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2021年5月23日のブックマーク (20件)

  • ネタ元マージャン「行って良い」 文春編集局長×スクープ /下 | 毎日新聞

    衆院内閣委員会で定年延長問題で渦中の黒川弘務・東京高検検事長の「賭けマージャン」疑惑を報じた週刊文春の記事コピーを読む議員=国会内で2020年5月20日午後2時41分、竹内幹撮影 スクープの連発で向かうところ敵なしにも見える週刊文春。新聞社やテレビ局が「週刊文春によると」と、後追いするケースが珍しくなくなった。「文春砲」生みの親である新谷学編集局長は、現在の新聞業界をどう見ているのだろうか。インタビューでは、情報源との距離感やメディアの生き残り策、そして自身が考える「最大の敵」についても語ってくれた。【松倉佑輔/デジタル報道センター】 「文春は無色透明、ど真ん中」 週刊文春編集部は2014年、情報を受け付ける窓口「文春リークス」を設けた。ここには連日100件以上の情報が集まり、他にも普段からの取材先(ネタ元)からの告発も多い。情報提供の多さはさすがだが、一方で気になった。影響力がこれほど大

    ネタ元マージャン「行って良い」 文春編集局長×スクープ /下 | 毎日新聞
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「最後に聞いてみた。文春のライバルはいますか? 新谷さんは「スクープを狙うという意味でいうとあらゆるメディアがそうです」と語った後、強調した。「私が深刻に受け止めているのはフェイクニュースです」」。
  • 不安あおって高視聴率 ディレクター語るテレビの今後は:朝日新聞デジタル

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    不安あおって高視聴率 ディレクター語るテレビの今後は:朝日新聞デジタル
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「「水曜どうでしょう」は広告収入だけに頼ることなく、グッズや番組販売で収入を確保し続けています。「視聴率という指標だけに頼った番組づくりをやめてほしい」というのが30年勤めてきた私が抱く希望」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <14> 平和への祈り

    昨年8月5日、広島東洋カープの試合を通じて平和を訴える「ピースナイター」に参加。マツダスタジアム(広島市南区)で始球式をした この日にふさわしいと思って「鳥の歌」の衣装を着ました。平和を願い、絶対に希望を失わないという思いが込められた踊りなんです。マウンドで衣装の上にユニホームを羽織って投げました。試合途中にはマイクを握り、球場の皆さんにお話ししました。被爆2世であること、原爆に遭った祖母が感謝の気持ちを忘れず、明るく強く生きたこと…。 次の日の6日は、平和記念式典に参列しました。私の背中に白い羽は生えておりませんが、平和と美の使者として、平和を祈って踊り続けたいと、あらためて思いました。 世界を回り、被爆地の重みを肌で感じてきた バレエでたくさんの国に行きましたが、どこでもヒロシマはよく知られています。「家族は大丈夫だったの」って聞いてくれる人もいる。世界中の人が、平和を望んでいると実感

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <14> 平和への祈り
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「松山樹子先生と清水正夫先生は1958年に初の中国公演をした。中国の映画をバレエ化した「白毛女」を創り、交流してきた」「中国で踊った時、周恩来首相から「変わらぬ友情を育みましょう」との言葉をいただいた」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <13> 稽古が全て

    舞踊歴65年を迎えた今も、日々の稽古を怠らない 松山バレエ団では朝9時半から朝礼をし、みんなで一つの作品を創る思いを共有します。疲れた顔をした人がいれば「頑張りましょう」って声を掛ける。全員で前を向いて、進むことが大事ですから。私の稽古時間は毎日5、6時間ぐらいですね。完全にオフにする日もありますが、ストレッチなどは欠かしません。 稽古ではバレエ団のメンバーに見てもらう。私に注意する人はなかなかいませんから「今のどうだった」と、こちらから聞き出す。指摘を受けたら、もう一回。何度も何度も繰り返します。 練習は1日休むと自分に分かる。2日休むと仲間に分かる。3日休むとお客さまに分かる。バレエは頭で踊りを覚えていても駄目。体自体に覚えさせないと。でも、体や筋肉はすぐに忘れてしまう。だからこそ繰り返し繰り返し、体に染み込ませることが大事なんです。1年間に300足ぐらいのトーシューズを使っています。

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <13> 稽古が全て
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「私に注意する人はなかなかいませんから「今のどうだった」と、こちらから聞き出す。指摘を受けたら、もう一回。何度も何度も繰り返します」「1年間に300足ぐらいのトーシューズを使っています」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <12> 日本人として

