以前にブログでご紹介しましたが、朝鮮侵略の首魁と言われた伊藤博文を射殺した独立闘志・安重根を描いた朝鮮の映画-「安重根 伊藤博文を撃つ」の、関西での上映が好評の中で終えたといいます。大阪と京都で上映したのですが、今度は横浜で上映すると言います。 一昨年から朝鮮映画を、一般の映画館で上映する運動を行っている「朝鮮映画を劇場で見る会」が、日本での朝鮮の映画著作権の管理を任されているカナリオ企画の小林正夫氏からの提供を受けてのことです。 小林氏は朝鮮の映画著作権を認めずに、平然と朝鮮の映画から一部を抜き取り、バラエティー番組などでのニュースのコーナーで無断で使用するという、明らかな著作権違反を公然と行ってきた日本TVとフジTVを相手取り、現在、朝鮮の著作権を認め、それを無視して無断使用したことを謝罪し、損害賠償をすべきだとして裁判を行っています。裁判は一審敗訴、二審逆転勝訴、そして現在最高裁にま
2011年05月30日 デモを主催するということについて 私は、複数の個人や集団がその「立場」ないし「意見」を表明しあい、議論して共通の意思を形成してゆくというようなことが、政治のモデルとしてどこまでも普遍的であらゆる場面で有効だとは必ずしも考えない。しかし、あちこちで運動をめぐって発されている言葉には、自らがなそうとしている行為の意味について余りに考えられていないように思われるものが多い気がするので、以下のような文章をまとめようと思った次第……。 もっとはっきり言えば、直接的なきっかけは、デモに参加しようとする人間を単なる頭数としか考えていない、人を馬鹿に仕切ったやつがデモを主催していること(あるデモの「主催者」を名乗る人間がそういう人間であること)を知ったことへの怒りである。 ***** デモがある集団に主催されるというのはどういうことか。 まず、デモを主催するということは、あ
<この国はどこへ行こうとしているのか> ◇科学技術に退歩はない--文芸評論家・吉本隆明さん(86) 雨がポツリポツリと降るなか、路地奥の行き止まりに自宅はあった。案内されて和室で座布団に座ると、隣には白い猫が1匹。吉本さんは四つんばいで現れた。糖尿病や前立腺肥大、足腰の衰えなどで、体が不自由な状態にある。日本の言論界を長年リードした「戦後最大の思想家」は、そのまま頭が床につくくらい丁寧なお辞儀をした。白内障の目はこちらをまっすぐ見つめていた。 東日本大震災の取材で歩いた現場を「焼け野原にも似た光景でした」と伝えると、聞こえにくくなったという耳に神経を集中させていた吉本さんは静かに語り出した。「おっしゃったような光景から東京大空襲を思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。煙に目をやられた人々がトボトボ歩き、周囲には遺体が転がっているだけでどうにもならない。逃げた方向によって全滅に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く