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地方と郊外に関するusataroのブックマーク (7)

  • 過剰な郊外大型店規制 | rionaoki.net

    追記:車利用を前提とする社会に対する反発があるようですが、私自身は車持ってません。大型店舗を規制するか否かはどちらが社会的に望ましいか計算して決めるべきことでしょう。そしてモータライゼーション自体を問題にするのは地方都市の状況を考えれば現実的とは言い難いのではないでしょうか。 東浩紀さんの言っていることは意味不明ですが文の記述も正確ではない。 自滅する地方 崖っぷちのポモ – シートン俗物記 まぁ、地方都市問題やショッピングモールの問題は、ここでも何回か述べてきているのだけれど、単純な消費行動に絞った話じゃないし、そもそも“批判されがち”って認識がそもそも逆だろ?この20年あまりアメリカの後追いするようにショッピングモールのような郊外開発型大規模店舗が展開されてきたわけで、批判どころか多くの人たちは歓迎していたわけじゃん。 郊外大規模店舗に批判がないというのは誤りだ。中心部の商店街からは

    usataro
    usataro 2010/01/16
    反対。すでに郊外型SCは地域内で過剰気味。超高齢化社会到来で車頼みの生活は困難になるし社会的コストもかさむ。広い住宅なんて金持ちがインフラに頼らず勝手に建てればいい。今は普通の人たちの問題を考えるべき。
  • 自滅する地方 焼津編 - シートン俗物記

    ども。焼津さかなセンターのオススメはイカスミソフト。シートンです。 今まで進められてきた地方衰退≒「ファスト風土化」について書いてきましたが、地元について少しビジュアル面で補強する形で述べていこうかと思います。 かつて、私、焼津の衰退ぶりを示すことで、「道路を拡げてはいけない」と主張致しました。その焼津はどのような状況なのか。まずは、駅周辺から見ていきますね。 焼津駅南口からバスターミナルを眺めたところです。右手の建物は立体駐車場。左手は駅前マンションです。ちなみに、朝の7時過ぎの写真ですが駅前に人の気配がありません。なぜかといえば、焼津では地方の常として自動車交通が発達しているからなんです。目の前には立派な歩道橋、これは最近駅前再開発において整備されたものです、がありますが、使う人も、使う必要もありません。 この歩道橋に上がってみましょう。 現在、静岡県に限らないかも知れませんが、駅前に

    自滅する地方 焼津編 - シートン俗物記
    usataro
    usataro 2009/10/17
    再開発された街や道路って、なんかヒューマンスケールじゃないんだよな。常日頃感じてはいたけど、写真を見てその思いを強くした。
  • 自滅する地方 連立方程式を解け - シートン俗物記

    ども、相変わらず地方衰退ネタは反響が大きいですね。 さて、前回のエントリーで 「もちろん、自分は「コンパクトシティ」が処方箋だと考えていますよ。それはなぜか、といえば「連立方程式」の「解」だから、です。」 と述べたわけですけど、この辺を説明していきましょう。 何かしら課題が設定された場合、最も効率が良いのはそれらを纏めて解決する手段を用いることです。いわば「連立方程式」の「解」な訳ですね。 では、「コンパクトシティ」はどのような「課題」の「解」なのか? まず、最初に押さえておかないといけないのは、「コンパクトシティ」というのは、和製英語である、ということ。現在では日の地方自治体での多くで、コンパクトシティは取り上げられていますが、まったく根を押さえていません。「中心市街再活性化」であるとか、「複合商業施設建設」などによって“コンパクトな街”を謳い文句にしますが、以前説明したとおりです。

