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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (25)

  • 危機コミュニケーション覚え書き - レジデント初期研修用資料

    未知状況で安心を伝える 原発災害の当初、情報が錯綜して、不安になった。そんな頃に発信された、日の原発についてのお知らせ という、英国大使館の現状に対する見解をまとめた文章を読むことで、大きな安心感が得られた 「ワーストシナリオとその対策を語る」こと、「今公開されている情報を吟味して、そこから導かれた見解を述べる」こと、「今までに発生した「当の最悪」との比較を行ってみせる」ことが、未知の恐怖におびえている状況を安定化させるのだと思う 「大丈夫だ信じろ」という言葉では、安心感が得られない。「ワーストはこうだ。対策はできる」と言われると安心できる 「安全な最小値」と比較して何倍、という表現は安心につながらない。「当の最悪と比較して何分の一」という言い回しは、同じ大きさを表現するにしても、安心感がある 根拠を示さずに「大丈夫です信じて下さい」を繰り返す人は信頼されない。すでに公開されている情

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    usadamasa 2011/03/28
    "報告するときには順番が逆になる。最初に報告されるべきは「戦果」でないといけない。それを聞いて安心できないと、戦略には耳を傾けてもらえないし、そもそも兵站要素というものはつまらないから、興味を持たれな
  • 炊事のロジスティクス - レジデント初期研修用資料

    大学時代の6年間、そもそも外できるところがない田舎だったから、ずっと自炊をしていたけれど、今から思うと、あれは自炊ができていたとは言えなかった。 冷蔵庫にあるものを眺めて、とりあえずべられる何かを作る、あるいは料理を眺めて、材料を揃えて何かを作ることならば、当時の自分にだってできていた。ところが気がついたら冷蔵庫は空っぽだったり、料理を眺めて、材料をそれから買い出しに行く必要があったり、そうした遠回りは、6年間変えられなかった。 「できる」の深度 そこにある材料で、一人分のご飯を作れる人は珍しくない。1年間を通じて、そこそこバランスのとれた事を作れるだけの材料を、常に「そこ」に準備しておける人はほとんどいない。 手段が容易であることは、運用が容易であることを意味しない。手段にどれだけ通じたところで、運用の考えかたは、もしかしたら出てこない。 映画では、スタローンやシュワルツェ

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    usadamasa 2011/03/07
    "豚肉だったら、肉の塊を買ったとして、どうやってそれを保存して、どうやって使い切ると飽きずに食べられるのか、それをやるには他にどんな材料が必要で、どのタイミングで買い出しに行けばいいのか。"
  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

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    usadamasa 2011/02/26
    "恐らくはたぶん、「ボタンは誰でも押せます。累計で10人の人がボタンを押すとジューサーが回ります。その代わり、10人のうち1人だけ、押した人の氏名が公開されます」という但し書きが、金魚の生存確率を高めてくれる
  • 食器洗い機とオーブンレンジを一体にしてほしい - レジデント初期研修用資料

    単なる合体ではなくて、全自動洗濯機みたいに、同じ空間を違った目的に利用できるようなやりかたで。 レンジの掃除は面倒 オーブンレンジがあると、料理はたしかに便利になって、焼き物なんかはいかにもおいしそうに仕上がる。 あれはたしかに「いいな」と思うんだけれど、その反面、料理を終えたオーブンレンジは油汚れがどうしてもあって、 あれを洗うのはなかなかに大変そうで、結局フライパンに戻ってしまう。 ガスレンジを買うと、最近のはたいてい、真ん中にグリルが付いてくる。 ガスレンジのグリルはとても巧妙に設計されているらしくて、メーカーの人にいわせれば、あれを使って鳥を焼いたら、 他の調理器具はちょっと考えられないと勧められたのだけれど、それをやったあと、グリルを掃除するのが当に大変。 グリルで鳥を焼くと、たしかにきれいに焼けるんだけれど、グリルというのは、言ってみれば小さなガスコンロをトンネル状に並べたも

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    usadamasa 2010/12/28
    "お互いの機能は異なっているけれど、お互いに時間を共有することはないはずだから、両者は一体化できる。"
  • 道徳とルールの間 - レジデント初期研修用資料

