【ソウル時事】海上自衛隊のP1哨戒機が韓国駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた問題で、韓国国防省は2日、哨戒機が「人道的な救助活動中だったわが国艦艇に対し、威嚇的な低空飛行をした行為」について謝罪を要求、実務協議の開催を呼び掛けた。 また、「わが国の艦艇は哨戒機に追跡レーダー(STIR)を照射しなかった」と重ねて否定した。
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https://anond.hatelabo.jp/20190102063518 読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。 元増田と違い中学受験や私立とは無縁で、片田舎の公立中学、公立高校を卒業して京大に入学した。 【中学時代】 勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。 一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿、私立高に通って高いお金出さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。 将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒の大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そ
ボヴ @cornwallcapital 今の大学生に2013年頃まで15年ほど断続的に続いた氷河期がどんな感じだったのかを説明すると、早慶大生がビックカメラの店員になるため面接を5回も突破する必要があった。 2019-01-01 12:59:38 リンク Wikipedia 就職氷河期 就職氷河期(しゅうしょくひょうがき)は、社会的に就職難となった時期の通称。 日本ではバブル崩壊後の就職が困難であった時期(1993年から2005年と定義されている )を指す語。リクルート社の就職雑誌『就職ジャーナル』が1992年11月号で提唱した造語。1994年の第11回新語・流行語大賞で審査員特選造語賞を受賞した。 詳しい採用状況については#採用状況を参照 1970年代から1985年(昭和60年)までは、日本の労働市場における新規求人倍率は 0.9倍から1倍、有効求人倍率は 0.6倍から0.7倍の間で
今年(2018年)は、日仏交流160周年、京都市とパリ市の友情盟約締結60周年。そんな年に合わせて、フランス文学の重鎮、鹿島茂氏と、2016年に『京都ぎらい』で「新書大賞」を受賞した井上章一氏による対談が実現した。京都とパリ、2つの都市の類似点が明らかになり、それぞれの都市の独自性、魅力、都市、文化があらためて見えてきた。『京都、パリ この美しくもイケズな街』から一部抜粋して紹介する。 井上章一(以下、井上):京都の近所付き合いは、なかなか大変です。例えば、近所の人から「お子さんのピアノ、お上手やわあ」とか「お子さんお元気で、いつもうらやましい思てます」と言われたりしますよね。そんなとき、「ありがとうございます」とお礼を言ったり、子どもの健康状態がどうであるかを真っ正直に答えたりしてはいけません。やかましさを反語的にとがめられている可能性が、多分にあるからです。「うるさくて申し訳ありません
高田 そうそう。雨の日のロケだと通りすがりの人に声をかけても反応悪いのよ。 ―― 「どうも、東方神起です」と声をかけたり、“高田純次と名乗らない”高田さんの真骨頂は朝のお散歩番組でも発揮されてますもんね。でも、高田さんはもともとアングラ演劇出身の「演劇人」。まずは、その知られざる「真面目な高田純次」時代についてお伺いしたいと思っています。 高田 何でも聞いてください。一応、僕の肩書きは「舞台俳優」ということになってるから(笑)。いやいや、正直なところ僕が演劇についてどうこう言うのは、おこがましいんだけどね。 ―― と仰いますが、高田さんと演劇の出会いはシェイクスピアの『マクベス』。これをアングラ劇団・自由劇場が上演したのを観たのが、演劇の世界に入るきっかけだったとか。 高田 45年前だから25歳くらいか。六本木の劇場で、串田和美さんが演出。吉田日出子さんや佐藤B作さんが出てました。 ――
安倍総理大臣は年頭の所感で「少子高齢化の壁に本腰を入れて立ち向かう」として、幼児教育の無償化などを実現させるとともに、北方領土問題を含むロシアとの平和条約交渉の前進に意欲を示しています。 外交については「大きな課題に挑戦する。米朝首脳会談、日ロ平和条約交渉、日中新時代の到来など大きな転機が訪れる中で、戦後日本外交の総決算を果断に進めていく」として、北方領土問題を含むロシアとの平和条約交渉の前進などに意欲を示しています。 そして「5月には皇位継承が行われ、歴史の大きな転換点を迎える。平成のその先の時代に向かって『新たな日本を切り拓く』1年とする。その先頭に立つ決意だ。継続を力とし、これまでの積み重ねを、そして国民からの信任を大きな力として、残された任期、全身全霊で挑戦していく覚悟だ」としています。
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