    人で初めてニューヨークのメトロポリタン・オペラハウスやパリのオペラ座に出演。世界的に活躍する 日海外をよく行き来していました。海外公演を終えて成田空港に到着し、そのまま公演会場の楽屋に入ったり、時差をうまく使って、海外での公演の間にいったん帰国して舞台に立ったり。飛行機では預けた荷物が出てこないと困るから、衣装とメーク道具を小さくまとめて機内に持ち込んでいましたね。 でも海外に拠点を置きたいとは、全く思いませんでした。だから、みんな不思議がるの。欧州などに行くと「たまに日に帰って踊ればいいじゃない」って。その方があちこち回りやすいでしょう。でも松山バレエ団という自分の居場所が、ちゃんと日にあることが大事。軸足はきちんと日に置いています。 海外で踊ったときに言われたことがあります。「能を見ているようだ。『能バレリーナ』だね」と。なぜこういう言葉をいただいたのか分かりませんが、能

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <12> 日本人として
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「海外に拠点を置きたいとは、全く思いませんでした。欧州などに行くと「たまに日本に帰って踊ればいいじゃない」って。でも松山バレエ団という自分の居場所があることが大事。軸足はきちんと日本に置いています」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <11> 共演者たち

    松山バレエ団で活躍する一方、海外で実績を積む。バレエ史に残る名コンビ、ルドルフ・ヌレエフとマーゴ・フォンテインと出会う ヌレエフとマーゴは20世紀最高のアーティスト。人としての温かさ、大きさがすごかった。ヌレエフと初めて踊ったのはワシントン。彼の相手役が体調を悪くし、急に声が掛かった。波長が合ったんでしょう。それから何度も踊ることになった。ヌレエフは「マーゴはこうやっていたよ」といろいろ教えてくれる。幕が閉まった後や、事のときもです。 アーティストだから、助言を受けても「私はこうやりたい」と聞き入れない人もいるんです。でも私は何でも教えてもらった。もし要らなければ後で捨てればいいのですから。結局、要らないものなんて何一つなかったんですけどね。 1977年、英国のエリザベス女王戴冠25周年記念公演にヌレエフと出演した ロンドンでのデビューでしたが、私は全然知られていない。なぜヌレエフが、日

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <11> 共演者たち
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「母が昔、バレリーナの本を買ってきてくれて。ガリーナ・ウラノワが「バレエの神様」、マーゴが「バレエの女王様」と」「ウラノワは、魂そのものが踊る輝きがある。教わる機会があり、うらやましがられましたね」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <10> パートナー

    バルナのコンクールに一緒に出場した清水哲太郎さん。松山バレエ団を創立した清水正夫さんと松山樹子さんの長男だ 初めて会ったのは1969年。「青のコンチェルト」という作品を一緒に踊ることになった。そのとき、清水がボソッと言うんです。「君は何のために踊っているの」って。私は「えっ」と、即答できなかった。「好きだから」と答えようと思ったけど、言葉が出てこなかった。 そこで考えて、気付いた。芸術は人々の心に何か、ともしびを与えるもの。人を思いやり、平和を祈って踊り、みんなを幸せにするもの。そのために毎日稽古をしていくんだ、と。考えるきっかけを、ばっと突きつけてくれたのです。 バルナのコンクールの後、モナコに留学した。哲太郎さんも一緒だった 文化庁の海外研修で、マリカ・ベゾブラゾバ先生の元で学びました。世界中のアーティストが教えを求める「バレエの病院」みたいな先生。私は1年間、清水は2年間でした。2人

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <10> パートナー
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「私たちって同志みたいなもの。一応、結婚式を挙げたけれど、新婚旅行なんて、ないです」「清水とは今も一日中、作品に向き合い、多くの人の心に夢や希望を届けられるよう、共に心を高めていく同志なんです」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <9> 世界の勲章

    1974年、世界へ羽ばたく転機が訪れる。ブルガリアのバルナ国際バレエコンクールだ それまでコンクールに出たことがなく、全く興味がありませんでした。芸術は点数を付けるものじゃないと思っていたし。そんなとき、松山樹子先生が「一度出てみたら」と。私は25歳。同世代の世界の踊り手はどんな人たちなんだろうという思いもあった。そこで、世界で最も歴史のあるバルナのコンクールに出ることを決めたんです。 バルナに出るといううわさは、ばーっと広がっちゃって。周囲の人たちからは「優勝ですよ」と言われ、すごいプレッシャー。そのとき、オリンピックの選手って大変だなって思った。アスリートはたった何秒かの差でメダルが決まる。精神的な力がないといけないし、自分自身との闘いだなと、しみじみ感じました。 1位に値しないと金賞を出さない厳しいコンクール。後に夫となる清水哲太郎さんと2人で出場する 100人以上が出場していました

