ルターより100年も前に宗教改革を宣言した偉人ヤン・フス~宗教改革の先駆けと免罪符 僧侶上田隆弘の世界一周記-チェコ編⑧ プラハ城の散策の後は、階段を下りカレル橋の方向へ進んでいく。 次の目的地は旧市街広場にあるヤン・フス像だ。 プラハの赤い屋根の建物を間近に感じつつ、のんびりと練り歩く。 それからカレル橋を渡り、旧市街広場まで進んでいく。 そして広場の少し奥の方まで歩くと、目的地のヤン・フス像の前に到着する。 こちらに凛々しくたたずんでいるのがヤン・フスの像だ。 突然だが、皆さんは宗教改革といえば誰を思い浮かべるだろうか。 おそらく、多くの人がマルティン・ルターを思い浮かべることと思う。 そのルターがドイツで宗教改革を始めたと言われているのが1517年。 だが、もしこれに先立つことおよそ100年。 すでにここプラハで宗教改革が行われていたとしたら皆さんはどのように思われるだろうか。 歴史
é è é é ï é é é é é é î é é é é è é é è é é é é é é é é é é é é é ê û û û é é é é é é é ç é à à è é é à é é é é é é é é é é é é é è é é é é é é é é é é é é é é é é é é é é é é é é à é é é é é é é é é é é é é
預言者ムハンマドの風刺画を子供たちに見せた歴史の教師サミュエル・パティさんは路上で首を切断された── ERIC GAILLARD - REUTERS <ムハンマドの風刺画は表現の自由というフランス大統領の発言は東南アジアにも大きな波紋を起こしている> インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は10月31日、フランスで発生したイスラム教預言者ムハンマドの風刺画を巡る殺人事件とそれに伴うマクロン仏大統領の発言に関して声明を発表し「テロと宗教は無関係である」としてインドネシア国民に冷静な対応を呼びかけた。 10月16日にパリ近郊でフランス人中学校教師(47)がイスラム教過激派とされるチェチェン系ロシア人(18)に首を切られて殺害された。この教師が授業中にムハンマドの風刺画を生徒に見せたことが事件の原因とされており、容疑者は事件直後駆けつけた警察に射殺された。 事件後、マクロン大統領は21日に行われた
教皇フランシスコは、5月31日から6月2日まで3日間にわたり、ルーマニアを訪問した。初日 は首都ブカレスト、2日目は、東北部のスムレウ・チュクとヤシ、最終日に中・北西部のブラジ で、政界はじめ要人との会見や、ルーマニア正教会とのエキュメニカルな交流、聖母巡礼地でのミ サや、若者・家族との集いを行った。 訪問の最終日、教皇は中・北西部、トランシルヴァニア地方の都市、ブラジを訪れ、7人の司教殉教者の列福式を行った。この式で福者の列に加えられたのは、ヴァジレ・アフィテニエ、ヴァレリウ・トライアン、イオアン・スチウ、ティト・リビウ・キネズ、イオアン・バラン、アレキサンドル・ルスの6司教と、イウリウ・ホッス枢機卿の計7人。いずれも、ギリシャ典礼カトリックに属し、共産党独裁政権による激しい迫害下で殉教した。 ミサの説教で教皇は、ルーマニアのカトリック共同体が、かつて共産独裁と無神論のもとに信仰の自由を
実は俺「騎士」なんだーーウィーンに住んでいても、そんなことを友人に打ち明けられることはめったにありません。聞いてみると彼らが「君主」と仰ぐのは、かつての帝国を統治したハプスブルク家の末えい、現在の当主だといいます。どういうことなのでしょうか。そして騎士団の目指すものは。(ウィーン支局長 小原健右) かつてヨーロッパで隆盛を誇ったハプスブルク家の帝都ウィーン。豪華な宮殿や重厚な教会はその栄華を今に伝えています。 そのウィーンをことし4月、黒いマントを羽織った男たち500人が行進しました。彼らが向かったのは、街の中心部にある教会、シュテファン大聖堂です。 大聖堂ではある儀式が執り行われました。中心にいた人物の名はカール・ハプスブルク=ロートリンゲン。あのハプスブルク家の当主その人です。儀式はハプスブルク家の当主に忠誠を誓い、騎士団の一員として承認を受けるためのものでした。当主の前でひざまづく彼
日本では昔から共産党、共産主義に惹かれ、同党の躍進を願う人々が少数派だが存在していた。しかし、あくまでも進歩的文化人、知識人を自負する一部の国民に限られてきた。それがここにきて変わってきたというのだ。共産党の志位和夫委員長は安全保障関連法廃止を目指す「国民連合政府」を提案し、他の政党に連合を呼びかけている。共産党の甘い誘いに揺れる政党、政治家が出てきたというから、やはり問題視せざるを得ない。 ウィーンは地理的に共産圏と民主圏との中間に位置していることもあって、旧ソ連・東欧共産政権を身近に目撃できた。ウィーンに国連専門機関を含む30を超える国際機関の本部、事務局が存在するのは偶然ではない。東欧共産政権の動向をフォローしてきた一ジャーナリストとして、共産党の実態について、少し述べたい。なぜならば、共産党を“誤解”している日本人が案外多いからだ。 北アフリカ・中東諸国から多くの難民が“乳と密の流
