短期連載〜消えたハリマヤシューズを探して(5) 連載第1回はこちら>> 連載第2回はこちら>> 連載第3回はこちら>> 連載第4回はこちら>> ■日本製にこだわったハリマヤの職人気質■ 今から100年以上前、東京高等師範学校の学生・金栗四三(かなぐり しそう)と、東京・大塚の足袋店ハリマヤの主人・黒坂辛作(くろさか しんさく)が出会ったことから生まれたマラソン足袋。改良を重ねた製品は「ハリマヤシューズ」として、多くのランナーに愛され、各地の競技会で好成績を収める。 高度経済成長によって日本が豊かになり、スポーツを楽しむ人々が増えるにつれて、シューズメーカーとしてのハリマヤ運動用品もまた発展し、辛作から数えて3代目、孫の代へと経営も移っていった。当時、ハリマヤはその発祥の地、東京の大塚に本社を構え、北陸地方にいくつかの生産拠点を持っていた。 ハリマヤの顔となった3本ラインも機能面から付け