    少し前、警察の任意取り調べにおける録音は、是か非か? という議論が話題になっていた。 法律家の卵(?)の人が、取り調べの現場に録音機を導入することの弊害を説いて、「そんなことはない」という突っ込みを受けて、 ちょっと盛り上がっていた。 道徳とルールには溝がある 世の中にはたぶん、「道徳」が好きな人と「ルール」が好きな人とがいて、両方とも、同じところを目指しているわりに、お互いの溝はけっこう深い。 くだんの議論で録音機の弊害を説いていた方は、恐らくは正義感が強い人であって、録音機という、「人間は必ず嘘をつく」ということが半ば前提になっている機械を 仕事場に持ち込むことに対して、嫌悪感みたいなものを持っているのだと思う。 一方で、録音機というものは、米国司法の現場であったり、「言った言わない」が問題になる仕事の現場では、もはや当たり前のように用いられている 道具でもあって、どんな業界であっても

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    usadamasa 2010/12/27
    "警察の仕事は、 その場に正義を実現することではなくて、とりあえず状況を止めて、お互いの勢いや気迫を殺して、両者の言い分を聞いて記録して、 警察の見解に基づいた、問題を解決するための暫定的な方針を提供する
  • フィクション欠乏症について - レジデント初期研修用資料

    「大人になること」というのは、「何かに飽きる」ことと同義であって、ある分野に対して飽きることに失敗したまま、 資金力や実行力ばかりが身についた「大きな子供」は、しばしば暴走して、とんでもないことをしでかしてしまう。 オカルトの摂取は大切 たとえばオカルトを恒常的に摂取している人たち、今でもムーを欠かさない自分みたいな人間は、オカルトというものを楽しみこそすれ、 それを心から信じ込んだり、何かのオカルトグッズに全財産をつぎ込んだりといった行動は、逆に出来ない。 オカルトがどれだけ魅力的でも、20年もつきあっていれば飽きが来るし、人間の想像力には限界がある以上、 オカルトマニアがどれだけ想像力を駆使したところで、新しい神秘はなかなか出てこないものだし。 「飽き」という現象は、恐らくはオカルト以外のどんな分野にもあって、力を持てない子供のうちに、そうした極端なフィクションをたくさん摂取して、 そ

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    usadamasa 2010/12/23
    "魅力に対して距離を置くためには、どうしてもそれに「飽きる」必要があって、暴走しないで飽きるためには、力のない子供の頃に、 そうした「下らない」フィクションを、十分量摂取することは欠かせない。"
  • 「ちゃんと」のコスト - レジデント初期研修用資料

    何かものを作るときには、「シンプルなやりかた」と「複雑なやりかた」とが選べることがあって、 「ちゃんとやれば」同じ結果がシンプルに達成できるやりかたを選んでしまうと、「ちゃんと」のコストが、 構造の複雑さを上回ってしまうことがある。 「単純な機能を達成するために単純な構造を採用する」ことは、基的には正義なのだろうけれど、 単純な構造とトレードオフになっているものが何なのかを見極める必要があって、 それが「精密な加工技術」だとか「名人芸的な設計技術」であった場合、その考えかたに乗っかると失敗してしまう。 機関銃 機関銃には、銃弾の反動を利用した「ショートリコイル方式」と、火薬のガスを利用した「ガスオペレーション」方式とがあって、ショートリコイル方式のほうが部品点数が少ない。 マキシムの機関銃だとか、ブローニングの軽機関銃はショートリコイル方式で、この構造は比較的単純なのだけれど、 ショート

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    usadamasa 2010/11/11
    [for:@twitter]ところが壁というものには、内側の見栄え品質、中心部分の断熱性、外側の防御機能といういくつもの機能が求められて、 こうした機能をモルタル一つで実現するためには、職人芸的な技能がいる。
  • 泳ぎかたと溺れかた - レジデント初期研修用資料

    当に溺れている人は、溺れているというよりも、むしろ静かに沈んでいく ものなんだという。 それを体験したことのない人が「こうだろう」と想像したことと、実際それに遭遇したときに起きることは しばしば異なっていて、見張る側は、もちろんそれに気をつけたり、実際に起きることに即した対策を 行わないといけないのだけれど、「溺れる側」の人は、泳ぎを習うその前に、「正しい溺れかた」の 講習を受けてもいいんじゃないのかなとも思った。 泳ぎかたと溺れかた 高校の体育の授業では、柔道とラグビー、スキーについては、それぞれ受け身のやりかたや、タックルをもらったときの転びかた、 スキーを履いた状態での転びかたを、まず真っ先に習った記憶がある。小学校の頃、近所にスイミングスクールがあって、 泳げなかったから、一時期通ったのだけれど、「溺れかた」というものは、習わなかったんじゃないかと思う。 運転免許を取ったばかりの

