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ブックマーク / reki.hatenablog.com (73)

  • 世界史の中の北海道史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「世界史の中での北海道」という視点 北海道はご存知の通り、アイヌ民族の居住地でありましたが、近代以降幕府や政府が経済開発を進める中でアイヌ民族は日人の支配下に組み込まれ政治的にも経済的にも抑圧されてきた歴史があります。 そのアイヌ民族はアイヌ民族という枠組みで自分達を認識するようになるのは日北海道進出の影響が大きく、来はいくつもの集団に別れ文化や言語も種類がありました。 また樺太や千島列島にも同族がいたり、大陸の狩猟採集民とも文化的な類似性を持つなど、独自の北東アジアのネットワークを有していました。 ※記事の末尾にCodocの「投げ銭」機能を入れています。この記事が面白いと思ったら投げ銭いただけると嬉しいです。 1.北東アジアの民族集団ネットワーク 日土では縄文時代は紀元前10世紀くらいまで続き、大陸からの渡来民とともに稲作が入ってきて、西日から徐々に定着し弥生時代に突入して

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    watapoco 2024/03/06
  • 処女航海で沈んでしまった船・軍艦 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Attribution: Bundesarchiv, Bild 193-04-1-26 / CC-BY-SA 3.0 鳴物入りの処女航海であっけなく沈没した船たち 処女航海で沈んだ船といえばタイタニック号が有名です。 超豪華で当時の最新の造船技術を取り入れたタイタニック号は、流氷に衝突して船底から浸水し、海水の流入に耐えきれず2時間40分後に沈没します。 事故が起きた理由はいくつかありますが、その一つが氷河の情報を事前に得ていたにも関わらず、時間を優先し危険な航路を進んだことにあります。どんなに最新技術を注ぎ込んでも、運用する側に問題があるとどうしようもないという事例です。 この記事に登場する「処女航海で沈んだ船」たちもおおむね似たようなものかもしれません。 1. イギリス商船「テイラー号」 船体設計自体に問題があった最新客船 テイラー号は1854年1月、ホワイト・スター・ライン社のために

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    watapoco 2024/01/13
  • 『反知性主義』(新潮選書)−アメリカという国のかたちと「特殊性」について考える - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    当の意味での反知性主義とは何なのか 『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―(新潮選書)』森あんり著(新潮選書)を読みました。 2015年初版のなので少し古いのですが、かーなり面白かったです。 反知性主義って日では非常にネガティブな意味に使われますが、アメリカでは来は非常に前向きな意味を持ち、実際に「平等社会」の実現を目指して社会改革を成し遂げてきたという歴史があります。アメリカ社会の根にある思考が分かる大変素晴らしいです。 1. 来は前向きな意味を含む反知性主義 このはタイトル通り「反知性主義」について述べているものです。反知性主義って、日ではちゃんとした知識を学ばずにデマゴーグに扇動される人たちとか、知識人や権威を(屁理屈をこねて)「論破」して喜んでる人たちみたいな意味が多いです。 どっちかというと知識人やメディアの側が、知やアカデミズムが軽視されてるあまり好

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    watapoco 2023/09/16
  • 政変で死んだ世界史の「幼児王・少年王」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    政権末期や政変時に担ぎ出される幼児王・少年王 世界史ではよく幼児や子どもで王に担ぎ出されるケースがあります。 政治対立が起こり一触即発の場合に、幼い王を擁立させて角が立たないようにするという場合があり、これはこれで衝突を避ける政治的なテクニックではあります。中には成長して名君となるケースもありますが、悲劇的な末路を遂げる例も少なくありません。 日史だと壇ノ浦の戦いで海に身を投げて死んだ安徳天皇が有名ですが、政治的混乱に巻き込まれ死んだ幼児王・少年王をピックアップします。 1. ジャン1世(フランス)1316年 即位後5日で他界した幼児王 フランス王ルイ10世が他界した後、子は娘しかおらず、妃のクレマンス・ド・オングリーが懐妊中でした。そのため出産までルイ10世の弟フィリップが摂政となり、1316年11月15日 に生まれた男の子が、ジャン1世として国王に即位しました。 しかしジャン1世は生

