【アディスアベバ=共同】戦闘が再燃した南スーダンで、現地駐在の紀谷(きや)昌彦・日本大使と大使館員一人が安全確保のため、夜間は首都ジュバで国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊の宿営地に避難して宿泊していることが二十日、関係者への取材で分かった。 中谷元・防衛相は南スーダン情勢について「武力紛争に該当する事態ではない」と強調し、PKO参加五原則は維持されているとの立場。しかし、大使館でさえ安全確保が困難な状況が浮き彫りになり、陸自派遣継続の是非が改めて問われそうだ。大使公邸や館員の宿舎は大使館の敷地内にある。 陸自部隊はPKOの南スーダン派遣団(UNMISS)に参加。現在は第七師団(北海道千歳市)を主力とする十次隊が展開している。戦闘が再燃してからは国連施設の外に出られず、十九日時点で活動を再開できていない。 ジュバの大使館員のうち四人は十四日、航空自衛隊のC130輸送機で近隣国の
米軍が一九四五年四月に沖縄本島に上陸して以降、占領地域に設けた収容所で計約六千四百人の民間人が死亡していたことが、本紙と沖縄社会経済史研究室主宰の川平(かびら)成雄・元琉球大教授の共同調査で分かった。各地の収容所の総人数はピーク時に三十三万人を超え、栄養失調や感染症による死亡者が続出。米軍の保護下での食糧不足などで、収容された住民に多大な犠牲が出ていた実態が浮き彫りとなった。 (編集委員・吉原康和) 米軍は沖縄戦で、占領した地域から順に軍政を敷き、民間人収容所を設けた。共同調査では、少なくとも二十二カ所の収容所で計六千四百二十三人の死者が出ていたことが判明。各地の収容所は統廃合の末、四五年十月ごろには十六カ所に集約され、大半が四六年までに閉鎖された。 収容所の所在地を現在の自治体に当てはめると、うるま市以北の名護市、宜野座(ぎのざ)村など、沖縄本島北部四自治体にあった十三収容所の死亡者
エチオピアで見つかったゴリラの祖先とみられる類人猿の化石が、800万年前のものと分かったと、兵庫県立人と自然の博物館や東京大などのチームが11日付の英科学誌ネイチャーに発表した。人類とゴリラは、約1千万年前のアフリカで共通の祖先から分かれて進化したとする説を裏付ける成果という。 チームは07年、首都アディスアベバ東方のアファール低地で、ゴリラの祖先に当たる新種の類人猿「チョローラピテクス・アビシニクス」の歯を見つけたと発表。当時は約1千万年前の化石と推定していた。 出土した地層などと合わせて分析したところ、チョローラピテクスは800万年前の化石と判明。
靖国神社と密接な関係にある地方の護国神社で、本紙の調べでは、殉職自衛官の祭神数は全国十九の神社で少なくとも計六百七十八柱(はしら)にのぼる。本殿の相殿(あいどの)のほか、境内に末社を設けて祀る神社もあるが、半数以上の神社は、安保関連法に基づき海外に派遣された自衛官の中で将来、殉職者が出た場合も、遺族要望があれば、「合祀(ごうし)対象として検討する」と答えた。 護国神社の前身は、明治維新前後の国事殉難者を祀るため全国各地に建立された招魂社。祭神の多くは、幕末維新の内乱や太平洋戦争に至る対外戦争の戦没者を祀る靖国神社の祭神とほぼ一致するが、独立した宗教法人として戦後、靖国神社には合祀されていない祭神を独自に祀る護国神社も少なくない。
「男はつらいよ」などの映画製作を通じて戦後日本を見つめ続ける山田洋次監督(83)が十五日、名古屋市内で本紙のインタビューに答え、政府・与党が成立に強い意欲を見せる安全保障関連法案に「いざとなっても戦わないのが、この国のあり方だ」と反対した。 山田監督は幼少期を旧満州(中国東北部)で過ごし、十三歳で終戦。中国では日本人が中国人を差別する姿を何度も見た。十四日に安倍晋三首相が発表した戦後七十年談話については、自らの経験を踏まえて「日本人が中国や韓国の人たちにどれだけひどいことをしてきたのかという思いが込められていない。なぜもっと素直に謝罪できないのかな」と感想を述べた。 安保関連法案の成立を推し進めようとしている政府・与党の姿勢には「なぜ米国の戦争をお手伝いするための法律を一生懸命作らなきゃならないのか」と疑問を呈し、「法案は『何かあったら戦う』となっているが、『いざとなっても戦わない』とい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く