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    usadamasa 2010/09/20
    [for:@twitter]「これをやらないと確実に失敗する」何かを 指摘することはできるけれど、正解のない問題に、「こうだ」と無理矢理正解を決めたところで、 それに合わない人にとっては、その正解は、むしろ成功を遠ざける
  • 不自由な言葉は話が通る - レジデント初期研修用資料

    楽天の社内公用語が英語になった という記事を読んで考えたこと。 あえて「みんなが不自由な言葉を使う」ことで、得られるものというものが、案外たくさんあるんじゃないかと思った。 日語は誰もが得意 楽天は日の会社で、勤めている人のほとんどは日人だろうから、日語を使いこなすのが上手な人は、きっと多い。会社という場所、あるいは会議という場所で必要なのは利害のすり合わせだから、「得意な言葉」でそれをやると、誰もが言葉を飾ろうとする。 たとえば何かのプロジェクトがあって、投資した金額に見合った利益が得られなくても、官僚の人なんかはしばしば、「経済効果」なんて言葉を使う。お金を入れて、資金が回収できなくて、それを一言で表現すれば「失敗」なんだけれど、得意な言葉で失敗を語ると、「このプロジェクトがもたらした無形の経済効果は、きっと将来我々にとって、多大な利益をもたらしてくれるものと期待しています」な

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    usadamasa 2010/06/16
    [for:@twitter]得意な言葉の奥深さみたいなものが、話を不必要に分かりにくくしている側面というのがたぶんあって、言葉を飾らない、言葉をひねらない、最小限の語彙で、阿呆でも分かる会話を心がけるルールが徹底される
  • 未来から道筋を探す - レジデント初期研修用資料

    チームで何かを生み出すときには、「こんなものを作りたい」という目的と、もう一つ、「それが達成された未来」のビジョンを、なるべく具体的に語れるように思い描いておくと、意思統一がしやすい。 方向要素と距離要素 「こうしたい」と、「それでさらにどうなってほしい」とを想定して、それを共有することで、リーダーがどういう思考に基づいて「こう」を目指したのか、点が2つ作れると、方向と、飛躍の距離を測定することができるから、議論が収斂しやすくなる。 「こうしたい」という目的だけだと、恐らくは「その先」が拡散する。そこに至るまでの道筋も、方向が共有できないから、議論が拡散してしまう。 「こうしたい」と「その先」とが決定できると、今度は恐らく、「その先の未来」から、まだ何も始まっていない現時点に至るまでのロードマップが描ける。道筋が、叩き台として議論の場に登場するから、何が実現可能で、自分たちに何が不足してい

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    usadamasa 2010/05/18
    [for:@twitter]「それが実現したとして、それで何をやりたいの?」とその先の未来を尋ねて、その人の思い描くビジョンに納得がいかなかったら、「こんなこと」がどれだけ魅力的なものに思えても、チームは上手く行かない
  • はじまりの物語 - レジデント初期研修用資料

    魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 というWeb 小説を読んだ感想文。以下、「まおゆう」と略す。 学ばなくても社会は回る 自分は今でこそ、経済の視点を絡めた文章を時々書いているけれど、2005年頃までは、経済学に興味がなかった。 経済学の入門書だとか、教科書なんかに手を出したのはここ数年で、数年かかってようやく、何となく「経済学的な」ものの見かたみたいなのが身についた。それが学問としてどこまで正しいのかは、ちゃんと学んだわけじゃないから、検証のしようがないのだけれど。 2006年頃、ネット上ではいろんな人たちが経済を語っていたし、経済学的な視点というものの実例は、当時からいくらでも目にすることができたけれど、それを学んでみたいだとか、経済の視点で世の中を眺めて、果たして何が見えてくるのか、そういう想像も働かなかった。現代社会はすでに経済の考えかたで回っていて、回っている現状を

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    usadamasa 2010/05/14
    でも、「どうしてそういう悪いことが、それでも世の中では普通に行われているのか」を教えられる機会はなかったし、それを教えるのは、きっと難しい。
  • 根暗な報酬のこと - レジデント初期研修用資料

    ある日のテストが60点で、頑張って次回80点取れた子供がいたとして、その子はたぶん、「20点増えた」という喜びと、「20点分見下せる奴が増えた」という、根暗な喜びとを、報酬として体感することになる。 努力や頑張りの報酬には、明るく表明できるものの裏側に、必ず根暗な何かがセットになっている。人を誘ったり、説得するためには、もちろん「明るい報酬」を前面に出さないといけないのだけれど、報酬には、常に根暗な側面がセットになっていて、そのことに自覚的でないと、どこかで上手くいかなくなるような気がする。 「明るい報酬」は希望を生むけれど、「根暗な報酬」は、自意識の地盤を固める。脆弱な地盤の上に、希望のお城を打ち立てて見せたところで、お城が大きくなるに連れて、いつかは地盤ごと、お城が倒壊してしまう。 自尊心の不足で疲労する 新しい学問だとか、仕事を立ち上げるときにけっこう大切なのは、「そこで働く人が自尊

