しかし、窓際から外を見ても、特になにもなかったため警察

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  • 「人件費削減 研修生」で検索してみた(読書案内/制度改正について)。 - hituziのブログじゃがー

    安田浩一(やすだ・こういち)『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』光文社新書。 このは とても充実した新書で、しっかり取材して文章にしています。前半の第一部は中国人研修生について、後半の第二部は日系ブラジル人についてです。 ケン・ローチ監督 映画『この自由な世界で』。 この映画を ぜひ みてください。そして、『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』を よんでみてください。 さて、『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』54ページには つぎのようにある。 送り出し機関も受け入れ機関も、研修制度の来の意味など初めからなかったかのような顔をして、露骨な宣伝を展開している。ネット上や宣伝パンフレットでは、次のようなコピーがあふれている。 「コストダウンの切り札として研修生を!」「あなたの会社の人件費削減に協力します」「低コストで優秀な人材を提供」「人手不足を解消」「若い労働力を活用しませんか」――。 人件費削

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  • 「ともに地域で暮らしたい」心神喪失者等医療観察法に反対する全国の集い in 京都。 - hituziのブログじゃがー

    2010年7月25日の日曜日に、集会があります。 「ともに地域で暮らしたい」心神喪失者等医療観察法に反対する全国の集い in 京都 にちじ:2010年 7月25日(日)午後1時から4時 場所:京都府部落解放センター(京都市北区小山下総町5-2) 交通:京都市営地下鉄 烏丸線(からすません) 鞍馬口駅(くらまぐちえき) 資料代:500円 くわしい案内:「ともに地域で暮らしたい」 心神喪失者等医観察法に反対する全国の集い in 京都 | 全国「精神病」者集団 『カッコーの巣の上で』というアメリカ映画を みたことがあるでしょうか。とても刺激的な映画で、印象的な場面が いくつも あります。そのひとつを ちょっと かいてみます。 主人公は刑務所が いやで、精神病院に はいってきた。強制労働が いやだったからだ。主人公は、病院の看護師やスタッフに反抗しながら自由に すごそうとしてきた。だが、あるとき

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  • おわりと はじまり。 - hituziのブログじゃがー

    2007年の3月の なかごろ。1月に せっかく就職できたのに 3ヶ月の契約ということになってしまったので、ハローワークに いった。 ハローワークで条件をしぼって検索すると、語学学校で朝鮮語を おしえる非常勤の しごとと、福祉の しごとが あった。講師のほうは、「どーせ おとされる」と おもって、うけなかった。福祉の しごとは「知的障害者 厚生施設」としか説明がなかったけれども、おおー!と おもった。わけあって、わたしには ちょうど よかった。わたしに必要な しごとだと おもった。施設であっても。施設であっても。 面接に いって数時間後、「どうされますか?」と電話がきた。「やります」と こたえた。 知的障害者の施設に 3年と1ヶ月ほど つとめた。きょうで、有給休暇も おわる。これで退職。 いろんなことが あった。いまだに つらいこともある。 うしろがみを ひかれるし、かえってきてねと いわれ

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  • 自閉症と主体性。 - hituziのブログじゃがー

    ローナ・ウイングは『自閉症スペクトル』において、自閉症者の社会性の障害(「社会的相互交渉の障害」)を「孤立群」「受動群」「「積極・奇異」群」「「形式ばった大仰な」群」の4つのグループに分類している(43-46ページ)。 一般的な自閉症 理解からすれば、「孤立群」「受動群」はイメージしやすいだろう。一方で、「「積極・奇異」群」や「「形式ばった大仰な」群」の場合、知的障害者とだけ認知され 自閉症者であることが 気づかれないことがある。だが関係を かさねていくことで、自閉者に共通する「こだわり」のありかたに気づかされ、「自閉症」が ゆるやかな「家族的類似」によって構成されているのが わかる。 はい。むずかしい おはなしでスタートしました。 今回は、つぎの記事を とりあげながら、主体性とは いったい なにか、ということについて かんがえてみたいと おもいます。 主体的が そんなに えらいか - h

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  • ひとは、社会で そだつもの。 - hituziのブログじゃがー

    坂口安吾(さかぐち・あんご)は、「戦争論」という評論で つぎのように のべています。 家も、又、垣の一つだ。何千年の人間の歴史が、この家の制度を今日まで伝承してきたからと云って、それだから、家の制度が合理であるとは云えない。 …中略… 家の制度があるために、人間は非常にバカになり、時には蒙昧な動物にすらなり、しかもそれを人倫と称し、能の美とよんでいる。自分の子供のためには犠牲になるが、人の子供のためには犠牲にならない。それを人情と称している。かかる能や、人情が、果して真実のものであろうか。 …中略… 家の制度というものが、今日の社会の秩序を保たしめているが、又、そのために、今日の社会の秩序には、多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上をはばむものがあるのではないか。私はそれを疑るのだ。家は人間をゆがめていると私は思う。誰の子でもない、人間の子供。その正しさ、ひろさ、あたたかさは、家の

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  • 社会的排除について。 - hituziのブログじゃがー

    まえから かこうと おもって かいていなかったのが、「社会的排除」とは どういうことかということです。何度も このブログで社会的排除を 批判してきたのですが、ちゃんと説明していなかった。 岩田正美(いわた・まさみ)『社会的排除─参加の欠如・不確かな帰属』有斐閣(ゆうひかく) いいです。おすすめします。 岩田さんは「まず、社会的排除という言葉は、それが行われることが普通であるとか望ましいと考えられるような社会の諸活動への参加の「欠如」を、ストレートに表現したもの」としています(22ページ)。具体的には、つぎのように「空間的排除」と制度からの排除/制度による排除を あげています(28-32ページ)。 その一つは空間的な側面である。すなわち、社会的排除は、しばしば特定の集団を特定の場所から排除し、その結果排除される人々が特定の場所に集められる。また、その結果として、特定の場所それ自体が、排除さ

