ブックマーク / agora-web.jp (9)

  • 起業するということは

    昨日アゴラ・シンポジウムに参加させていただきました。 日起業することとは、ということがメインテーマであったと思いますが、起業とはなんでしょう。 あるいはベンチャーとはなんでしょう? 少し前までは、IPOを目指す意志の有無を、中小企業とベンチャーの相違のように語る人も多かったですが、これだけ株式市場が低迷し、IPOしたところで余計なコスト負担や規制ばかりがのしかかり、それほどのキャピタルゲインも得られない、となると、ベンチャー経営者だけでなく、VC側でさえIPOをマスト条件にはしないと公言するところがでてきています。 となると、ベンチャー イコール IPO志向ではない。ではラーメン屋を開くことがベンチャーかというと、これもちょっと違う気がする。 しかし、仮にラーメン店をチェーン化して、全国制覇を目指す、と言った瞬間に、それはベンチャーといっていい、と僕は思います。 つまり、ベンチャーとは

    起業するということは
    wackies
    wackies 2009/05/31
    僕にとって起業するということは『社会的な使命をもつ』ということ。努力を惜しんではいけない。続けなければ、意味が無い。
  • 日本人はリスクがきらいか - 池田信夫

    きのうのアゴラ・シンポジウムは満員の大盛況で、懇親会も遅くまで盛り上がりました。今回の最大のサプライズは、会場に来ていただいたみなさんのエネルギーでした。不況に沈んでいるようにみえる日ですが、まだ捨てたものではないと思います。 いろいろなテーマが議論されましたが、私の印象に残ったのは「リスク」です。城さんからは、リスクが最大の非正社員のリターンが最低になっている人事構成のゆがみについての指摘があり、池尾さんからは「実証研究によれば、日人が国民性として特にリスク回避的というわけではない」とのことでした。日人がリスクが嫌いだという通念は疑わしい。それなのに、そういう通念にもとづいて既存の企業を救済したり、労働保持に補助金を出したりする行政が続けられています。 日のシステムは、いろいろな意味でリスクが分散しにくく、失敗した場合のオプションが狭いのが特徴です。村上さんの話にもあったように、

    日本人はリスクがきらいか - 池田信夫
    wackies
    wackies 2009/05/31
    日本はいつから、「追いつき型近代化」の時代を忘れ去り、ぬるま湯につかってしまったのだろう。特に池田氏の言うとおり、マスコミ扇動による茶の間主婦の感情を重んじるように。未来の安心なんて当たり前だと思って
  • EV(電気自動車)市場に IT技術応用で参入したテスラに学ぶ - 小川浩

    テスラモーターズを知っているでしょうか。 僕は「最近気になるベンチャーは?」という質問に対して、ここ何年かは決まってこのテスラの名前を挙げることにしています。 テスラモーターズは、環境保護に配慮したエコカーである、EV(電気自動車)専業のメーカーです。デトロイトではなくシリコンバレーに拠を持っていることで分かるように、自動車業界からのスピンオフではなく、むしろITベンチャーの香りを漂わせる異色な企業です。 僕が彼らに注目する理由は二つあります。それは技術面とマーケティング面の両面です。 ■ Google的な発想で動力を確保 まず技術面を話しましょう。 EVでは動力にエンジンではなくモーターを使い、リチウムイオンバッテリーを電源として使っています。ちなみにプリウスなどのハイブリッドカーは、HEV(Hybrid Electric Vehicle)と呼び、ガソリンエンジンとモーターを用途に分け

    EV(電気自動車)市場に IT技術応用で参入したテスラに学ぶ - 小川浩
  • アゴラ : 日本の未来を楽観する - 矢澤豊

    カテゴリ 日の未来を楽観する - 矢澤豊 なにやら「お先真っ暗派」のオンパレードです。先日の池田さんのブログ・エントリー、「希望を捨てる勇気」も引金になっているようです。 古人曰く、当の「占い」とは、突拍子もない未来のことを言い当てることではなく、現在すでに目の前で起こっているのに誰も気がついていない事を、当事者にこっそり教えてあげる事、だとか。 それにしても、ブログ界を散見するに、気の早いご仁たちは日の未来を、「良くて低成長・高文化・メシが旨いフランス型、悪くて乱発国債の債務に喘ぐアルゼンチン型、最悪の場合は軍国主義の復活」などと論じていますが、それこそ下手な占い師のようです。 尾籠な例えで恐縮ですが、私は個人的に今の日の問題の根は、日の社会が「便秘」状態におちいっている事だと思っています。古い価値観と、それにとらわれた人材が代謝されず、次世代の抬頭を妨げているのです。 以前

  • シンガポールに学ぶこと - 松本徹三

    所用でシンガポールに行き、少し時間があったので、IDA(Information Development Authority)を訪ねて色々話を聞いてきました。IDAは、1992年にTAS(Telecommunication Authority Singapore)とNCB(National Computer Board)が合併して出来た政府機関で、実質的に日の総務省とほぼ同じ機能を果たしています。 政府組織としては、MICT(Ministry of Information and Communication Technology)があり、大臣もいるのですが、この組織の中には、気象庁と運輸交通関係のいくつかの局があるだけで、情報通信に関係する仕事を実際に行っている人はいません。情報通信関係では、IDAと同格のMDA(Media Development Authority)という機関もあります