ノルウェー北部の都市トロムソにあるトロムソダーレン教会。「北極教会」の名で親しまれている(写真:Henrik) AFP通信によると、ノルウェー国教会(ルター派)は8月15日、教会員名簿を整理する目的で、教会員としての登録をインターネット上で選択できるウェブサイトを公開した。サイト公開後、教会籍を抜くことを希望する人が相次ぎ、同教会によると、同18日までの4日間に1万5053人が同教会を去った。また、実にその大半を占める1万854人が、初日の15日に教会籍の取り消しを選んだという。 教会員名簿から突然に大量の名前が抹消されるという緊急事態に、ノルウェー国教会の執行機関である「全国協議会」のクリスティン・ガンレイクスルド・ラーウム代表は、同教会のウェブサイトで声明を発表。ノルウェー国教会は今後も、新しいオンラインシステムに関して透明性を保ち続け、もはや教会の一員であることを望まない教会員に対し
難民拘束センターを訪れた法王16日、トルコからゴムボートで渡ってきた難民が拘束されているギリシャ・レスボス島の「モリア難民拘束センター」を訪れたローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は次のようにツイートしました。 「難民は数字ではありません。彼らは顔や名前、それぞれの物語を持った人間なのです。だからそのように待遇される必要があります」 その言葉には難民に門戸を閉ざした欧州連合(EU)への批判が込められています。ローマ法王フランシスコのツイッターのフォロワーは910万9275人です。大きな影響力があります。 3月19日には写真や動画の共有アプリ、インスタグラムに公式アカウントを開設(フォロワーは230万人)しており、そこにもレスボス島訪問の写真を投稿しました。バチカン放送などの報道をもとにレスボス島でのフランシスコの言動を追ってみました。 トルコ対岸のレスボス島は難民の上陸地になっており、
フランス東部で21日、男が「アラーは偉大なり」と叫びながら、車を運転して通行人をはね、11人がけがをしました。 フランス東部のディジョン中心部の路上で21日夜、男が運転する乗用車が通行人を次々にはねて合わせて11人がけがをし、このうち2人が重傷だということです。 男は駆けつけた警察に現場付近で取り押さえられ、取り調べを受けていますが、目撃した人は男が車を運転しながらアラビア語で「アラーは偉大なり」と叫んでいたほか、「パレスチナの子どもたちのために行動を」などと繰り返していたと話しているということです。 フランスでは、前日の20日にも中部のトゥール近郊の町で、フランス人の男がやはり「アラーは偉大なり」と叫びながら、警察署で警察官にナイフで切りつけ、3人にけがをさせたあと射殺される事件が起きたばかりです。 フランス政府は、イスラム過激派組織イスラム国を攻撃するため、イラクでの軍事作戦にいち早く
英紙「デイリー・メール」の10日付報道によると、一部の欧米の女性が信念や刺激を求めて、過激派組織「イスラム国」に参加したものの、興奮感や新鮮感が消えた後、このような生活には飽きてしまい後悔している。だが結婚や妊娠を迫られたり組織の規律に束縛されたりして故郷に帰れない。 【その他の写真】 17歳のサムラ・カシノビックさんと15歳のサビナ・サイモビックさんはオーストリアのウィーンで生まれ育ち、2014年4月にシリアに渡航し、「イスラム国」に参加し、同組織のイメージキャラクターとなって、現地の生活を誇示する写真をソーシャルサイトに常に投稿していた。 オーストリアの警察によると、2人はすでに過激派組織の兵士と結婚して妊娠中だという。オーストリアメディアは国家安全当局の情報筋の話を引用し、2人はシリア北部都市のラッカに住んでおり、家族と連絡を取り、家に戻りたい意思を伝えたと報じた。 フランス
人の手で悲劇が引き起こされてしまったとき、加害者はもとより、ときには人類そのものに対しても怒りの念を抑えることは難しい。しかし、そうした酷い状況においては「許す」ことこそが、心を解放し、明るい未来につながるということを、先人たちの知恵が教えてくれている。 だが人は簡単に恨みに取り憑かれてしまう。なぜなら許すよりも恨むほうが簡単で楽だからだ。それゆえにこれから紹介する25人が見せた許しにはきっと驚かされることだろう。 25. 町を大破した日本人兵を許したブルッキングズ町の住人 この画像を大きなサイズで見る 第二次世界大戦の最中、旧日本海軍の藤田信雄は首脳部による単独命令で、オレゴン州の海岸沿いを爆撃した。(この辺の経緯はアメリカで伝えられているものと日本とで差があるようなので、詳しくはwikipediaを参照のこと)終戦後、藤田は爆撃した森に囲まれた小さな町ブルッキングズを訪れ、住人に許しを
2014年3月20日、バチカン市国の公式プレスルーム「サラ・スタンパ」で記者会見が開かれ、同国がある契約に調印したことが発表された(写真1)。契約書の署名者は、ジャン=ルイ・ブルーゲス バチカンローマカトリック教会記録・図書担当大司教とNTTデータの岩本敏男代表取締役社長だ(写真2)。会見には、バチカン図書館のチェーザレ・パッシーニ館長、NTTデータの岩井利夫常務執行役員公共システム事業本部長などが列席した。 右から、チェーザレ・パッシーニバチカン図書館長、フェデリコ・ロンバルディバチカン市国公式プレスルーム担当、ジャン=ルイ・ブルーゲスバチカンローマカトリック教会記録・図書担当大司教、NTTデータの岩本敏男代表取締役社長、NTT DATA EMEAのパトリツィオ・マペリCEO(最高経営責任者)、NTTデータの岩井利夫常務執行役員公共システム事業本部長。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く