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    usadamasa 2010/05/12
    [for:@twitter]こういうのはたぶん、「仕事がきついから」疲れるのとは別に、そこで働いていても、自尊心が摂取できないから疲れてしまう要素というのがあるんだと思う。
  • たくさんの人としゃべるための道具

    ネット上で「を買ったよ」という声をかけてもらったときには、できる範囲で、それに反応していこうなんて考えてる。 自分が今回出したというのは読者が限定されているし、インターネット以外の告知をほとんど行っていないから、それが最大限売れたところで、その数はたぶん、頑張れば個人の範囲でどうにか手に負える。ネットに散らばった声を集めたり、話を聞かせていただいたり、あるいはこちらからお礼を言わせてもらったり、1000人ぐらいまでだったらたぶん、どうにかなる。 Twitter は便利 Twitter という道具は、言ってしまえば電子メールの劣化コピーみたいなもので、短いメッセージを、宛先をくっつけて誰かに送ったり、あるいは宛先なしで、ネットに公開したりが自由にできる、ただそれだけの道具なんだけれど、「1000人ぐらいまでの不特定多数の人と会話がしたい」なんて考えたときに、電子メールとのわずかな差という

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    usadamasa 2010/04/15
    [for:@twitter]Twitter はよく落ちて、それは電子メールの劣化コピーにすら見えるだろうけれど、これから1000人ぐらいの人と会話をしようなんて考えたときには、これほどありがたいインフラはちょっと見当たらない。
  • 「もしも」の運用 - レジデント初期研修用資料

    あえて遠回りな問いを立てることで、より近い回答を得るやりかたについて。 たとえば「素人が3分間で朝青龍に勝てるやりかたを教えてください」なんて、格闘家の人にインタビューを行ったところで、たぶんたいした返事はもらえない。 それはそもそもが無理な問いだから、「無理」だとか「逃げろ」なんて返事ならまだいいほうで、「死んだ気で戦え」だとか、「素人でも余裕です」だとか、どうせ冗談にしか聞こえない、こんな問いには、いいかげんな答えしか返ってこない。 ところが「もしもあなたの息子さんが、今から3分後に朝青龍と戦わなくてはならなくなったら、あなたは3分間で何を伝えますか?」という質問を、いろんな格闘家に答えてもらったら、もう少し面白い返事がもらえるのだと思う。 「もしも」の状況に陥った息子さんに対して、たとえば格闘家としての自分のありかたを説く人もいるだろうし、とことん逃げるやりかた、「勝ち」というものの

  • 理解は押しつけから始まる - レジデント初期研修用資料

    理路整然と、病気のことを患者さんにしゃべり倒しても、「理解」を得るのは難しい。どれだけ詳しくしゃべっても、患者さんからは「お任せします」なんて終結宣言がでて、伝わっていると思ったことは、全然伝わっていなかったりする。 「それは要するに、こういうことなんですね」なんて、患者さんの口から発せられる「要するに」をお互いに共有する、理解の方法論。 誰も病気のことなんて知りたくない 主治医は病気の専門家だから、患者さんの状況に応じて、今どんなことが推定されて、それに対してどういう手段を考えているのか、教科書的に正しいことを、系統だって語ることができる。実はこれが「できる」人すら少ないのが問題といえば問題なんだけれど、一応できることになっている。 ところがたぶん、患者さんだとか、ご家族の多くは、「系統だった」話を聞いて、それを理解であると認識しない。知りたいことの重要度は、個人によってまちまちで、たと

  • 交渉における補給の問題 - レジデント初期研修用資料

    恐らくは自尊心というものが、交渉における通貨になる。 「あの人はプライドが高い」という表現に出てくる「高さ」という考えかたは、お金で言うと「気前の良さ」や「お金の使いかた」みたいなものであって、高い低いだけでない、当はもっと複雑なものなんだろうと思う。 補給というもの べ物だとかお金の問題、「補給」というものは大切なのに、戦争が始まると、たいてい真っ先に無視される。無視されて地味なのに、補給を無視した軍隊は、必ず負ける。 医療の技術や診断能力、自分たち医師の「熱意」だとか、「能力」に相当するものは、これは戦争で言ったら「武器」する。見た目が派手で、能力はみんな磨きたがるのに、補給はしばしば無視される。 病棟で「補給」に相当するものは、たとえばその日勤務している看護師さんたちの人数だとか、勤務シフト、人間関係みたいなものなんだと思う。こういうものは来、「医師の関与するところではない」し

