天野 洋志穂(あまの よしお、本名:金 政基(김정기[1])、1940年7月13日[2] - )は、大韓民國のヤクザ、指定暴力団・六代目山口組若中、天野組組長、天野会初代会長、元宅見組副組長、元波谷組舎弟、旧菅谷組若中。 来歴[編集] 三代目山口組系菅谷組で菅谷組長の護衛を務めていたが、1981年に菅谷が引退して同組が解散したことから、菅谷の舎弟だった波谷守之の率いる波谷組に舎弟として加入した。 1990年に起きた波谷組と五代目山口組 弘道会との「山波抗争」が終結した後、山口組若頭・宅見勝率いる宅見組に移籍し、同組副組長を務めた。1997年8月に宅見が中野会に暗殺されると、同年10月に発足した二代目宅見組には加わらず、他の最高幹部と共に1998年10月に「天野組」を結成し組長に就任。岸本組預かりを経て1999年3月、山口組直参に昇格し、同年12月に組長・渡辺芳則から盃を受けた。 二代目宅見