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <9> 世界の勲章
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「決勝。「黒鳥」を踊りました。優勝は決まっていたような手応えがありましたね」「金賞を受けいろいろな所から出演の声が掛かるようになりました。日本の人たちが[バレエを]見直すきっかけになったと思います」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <8> 松山バレエ団

    海外からの誘いを断ったのが大正解というのは、根無し草のように契約していたら、とっくに踊っていないと思うから。40歳を過ぎると、だいたい次の人に主役を譲らないといけなくなる。海外に行っていたら、今のように踊り続けていられたかどうか分かりません。 1970年、「白毛女」を見たのが転機となる。松山樹子(みきこ)さんと夫の故清水正夫さんが創立した松山バレエ団の公演だった 松山先生が舞台に登場した途端、鳥肌が立ちました。海外で見たようなゴージャスな会場ではないし、オーケストラもない。けれど、欧米を見て回っても、ぴんとくるものがなかった私は「うわっ、これだ」と感じました。 そのころ橘秋子先生が病気になられ、私はほかの人に教えることが多くなっていた。もっと勉強したい。これから先、何とかしなきゃという思いが強かった。松山先生の踊りに出合い、教わりたいと思ったんです。先生にお願いに行きましたが、断られました

    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「海外からの誘いを断ったのが大正解というのは、根無し草のように契約していたら、とっくに踊っていないと思うから」「海外に行っていたら、今のように踊り続けていられたかどうか分かりません」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <7> 海外巡って

    東京都武蔵野市の吉祥女子高に進学。学業との両立に苦労した とにかく稽古、稽古の日々。登校して1時間だけ授業に出て、いったん稽古に戻り、またお昼から学校へ行くことも。中学も高校も、修学旅行や運動会は不参加です。下校時に友だちからお茶に誘われても時間がない。バレエ学校のみんなの事も準備しなきゃいけないし。合宿のときには下級生の事も、作りましたから。 高校3年の3学期。出席日数が足りませんでした。卒業するために、いろいろと調べてくれた担任の先生に言われました。「これからは一日も休まないでくれ」。何とか毎日出席し、無事卒業できました。先生も喜んでくださいましたね。思い出すのは、私が主役の公演のときです。客席を見ると、後ろの席が吉祥女子の制服で埋まっている。みんなで来てくれて、うれしかったなあ。 卒業後の1969年。経験を積むため、初めて海を渡る 3カ月間、米国に行きました。日で指導を受けたこ

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <7> 海外巡って
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「3カ月間米国に行きました。現地の先生のレッスンを受け、各地のバレエ団の公演も見て回るためです」「広島で働いていた板前さんが米国でお店をやっているからと紹介してもらった。最初で最後のアルバイトです」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <6> 修業の日々

    小学6年で1人で親元を離れ、橘バレエ学校に寝泊まりする生活が始まった 東京の武蔵野市立第一小に転校しました。バレエのため、1人で上京しているので、周りの友だちがとてもよくしてくれた。その後、第一中に進みました。このころに一緒だった友だちは今も必ず、公演を見に来て応援してくれています。私にとって、とても大きな励みになっています。 12歳でプリマとしてデビュー。橘秋子先生から主役を務める心構えを学んだ 橘先生は非常に厳しい。主役をやる人は、出ている人の全ての踊りを知っていなきゃ駄目って言われました。全部踊って覚えたものです。バレエだけではありません。料理や裁縫、お茶にお花。プロとして、人間として、バレエ以外もきちんとできなきゃいけない。そんな教育方針でした。 滝修業もありましたね。駅から4キロくらい山道を歩き、滝に打たれる。それも冬。こーんなに大きなつららができていて。寒いのを通り越して痛かっ

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <6> 修業の日々
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    vox_populi 2021/05/23
    「橘秋子先生は非常に厳しい。主役をやる人は、出ている人の全ての踊りを知っていなきゃ駄目って」「料理や裁縫、お茶にお花。プロとして、人間として、バレエ以外もできなきゃいけない。そんな教育方針でした」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <5> 祖母の背中