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    watapoco 2023/04/06
  • 不幸な死に方をした独裁者の妻・愛人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    権力の渦中で死んだ独裁者の女たち 権力に憧れるのは男だけではありません。 豪華な宮殿や調度品に囲まれ、最高級の料理や衣服を楽しむ生活。下々の者をコマのように使える快感。常に讃えられ崇められる自己肯定感。独裁者のファーストレディであることは、何ものにも代えがたい魅力があったに違いありません。 しかし多くの国民の自由を犠牲にして得た幸せは人々の恨みも買います。幸せから一転、不幸な最期を迎えた独裁者の女は多くいます。 1. エレナ・チャウシェスク(ルーマニア) 夫ともに銃殺されたルーマニアの「国民の母」 エレナ・チャウシェスクはルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクので、夫とともに自身も権力を握り個人崇拝の対象となった人物として知られます。 エレナは小学校しか卒業していませんが、ルーマニア共産党ブカレスト支部に入党し、そこで21歳のニコラエ・チャウシェスクと出会い、1947年12月23日に

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    watapoco 2023/02/05
  • 他国の領土にある「民族の精神的故郷」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    外国にある「我々の土地」 特にユーラシア大陸の、時期によって主要民族が大きく移り変わった場所では、過去の主要居住地と現在の主要居住地が大きく異なっていることは珍しくありません。 日だと、例えば天孫降臨神話がある高天原、古都の奈良や京都といった地は、そこに例え馴染みがなくても、自分たちのルーツがある土地として、精神的な故郷と感じることができます。 幸運なことに日人の精神的故郷は国内にありますが、そうでない国もいくつもあります。仮に京都や奈良が中国大陸や朝鮮半島にあると考えたら、その感情を少しは理解できるかもしれません。 過去の民族の神話や歴史が整理し近代国家を形成する過程で、場合によってはそれを取り戻そうとする動きも高まり、戦争にまで発展したケースもあります。 1. フィンランド人の故地カレリア フィンランド人の心の故郷 カレリアは現在はロシアのレニングラード州とカレリア共和国、フィンラ

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    watapoco 2022/10/28
  • ドクターペッパーの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    一部にコアなファンがいる炭酸飲料 ドクターペッパーを飲んだことがある方はどれくらいいるでしょうか。 私はありますが、たぶんこれまでの人生で3~4回くらいしか飲んだことがないと思います。それでもその独特の味を思い出すことができます。 チェリー味の甘いシロップに炭酸が入っているような味。やや薬っぽいような香りもします。これがダメな人はダメなようですが、熱狂的に好きな人もいて、コーラよりドクペ、というコアなファンもいます。 どれくらい需要があるか分かりませんが、ドクターペッパーの歴史を紹介します。 1. ドクターペッパーの誕生 ドクターペッパーが誕生したのは1885年。 テキサス州の田舎町ウェーコで、チャールズ・アルダートンという薬剤師が、ウェイド・モリソンが経営する「オールドコーナー・ドラッグストア」に勤めていました。 この店はドラッグストアでありつつ、薬以外にも品や文房具をはじめ様々なもの

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    watapoco 2022/10/13
  • 「修道院領」を現在でも有する修道院 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Livioandronico2013 かつては大勢力を誇った修道院領の残骸 修道院はかつてヨーロッパの各地に教会を中心に畑や醸造所などを含んだ広大な土地を所有していました。 建前上は教皇により支配されているため国王の統治は及ばず、修道院長を筆頭とした独自の組織で運営されていました。中世にはヨーロッパ各地にあったこれらの修道院領は徐々に姿を消し、ナポレオン戦争後のウィーン会議で多くの修道院領は国家に組み込まれていくことになります。 ただし21世紀の現在でも「修道院領」は存在し、昔とやや形は変えながらもわずかながら存続しています。 今回は現存する修道院領を紹介します。 1. モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院(イタリア) Photo by peuplier 世界中のオリヴェータ会を束ねる修道院 モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院は、イタリア中部トスカーナ州シエナの

