戦争体験のない人でも2人に1人が体験談を聞いていることが、毎日新聞社と埼玉大学社会調査研究センターが行った時事問題世論調査「日本の世論2014」で分かった。20代は6割が体験談を聞いたことがなかった。日本の人口の8割は戦後生まれになり、来年は戦後70年。戦争体験の継承の仕方を考える時期にきている。 回答者のうち、戦争を体験した人は14%、していない人は85%。体験していない人に「太平洋戦争を実際に経験した人、もしくは、親や祖父母から体験談を直接聞いたことがありますか」と聞いたところ、53%が「聞いたことがある」と回答した。「聞いたことはない」は46%だった。 年代別では、40代〜80歳以上で「ある」は過半数、最多は60代の62%だった。大半の親が戦後生まれとみられる30代は「ない」57%に「ある」43%と逆転し、20代は「ない」60%、「ある」39%。「ある」人の27%が、「不安に思っ
◇10月15日から京都国立博物館で初公開 江戸時代末期の1862(文久2)年に皇女和宮(かずのみや)(1846〜77)が徳川第十四代将軍・家茂(いえもち)(1846〜66)に嫁ぐ際、徳川将軍家が天皇家へ献上し、その後所在不明だった名刀「島津正宗」が約150年ぶりに確認された。個人所蔵となっていたが、2013年度に京都国立博物館へ寄贈された。「名工中の名工」といわれる正宗作とされ、専門家も「国宝級の名刀」と評価。10月15日から同博物館で初公開される。 江戸時代中期に八代将軍吉宗が刀剣の鑑定や研磨を生業とする本阿弥(ほんあみ)家に編集を命じ、その後刀剣の評価基準となった「享保名物帳」には「島津正宗」の名が見え、長さ「二尺二寸七分」と記載。また、1919(大正8)年に発行された「刀剣名物帳」には和宮降嫁の際、徳川将軍家が島津正宗に金千両を添えて天皇家に献上したと記されている。無銘で、名前の
2013年05月28日22:25 カテゴリその他 自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言 慰安婦問題には物的証拠は何もなく、彼女たちの「証言」が唯一の根拠だ。しかしNYタイムズのタブチ記者などは、いまだに記者会見で橋下徹氏に「慰安婦が嘘つきだというんですか!」などと詰問しているので、彼女たちが嘘つきであることを証明しておこう。 橋下氏に面会するといって来日しながら、なぜか直前にキャンセルした金福童(87)と吉元玉(84)の2人は、大阪市内で開かれた集会には参加した。朝鮮新報によれば、「金福童さんはまず、14歳の時に軍需工場に連れて行くと騙され、南洋群島の戦場に慰安婦として送られた」という。彼女の証言は次のようなものだ。最初、中国・広東の慰安所に入れられた。そこには陸軍司令部の本部があり、私たちは将校と軍医官に身体検査をされ、すでに用意してあった部屋に行かされた。日本政府は『自分たちがやったことで
レスリング除外候補のワケ 歴史とロビー活動に負けた?
震度6クラスの地震で損壊の恐れがある太陽の塔=大阪府吹田市の万博記念公園で2011年7月7日、熊谷豪撮影 大阪府吹田市で70年に開催された大阪万国博覧会のシンボル「太陽の塔」が、震度6クラスの地震で損壊する恐れのあることが分かった。管理する日本万国博覧会記念機構によると、長さ25メートルの腕の部分が変形し、上部にひび割れが生じるという。万博機構は耐震補強工事を実施し、中止している内部公開を再開したい考え。近く工事設計に着手する。 塔は、今年生誕100年を迎えた故岡本太郎氏の代表作で、高さ70メートルの鉄筋・鉄骨コンクリート製。空洞になっている内部には、生物の進化を表現したオブジェ「生命の樹(き)」(高さ41メートル)があり、万博開催当時、来場者はエスカレーターや、らせん階段を使って見学した。万博終了後も残されたが、出入り口は閉鎖されている。 内部の見学を希望する人が多く、万博機構は03~0
東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津