    祖母の山根晴代さんが原爆に遭い、自身も被爆2世だ 私が生まれる3年前。広島と長崎に原爆が落ちました。人類にとってあってはならないことです。祖母は広島の爆心地近くで被爆し、まともにやられちゃった。左半身に大やけどを負い、手の指もくっついてしまって。周囲に命を落とした方がたくさんいらっしゃったのでしょう。祖母も亡くなったと思われて、お経まで上げてもらったそうです。母も被爆しましたが、大きなけがはなかったんです。2人とも、原爆のことはあまり話しませんでした。 祖母はとても明るく、強い人でした。「お経まで上げてもらったのに生きていられるなんて、こんな幸せなことはない」と笑いながら感謝していた。戦争や原爆が憎いとか、こんな体にされて苦しいとか、孫の私たちに何一つ愚痴を言わなかった。 やけどの痕が残るのに、お風呂屋さんにも平気で行っていました。ただ祖母の写真はあまり残っていません。写真を撮りたがらなか

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <5> 祖母の背中
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    vox_populi 2021/05/23
    「祖母は広島の爆心地近くで被爆し、左半身に大やけどを負い、手の指もくっついてしまって。亡くなったと思われてお経まで上げてもらったそうです。「お経まで上げてもらったのに生きていられる」と感謝していた」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <4> 家族の支え

    広島と東京を行き来するようになり、経済的な負担が増えていく 私の旅費など、会社勤めの父の収入だけでは大変。そこで母は、「きっちんもりした」という店を袋町(広島市中区)の並木通りの辺りに開きました。小学3年のころかな。洋屋さんでステーキが専門。ハンバーグもカレーもおいしかった。1階が店で2階が住まい。学校も袋町小に移った。この店が、ものすごく当たったんです。 プロ野球の選手がよくべに来たそうです。カープだけでなく、巨人や大洋の選手も。ステーキを2枚も3枚もべちゃうんですって。今はもうありませんが、何十年と愛された店でした。 父はスポーツマンだった 若いころ、ホッケーの選手でした。旧制山陽中(現山陽高)や明治大では「山陽に森下あり」「明治に森下あり」と言われるくらいだったそうです。その後も広島アジア大会で審判をしたり、広島県ホッケー協会の会長を務めたり。私の筋肉は、父からもらったと思いま

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <4> 家族の支え
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    vox_populi 2021/05/23
    「父は若いころ、ホッケーの選手でした」「私の筋肉は、父からもらったと思います。すごく柔らかくて強い筋肉。バレエの練習で何度も肉離れをしたけれど、舞台の本番を休んだことは一度もありません」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <3> 夜行列車

    バレエを始めて、一生続けたいという思いが私の中にドカーンと入ってきました。有名になりたいとか、きれいな衣装を着たいといった理由じゃない。ずっと続けたいという強い思いがドンと入ってきたのです。 恩師の一人、洲和みち子先生と巡り合う 葉室潔先生が、洲和先生の元で学んだ方がいいと、わざわざ私を連れて行ってくださった。洲和先生は心で踊り、心を厳しく鍛える人。はたきの棒があるでしょ。失敗すると、あれでぶつんです。「この根性なし」と叱る顔は忘れられない。これは、ありがたいことです。大人が気で怒って、真剣に向き合ってくれる。バレエの技だけでなく、魂を磨いていく強さを学んだ。根性がなくちゃ、バレエは続けられませんから。 江波小の1年生の時。広島市公会堂であった公演を見に行きました。東京の橘バレエ学校の生徒が踊っていた。小学5、6年生くらい。どうしてあんなに上手なんだろう。私も東京へ行って学びたいと思って

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <3> 夜行列車
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    vox_populi 2021/05/23
    「洲和先生は心で踊り、心を厳しく鍛える人。はたきの棒があるでしょ。失敗するとあれでぶつんです」「大人が真剣に向き合ってくれる。魂を磨いていく強さを学んだ。根性がなくちゃ、バレエは続けられませんから」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <2> 出合い

    父準(ひとし)さん、母敏子さんの長女として広島市で生まれた。6歳下の妹と2人姉妹で、江波(現在の中区)で過ごした 私が生まれたのは、広島に原爆が投下されてから3年後です。でも焼け跡はあまり覚えていません。それだけ復興が進んでいたのでしょう。当時の人たちのすさまじい努力とたくましさがあったのだと感じています。覚えているのは、自宅近くの川で遊んだこと。水着を着て浮輪を持って、よく泳ぎに行っていました。 実は子どものころ、すごく体が弱かったんです。夜中にしょっちゅう、町のお医者さんの所に行っていました。医者からは「何か運動をさせたら」と言われたそうです。ちょうどそのころ、自宅の目の前にある幼稚園でバレエ教室が始まりました。とにかく丈夫になってほしいと、両親は考えたのでしょう。3歳の時に習い始めました。 バレエと縁のある家族はいませんから、運命だった。もし教室が近くになくても、どこかで出合っていた

