【秋本俊二のエアライン・レポート】臨時便を東北へ! 逃げ遅れた乗客を「3.11」直後から輸送しつづけたジェイ・エアの物語(下)東日本を巨大地震が襲った2011年3月11日は、金曜日だった。ジェイ・エアの社員たちは翌日の土曜日も、そして翌々日の日曜日も出社し、東北への便を飛ばしつづける。3.11の翌日から臨時便を設定し、2日後には臨時便4本、定期便4本の計8本を伊丹/羽田と山形のあいだで運航した。彼らは当時、何を思い、具体的にどう動いたのか──。 社長として同社を率いた山村毅氏(現 JAL執行役員・貨物郵便本部長)が語る。 前回のレポートはこちら>> 大震災直後、東北に臨時便を飛ばし続けた航空会社、その日のトップの決断 東北の空港はほぼ機能せず、現場は自転車操業に震災直後は、東北のほとんどの空港が機能せず、使えたのは山形だけだった。出張などで東北を訪れていた人たちが「山形まで行けば帰れるかも