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  • できるだけ たくさんのひとが社会的排除を 批判する。 - hituziのブログじゃがー

    ひとりずもうを します。 たいせつなのは、みんなが社会的排除を 批判することだと おもう。 さまざまな社会問題がある。それを 問題化するときに、構図を みたてる。被害者と加害者というように。けれども、そういう構図は現実そのものであるとは かぎらない。現実は、ふくざつ。境界線は、ひけない。連続している。つながっている。 なにか問題提起するときに、構図が必要になることがある。その構図では不十分だったり、不適切だったりするという問題提起もできる。それも必要な視点。 女性差別を 問題化しよう。でも、「女性」って なあに?という視点も わすれずにいたい。それを 両方 みすえることが たいせつ。 日社会や日政府を 批判すると、「日人ではないはず」と みなされることが よくある。たとえば わたしの議論を みて、「在日朝鮮人なのだろう」とか、「韓国籍なんだろう」と かんがえる ひとが いる。うんざり

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    umeten
    umeten 2009/10/24
    >「「日本人」は「日本」が だいすき」という固定観念。「だいすきであるべき」という おしつけ。これが ほんとうに くだらない。   しかし無思考な思い込みこそが右翼≒保守の源泉というのもまた事実。
  • 戸籍制度廃止にむけた読書案内。 - hituziのブログじゃがー

    ずっとまえから戸籍制度の問題について、長文を かきたいと おもっているのですが、いまだに かけていません。ふがいない。まずは、文献案内を かくことにします。とウェブに公開されている論文などを 紹介します。まだ よんでないものばかりですので、みなさんと いっしょに よんでいきたいと おもいます。よろしく おねがいします。 なお、戸籍制度は、ちょっと しらべてみるだけで、やめるべきものだということが わかります。ですから、どれか ひとつだけでも よんでみてください。 戸籍制度についての 佐藤文明(さとう・ぶんめい)『フォー ビギナーズ 戸籍』現代書館 佐藤文明『戸籍が見張る暮らし』現代書館 佐藤文明『戸籍がつくる差別』現代書館 佐藤文明『戸籍うらがえ史考 戸籍・外登制度の歴史と天皇制支配の差別構造』明石書店 佐藤文明『プロブレムQ&A 戸籍って何だ』緑風出版 佐藤文明『ウーマンリブがやって

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  • ヤスクニは宗教的に ふるまうことで機能する軍事施設である。 - hituziのブログじゃがー

    ヤスクニは軍事施設である。それは、たくさんのひとが指摘してきたことだ。はじめて きいた意見であるなら、「靖国 軍事施設」で検索してほしい。 『天皇・天皇制をよむ』東京大学出版会から おさらいしよう。 戦前において靖国神社は、陸軍省・海軍省が共同で所管し、天皇自らが戦没者の霊を祀る[まつる]ためにしばしば親拝(天皇自らの参拝)するきわめて特殊な、天皇の国家の戦争政策と切り離すことができない神社であった。靖国神社の責任者である宮司には退役陸軍大将があたり、神社の運営費は陸軍省予算から支出され、社域の警備には憲兵があたっていた。(238-239ページ) ヤスクニは、だれを まつったのか。 …祀られた戦没者は、日人であっても、あくまで天皇制政府側に限られ、戊辰[ぼしん]戦争における旧幕府側や西南戦争における薩摩[さつま]側の戦没者、あるいは佐賀の乱・竹橋事件などにおける反乱者(処刑者)などは除外

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    umeten
    umeten 2009/05/21
    祀る側だけに「取り込む自由」を認め、祀られる側に「離脱の自由」を認めない施設なんかを誰が宗教と認められるものか。靖国はあきらかに国営カルトと断じて間違いない。
  • 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー

    ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。 国家において、「民族」を 意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を 意識させるのだ。 それを 指摘し、多数派日人に「ヤマト人」や「和人」という名前を つけてみても、「名前のない多数派」は にげてしまう。「民族意識など、幻想にすぎず、そして わたしは「ナショナリズムに反対する」」のだと。そんな態度が良心的だと、なぜ おもえてしまうのか。 多数派は、名前を つける側である。そして、多数派は名前を もたない。多数派は、名前を つけられるのを いやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえし やっていることなのにだ。 民族は

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  • 心理学の本、おすすめリスト。 - hituziのブログじゃがー

    小坂井敏晶(こざかい・としあき)『責任という虚構』東京大学出版会 うえのを じっくり よんでいるのですが、これは よみごたえがありますね。すごい。『責任という虚構』を よんで、さらに心理学のを よみすすめてみたいと おもいます。 したに列挙するは、すべて よんだわけではありません。よむ予定のものも ふくんでいます。 スタンレー・ミルグラム『服従の心理』河出書房新社 トーマス・ブラス『服従実験とは何だったのか―スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』誠信書房 ローレン・スレイター『心は実験できるか―20世紀心理学実験物語』紀伊國屋書店 鈴木光太郎(すずき・こうたろう)『オオカミ少女はいなかった―心理学の神話をめぐる冒険』新曜社 浜田寿美男(はまだ・すみお)『自白の研究―取調べる者と取調べられる者の心的構図』北大路書房 浜田寿美男『取調室の心理学』平凡社新書 ロフタス/ケッチャム『抑圧された

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