    自滅する地方 連立方程式を解け - シートン俗物記
    usataro
    usataro 2009/06/24
    目指す方向としては同意。ただちょっと論点を盛り込みすぎな文章だと思う。「連立方程式」って言葉に振り回されずまずは自家用車の話でエントリ書いた方がよかったのでは?
  • "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    というのが、以前、誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月で参考にしたid:Dr-Setonさんのエントリーを読んでの感想。 彼によって最近書かれた「自滅する地方 自滅した浜松 その3 - Dr-Seton’s diary」と「自滅する地方 自滅した浜松 その2」を併せて読むと、 「浜松は郊外型大規模小売店舗によって(katamachi注 中心市街地が?)い尽くされた。」 「郊外化は自治体の財政を圧迫するからだ。インフラ整備を行う面積が拡がればそれだけ必要な経費は増大」 「大規模小売店舗が出店する事で“自治体全体”の固定資産税は減少」 「このような浜松の状況は地元企業「スズキ」と無関係ではありません。」 というお話しである。 日の地方都市というのは60年代までは駅前や繁華街などの従来からの市街地を核とした都市構造を形成してきたが、その後、

    "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/02/09
    「町に行く」という言い方があるように、日本の都市がもともと中心域を持たなかったわけではないと思う。中心域の求心性が失われたのはやっぱり80年代なんだろうな。
  • 「日本はイナカに人が住みすぎ」(冨山和彦)

    日経ヴェリタスで今度の「新前川レポート」作成メンバーに選ばれた冨山和彦氏がいろいろいいことを述べている。メモ。 抜粋: 「前川レポート」の21世紀版作成を目指す「構造変化と日経済」専門調査会のメンバーに選ばれた。既成概念にとらわれず議論して行きたい。 経済のグローバル化が進む中で日の国富をどう増やすのかが最大の議題だ。幕末のような攘夷思想では国富の流出は止まらない。 格差問題には「反市場的な慣行・慣習がもたらす格差」と「市場経済化がもたらす格差」と二つがある。圧倒的に「反市場的な慣行・慣習がもたらす格差」の方が多く存在する。無理して所得再配分で問題を解決しようとすれば日の国際競争力はますます低下する。 都市と地方の格差も議論が必要。日は都市化が進んでいると見られているが,実は都市部人口は6割。英国は9割超だ。日は人口が拡散しているため,サービス業の効率が悪く,農業も兼業が多く大規

    usataro
    usataro 2008/05/20
    散人氏か。論点は「イナカ」をどう解釈するかで、高度成長期以降に拡大しすぎた郊外を圧縮しコンパクトシティを推進するなら賛成だけど、散人氏の論調は郊外も限界集落も「イナカ」でひとくくりだもんな。
  • 高度に発展した都市に住む人は郊外と山村の区別がつかない - 一本足の蛸

    地方都市の問題と限界集落の問題。 - うさたろう日記 はてな版。 地方都市の問題と限界集落の問題(その2) - うさたろう日記 はてな版。 昨年大いに流行した「限界集落」。そして、「限界集落」ほどではないけれど、そこそこ知られるようになってきた「コンパクトシティ」。このふたつの言葉は全然別の文脈から生まれてきたもので、来対比して論じるべきものではないのだが、最近どうも両者を同じ土台で論じる人が増えてきているような気がする。いや「論じる」と言えば聞こえはいいが、はなから結論は決まっている。「限界集落を維持するのにはコストがかかる。そんなことに余計な金を費やすより、集落に残った人を中心市街地に移住させて、コンパクトシティを目指すべきだ」という結論が。 全くばかげた主張だが、地方都市の規模とか、中心市街地と郊外の距離とか、平野部の農村地帯と山間の小集落の違いとか、そういった事柄について知識のな

    高度に発展した都市に住む人は郊外と山村の区別がつかない - 一本足の蛸
    usataro
    usataro 2008/02/29
    取り上げてもらった。
  • 消えかけの信号

    私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。 今日は所用があってこの実家に帰ってきた。 駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。当に素敵な田舎だ。 実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間、タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。 さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きし

    消えかけの信号
    usataro
    usataro 2008/02/19
    こういう郊外に広がったインフラを、日本はこれからどうしていくんだろう。
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