    シンガポールに学ぶこと - 松本徹三
    wackies
    wackies 2009/04/20
    あとで読む。シンガポール=多民族、多言語、多宗教の国、面積は東京23区とほぼ同じ、人口は約460万人、一人当たりのGDPはUS$35,163、実質成長率7.7%、失業率は2.1%で、世界の注目を集めていた頃の日本を見るようです。
  • 資本主義は「赤の女王」である

    ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に、赤の女王というキャラクターが出てきます。この世界では、すべてがあべこべで、アリスが女王と一緒に走ってもまわりの風景は変わりません。アリスが驚いて「まあ、まるでずっとこの木の下にいたみたいだわ! なにもかももとのまま!」というと、女王はこう答えます。「ここでは同じ場所にとどまるだけで、もう必死で走らなきゃいけないんだよ。そしてどっかよそに行くつもりなら、せめてその倍の速さで走らないとね!」 このメタファーは有名で、生物学にも「赤の女王仮説」というのがありますが、ビジネスにも通じます。資主義は、つねに新しいことを続けていないと競争に敗れる、赤の女王の世界なのです。これは実は、新古典派経済学が想定している市場経済とはまったく別の原理です。市場経済は古典力学的な均衡に向かう熱的な孤立系で、均衡状態では利潤はゼロになります。しかし利潤がゼロになったら、資

    資本主義は「赤の女王」である
  • アゴラ beta : ニッポン金融マンたちの「坂の上の雲」 ー 矢澤豊 - livedoor Blog(ブログ)

    2009年03月15日13:55 カテゴリ ニッポン金融マンたちの「坂の上の雲」 ー 矢澤豊 2008年9月末のある日(多分20/21日の週末)、米大手投資銀行モーガン・スタンレーのCEO、ジョン・マックを乗せた専用ジェット機が日に降り立った。 大手投資銀行4位のリーマンが破産し、3位のメリル・リンチがバンク・オブ・アメリカに買収された後、市場は次なる餌を求め、まだかろうじて生き残っていた最大手のゴールドマンと、二番手のモーガン・スタンレーの株価に猛烈な売りプレッシャーをかけていた。マックCEOは市場における信用を回復し、株価を支えるべく、日の金融機関トップと緊急出資交渉のため来日したのであった。 マック氏来日にいたるまでの経過をふりかえってみよう。 まず月初、9月7日の日曜日にファニー、フレディーの2連邦公社が連邦政府の保護下におかれることが、ヘンリー・”ハンク”・ポールソン

  • ネットPRで貴方の地域を元気にしませんか - 菅野敦也

    「 ブログはリスクなのか 」 2004年8月、上梓された『池田信夫 blog』は、政治経済や情報通信に関するグローバル視点での時事解説、快刀乱麻を断つ論説スタイルにて人気を博す。 建設的な運営理念は憧れの対象であり、また、開設より4年半、先生のブログは突出する。 高邁な思考体系をデジタル情報としてオープンにされる賢者は少なく、それも追い風にして、正のスパイラルに入ったものと存じます。 一方、既得権益分配型の階層社会において情報クローズは、利得の温床であり、賢人の思考のブラックボックス化は、一般的に自然なことと納得しています。 さらにブログは、「密室」志向にとっては厄介なシロモノ。 不都合な真実に対し、異常なまでの勧善懲悪の性格を有すことから、美しい理念と掛け離れた組織や人には、ハイリスクな情報漏洩ツールに豹変。 未来社会には、河清実現チャンスの言論ツールになるのですが。 ネットを活かし、言

    ネットPRで貴方の地域を元気にしませんか - 菅野敦也
  • 人口の都市集中が必要だ - 池田信夫

    北村さんの記事から「小泉改革と地方格差」というお題をいただいて、考えてみました。「構造改革で地方が疲弊した」というのは、よく聞かれる批判です。自民党政治家が言っているのは、バラマキ公共事業が減ったという話で同情の余地はないのですが、地方が衰退していることは事実です。しかし農家への所得補償で「地方を元気にする」という民主党の政策は、新たなバラマキになるおそれが強い。 人口の都市集中を抑制する「国土の均衡ある発展」を国策に掲げたのは、1970年代の田中角栄以来の全国総合開発計画ですが、これによって日の成長率が低下したという1970年体制論が、経済学では有力です。図のように1970年代以降、人口の都市集中が止まるのと並行して、実質成長率が低下しました。これは生産性の高い都市に労働人口が移ることによって人的資源が再配分される移動の経済性が失われたためです。 図でもわかるように、小泉政権の時代に

    wackies
    wackies 2009/02/26
     地方都市を考える 都市国家としての日本のありかた
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