◇「琉球併合に国際法上の根拠はない」 学者ら論文、06年以降20本 沖縄に対する中国の権利が今もある--。こんな刺激的な主張が最近、中国の歴史学者の間で有力になりつつある。沖縄がかつて琉球王国時代に中国との交易で栄え、中国に従属する地位にあったことを根拠にしている。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で日米同盟が揺らぎ、沖縄と日本政府の関係もぎくしゃくする中、中国では「沖縄を返せ」の声が強まっている。【「安保」取材班】 昨年12月、北京。中国人歴史研究者らによるシンポジウムが開かれ、「明治政府による琉球併合(1879年)も、戦後の沖縄返還(1972年)も国際法上の根拠はない」との主張が繰り返された。主催者の一人、徐勇・北京大教授は、日中関係史が専門で、日中歴史共同研究の中国側委員も務めた有力研究者だ。 沖縄の「日本帰属」を支持するこれまでの中国の公式見解を覆す主張だ。上里賢一・琉球
織田選手のメダル獲得を期待して清洲城前で気勢をあげる人たち=愛知県清須市で2010年2月19日午前、渡辺隆文撮影 バンクーバー冬季五輪・フィギュアスケート男子のショートプログラムで4位に付け、フリーでメダルを目指す織田信成選手は、戦国武将、織田信長の末裔(まつえい)としても知られる。本能寺の変(1582年)で信長に謀反を起こした明智光秀や、戦国時代に覇を競った武田信玄など他の戦国武将の子孫も、織田選手の“天下取り”に熱い視線を送る。 「死に追いやった側なので、織田家には引け目を感じてきた」。光秀の子、於寉丸(おづるまる)の血筋を引くという横浜市の会社役員で歴史研究家の明智憲三郎さん(62)は話す。「本能寺の変がなければ、徳川家でなく織田家が天下を取ったかもしれず、道を閉ざしたことは申し訳ない。織田選手にはバンクーバーで天下を取ってほしい」とエールを送る。 これに対して神奈川県相模原市の元公
元自民党幹事長、野中広務氏を囲むシンポジウム「闘いとしての政治/信念としての政治」(東大情報学環主催、毎日新聞社、NHK出版後援)が、このほど開かれた。「古い自民党」の政治家ながら、特異な位置を占める野中氏の歩みは、揺れる鳩山民主党政権下の今、どんな意味を持つのか。野中氏の基調講演、野中氏と姜尚中・東大教授、映画監督・作家の森達也氏の討論を抄録し、司会の北田暁大・東大准教授に解説を語ってもらった。シンポの全容は、3月末発売予定の『思想地図』第5号(NHK出版)に掲載される。【構成・鈴木英生、写真・梅田麻衣子】 ◇野中氏の基調講演 ◇被差別、戦争体験、政治家として52年2カ月、筋を曲げずに歩めた 私は1925年10月20日、被差別部落で生を受けました。慈愛の深い両親に旧制中学へ入れてもらい、43年4月に大阪鉄道局に就職した。 45年3月に召集された高知の部隊の近くには、特攻隊がいた。私より若
ページを開いて「えーっ!!」っと、驚いたのは、先週の月曜日、毎日新聞の特集「アメリカよ 新にっぽん論 〜台頭する現実主義〜」の特集だった。なんと平日の月曜日だというのに、巻頭、3面、そして14、15面に「対米・揺れた戦後論壇」という見出しで、見開きカラーの大特集を組んでいる。まあ、これはスキャンした紙面を見てもらえればいいのだが、新聞の見開きの縦割り3分の一を使った「対米・揺れた戦後論壇」特集の戦後論壇変遷図が非常にわかりやすくて、ああ、こういうのが欲しかったんだよ、ほんと、とか、職場で欣喜雀躍してしまった。正直、小熊英二の「民主と愛国」を読んでるときに欲しかったな。 記事の文字部分は下記のリンクで読めるので、参考に、どうぞ。まあ、図を見ていて非常にわかりやすいと思うのは、左派的な、もしくはリベラルな理念というものがどんどん衰退し、ポストモダンやら現実主義、そして最後は歴史見直し派の登場に
「大体、日本人があんなことをしなければ……」。元兵士はようやく言えたという顔をした。1941年12月の旧日本軍による真珠湾攻撃のことだ。「アメリカは参戦せず、我々は勝てたんだ」 ローマ南方の海辺の町ネットゥーノに暮らすサンテ・ペリッチャさん(85)は連合軍と独伊軍が激突した42年のエジプト戦線、エル・アラメインの戦いの生き残りだ。独伊軍は兵員で13倍、戦車数で70倍もの敵と戦い、2300人の犠牲者が出た。 当時19歳だったペリッチャさんは穴に隠れ、敵の戦車を地雷や火炎瓶で襲う体当たり攻撃を続けた末、捕まった。部隊340人のうち残ったのは80人だった。 「人は簡単に、静かに死ぬ」「英国人はずるいね。自分たちは戦車に乗り、歩兵はアフリカやアジアの植民地人にやらせていた」。戦場や虐殺などを目にした人によくあるが、実体験を淡々と、時に冗談交じりに語る。 「日本軍もそのころ」と口をはさむと、険しい顔
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