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <2> 出合い
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    vox_populi 2021/05/23
    「実は子どものころ、すごく体が弱かったんです。医者からは「何か運動をさせたら」と言われたそうです」「とにかく丈夫になってほしいと、両親は考えたのでしょう。3歳の時に習い始めました」。
  • 『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <1> 世界のプリマ

    松山バレエ団(東京)団長で、プリマバレリーナの森下洋子さん(67)=東京都港区。広島市中区出身で、世界へと飛躍したバレエ人生はことし65年を迎えた。毎日の稽古は今も欠かさない。被爆2世として平和への思いも胸に、舞台に立ち続ける。 ◇ 3歳でバレエを始め、気付けば65年になりました。「いつまで踊るの」と皆さんに聞かれますが、自分では考えていません。毎日毎日少しずつ、1年生のような気持ちで稽古をする。リハーサルをする。その延長に舞台があればいいと思っています。 まずバレエに出合えたことに感謝しなくちゃいけません。体が丈夫になればと始めましたが、今の私にとって、バレエは呼吸と一緒。生きていることそのものです。バレエの神様に、バレエを通じて少しでも魂を磨いていくように、と導かれたのかもしれません。 指導者に恵まれ、世界的なアーティストに教わる機会が多かったこともありますが、ここまで続けられたのは、

    『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <1> 世界のプリマ
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    vox_populi 2021/05/23
    「「白鳥の湖」全幕に初めて主演したのは15歳の時。それ以来、千回以上は踊ってきました。でも、これまでたくさん学んだことを毎日かみ砕きながら、少しずつ前に進んでいる最中です」。
  • 踊り手の使命、命懸けで 森下洋子さんが学んだ師の思い:朝日新聞デジタル

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    踊り手の使命、命懸けで 森下洋子さんが学んだ師の思い:朝日新聞デジタル
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「人間の深い思いを伝えることがアーティストにできる最高のことだと教えていただきました」「この世にない精神の世界を舞台に現出させる。常識では考えられないことが起きるのが芸術の世界」。ものすごい言葉たち。
  • 日本バレリーナの草分け松山樹子さん死去 松山バレエ団:朝日新聞デジタル

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    日本バレリーナの草分け松山樹子さん死去 松山バレエ団:朝日新聞デジタル
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「松山バレエ団は、1948年に、日劇のバレリーナであった松山樹子と、彼女のファンであり、当時内務省の役人であった清水正夫によって、東京・青山の幼稚園を借りて設立されたバレエ団」(Wikipedia)。20代半ばでの創立。
  • ワクチン予約サイト、プロが示す「最悪シナリオ」対処法:朝日新聞デジタル

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    ワクチン予約サイト、プロが示す「最悪シナリオ」対処法:朝日新聞デジタル
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「――報道する前に政府側に伝えて、改修の時間を与えるべきだったという意見も。/今回はそうではありません。システム改修では解決しないことが明らかです」。「ダメシステムゆえ要注意」と宣伝せよ、と高木先生。
  • 五輪「誰が何の権利で強行するのか」 孫正義氏が投稿:朝日新聞デジタル

    ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が22日、自身のツイッターを更新し、今夏に予定される東京五輪の開催について、「今、国民の8割以上が延期か中止を希望しているオリンピック。誰が何の権利で強行するのだろうか」と疑問を呈した。 孫氏は21日にも、新型コロナウイルスについて、「いつの間にか日も変異株だらけになってしまった。入国管理を厳格にしなかった事の責任は重いと思う」と投稿。18日にはオーナーを務めるプロ野球のソフトバンクホークスについて、福岡県の緊急事態宣言中に主催する試合を無観客とすることを正式決定したともツイートしていた。 朝日新聞が15、16日に実施した世論調査では、東京五輪・パラリンピックについて「再び延期」か「中止」を望む回答が計83%に上った。同じIT業界の経営者では、楽天グループの三木谷浩史会長兼社長も14日、米CNNテレビのインタビューで、五輪開催について「まるで自殺行為

    五輪「誰が何の権利で強行するのか」 孫正義氏が投稿:朝日新聞デジタル
    vox_populi
    vox_populi 2021/05/23
    「孫正義[氏]が22日、ツイッターを更新し、東京五輪について「今、国民の8割以上が延期か中止を希望しているオリンピック。誰が何の権利で強行するのだろうか」と疑問を呈した」。超有名人までもが声を上げ始めた。