したがって、『エヴァ』はレイとアスカの二項対立ではなく、レイとアスカとミサトとカヲルの四項対立で考えるべきである。「セカイ系」や「ポスト・エヴァ」といった枠組みさえ外せば、そうしない理由はどこにもない。 そもそも、レイとアスカが本当に対立しているのかさえ怪しい。『エヴァ』を批評する者たちは、レイに「虚構」「母性」「アニメ的女性」といった属性を読み込み、アスカには「現実」「異性」「生身の女性」といった属性を読み込むと、シンジがアスカを選んだかのような結末から「現実に帰れ」「他者と向き合え」というメッセージを思い描く。これが間違っていることは、既に述べた。すなわち、シンジはアスカに「帰って」いるのではなく「逃げて」いるのであり、「生身の女性」を「他者」「現実」に結びつけることはできないのである。だいいち、「生身の女性」などといった言葉はほとんど語義矛盾と言っていい。「生身の女性」と言う時点で、