前節までに引き続き、この箇所はバビロン捕囚を経験している民に対して語られた解放の福音です。預言者は捕囚の民の苦しみ、彼らの心の片隅にずっと引っかかっていた疑問を、誰よりも知っていました。遠く祖国を離れ、異郷の地で生きていたイスラエルの民は、主への信頼、主の救いが見えなくなっていました。それ故、27節において次のような呟きの言葉を口にしました。 わたしの道は主に隠されている、と わたしの裁きは神に忘れられている、と その思いは預言者自身にもあったかもしれません。預言者は彼らと苦しみを共にして生きていましたので、捕囚の民から超然とした感情を表すことができません。 しかし、預言者は、イスラエルの民が人間として、一つの民として、あらゆる力と可能性をはぎ取られた状態にあるにもかかわらず、今、解放されようとしていると語ることができました。この預言をした第二イザヤにその確信を与えたのは、創造信仰です。第