  • 高重圧環境で正しく振る舞う - レジデント初期研修用資料

    プレッシャーの大きい状況で、普段どおりの振る舞いかたをするのに必要なもの。 若い患者さんを見るのは怖い そもそも当は、そういう「差別」みたいなのがあってはならないんだけれど、「怖い患者さん」と「そうでもない患者さん」というのは、どうしたって存在する。 たとえば97歳の、もう5年ぐらい寝たきりで、呼びかけたってもう3年ぐらい返事をしないような高齢の患者さんが紹介されて、その人がたとえば重症の肺炎であったとしても、診察するほうは、そんなに怖くない。高齢で、重症だったら、もちろん生命にかかわることだって十分あり得るんだけれど、やるべきことをやって、よしんば経過が良くなかったとしても、ご家族はたぶん、それなりに納得してくれるだろうから。 これがたとえば、30歳ぐらいの元気な人が、細菌性の扁桃腺炎なんかでべられなくなって入院したりするのを見るのは、ものすごく怖い。若いし元気だからこそ、たぶん教科

  • ゼロに戻すためのコスト - レジデント初期研修用資料

    著作物やゲーム、乗用車みたいな工業製品、あるいは農作物やペットに至るまで、お金を通じて売買される価値を持った何かというのは、「情報」という言葉で代表させることができる。 対価を支払って「情報」を手に入れる、「購買」という行為はこれから先、未来はどんどん細っていくのだと思う。それは安価な中国製品みたいな、価格破壊というやりかたであったり、あるいはうちの犬みたいに「誰かから無償で分けてもらう」ような、情報入手の手段が多様化していくことであったり、いろんなやりかたが手提案されていく中で、情報それ自体の価値というのは、たぶんだんだんと減っていく。 情報の価値は、どんどん「ゼロ」に近づく。一部の情報は、むしろその価値を高めるんだろうけれど、平均すれば、ある分野の情報が生み出す富の総和は、やっぱりこれから減っていく。 それが貴重であった昔とは対照的に、情報はどんどん増えて、ちょっと油断しただけで、部屋

  • それはまた別の話 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 新聞記者の文章は技術のたまもの 短い文章を書くのは当に難しい。 「なあに、かえって免疫力がつく」の名フレーズを産んだ東京新聞の社説。 あれだって生半可な技術では、絶対に書けない。 たかだか1000字ちょっとの分量で問題を分かりやすく解説して、 作者の経験に照らした感想を結語に入れて、あまつさえ 読者の想像を刺激する突っ込みどころを作っておいて、 いろいろな人から反響をもらう文章にする。 はなれ業。よほど訓練を受けた人でないと、ああいう結果は作れない。 新聞記者の文章というのは、無駄のない文章を書くという技術においては最高峰だ。 文豪ヘミングウェイは、かつて何年間か新聞社に弟子入りした。 「見てくれ!!一片の脂肪もない、100% 筋肉だけの文

    usadamasa
    usadamasa 2006/10/10
    文学ー-----------ラノベ 小ーーーーーー大 自由度 大ーーーーーー小 必然性
  • 情報の視覚化と祭りの力学 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 人が道徳に服従するのは、道徳的であるからではない。 道徳への服従は、君主への服従と同じく、奴隷根性からでも、虚栄心からでも、狂信からでも ありうる。それ自体は、それは何ら道徳的なことではない。 道徳的理想の勝利は、他のあらゆる勝利と同じく「不道徳な手段」によって得られる。 嘘、暴力、誹謗中傷、不公正によって。 ニーチェも「にーちぇ」って書くと、ちょっと親しみやすい。なんとなく。 混沌から貴族主義的ネットワークへ 始まりは混沌。 誰もが自分のことで精いっぱい。全ての個体が競争を行う世界。 競争は勝者と敗者を生む。 1回でも勝った経験のある個体というのは、そうでない 個体に比べて、次の競争でも有利になる。 勝利に限界のない世界では、富めるも

    usadamasa
    usadamasa 2006/05/09
    正しいやりかたで「場」ができて、正しいタイミングで「名前」が括られると、 その名前は強力な力を持って一人歩きする。