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    watapoco 2022/09/02
  • 馬から落ちて死んだ世界史の国王15人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    多くの人の命を奪った落馬事故 現代の交通事故に類する事故が、昔では落馬事故にあたったのかもしれません。 不注意や追突、飲酒運転などもあったでしょうし、今の自動車にはない「馬の機嫌」というものもあったので、自動車よりもよっぽど危険です。 落馬で死んでる人は歴史上数限りなくいますが、今回は国王を15人リストアップします。事前に申し上げますが、この15人だけというわけではなく、もっともっとたくさんいます。独断と偏見で15人に絞らせていただいています。 1. ルイ3世(865-882) 女の子を追いかけて落馬 ルイ3世はカロリング家出身の西フランク王国の王で、弟のカルロマン2世と共同統治を行いました。彼の治世は879年から882年とわずか3年しかないのですが、881年8月に北のヴァイキングを倒すなど、軍事的な成功があります。 ルイ3世は882年、17歳のときに、領地のサン=ドニで馬に乗って少女を追

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    watapoco 2022/08/04
  • 理不尽な理由で始まった戦争・完全版 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    よく分からない理由で吹っかけられる戦争がある 戦争を始めるには、指導者にどんな下心があるにせよ、一応皆を納得させられる大義名分が必要です。 ただ歴史を眺めてみると、どう考えても理不尽極まりない理由で始まった戦争も少なくありません。戦争は合理的に始まり合理的に終わると考えるのは、合理主義者が陥りがちな罠ですが、どう考えても理性的じゃない理由で戦争をふっかけられる場合もあるものです。 1. 野良犬戦争(1925年) 兵士が野良犬を追いかけ回し開戦 第二次バルカン戦争と第一次世界大戦で敵同士だったギリシャとブルガリアは、国境線を巡っていさかいが続いていました。互いに罵り合い、煽り合い、不信感が高まり、どんな些細なきっかけでもエスカレーションが起こる危険性が高まっていました。 この戦争は両軍が睨み合うペトリッチと呼ばれる国境地帯で起こりました。 1925年10月22日、あるギリシャ兵が野良犬を追い

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    watapoco 2022/05/29
  • 歴ログ -世界史専門ブログ-

    歴ログは「はてなブログ」での活動を停止します 「はてなブログ」にある「歴ログ-世界史専門ブログ」は2024年3月をもって完全に活動を停止し、noteにコンテンツを移行していきます。 また、noteでは新たな領域のコンテンツ発信を行なっていくつもりです。 続きを読む 世界中の人を虜にする甘いドーナツの誘惑 ドーナツの消費量は世界で増加傾向にあります。 世界のドーナツ市場は2021年で157億8000万ドル(2兆3354億円)に達し、2028年にかけて年間3.4%で成長すると見込まれています。 日では、かつてはミスタードーナツがどこでもありましたが店舗数が減り、その代わりにコンビニやスーパーで気軽に買えるようになりました。 今回はドーナツの歴史を紐解いていきます。 続きを読む 「文化」を軸に"WEIRD"社会の発展を描くビッグ・ヒストリー 『WEIRD「現代人」の奇妙な心理』ジョセフ・ヘンリ

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    watapoco 2022/05/19
  • シマウマに乗りたい人々の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    シマウマを家畜化したいという人々のチャレンジ 歴史上、数多くの人がシマウマを家畜化しとようと試みてきました。 記録には全く残ってませんが、アフリカ牧畜民はおそらくシマウマを飼い慣らそうと相当な努力をしてきたと思われます。しかし現在シマウマを飼い慣らせてないということは、その試みが失敗に終わったということです。野生のシマウマが人に懐かないのは、アフリカ牧畜民があまりにしつこかったため、人を恐れる習性がシマウマに組み込まれてしまったのではという説すらあります。 19世紀以降、アフリカを植民地としたヨーロッパの人々は、大量にいる野生のシマウマをなんとか家畜化して活用しようとして、いくつかの成功事例が出ますが、おおよそ失敗に終わっています。 1. なぜシマウマを家畜化しようとしたのか シマウマは見た目はウマに似ているし、シマ「ウマ」と言うのでウマと似ているような誤解を与えるのですが、実はロバの近縁

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    watapoco 2022/05/19
  • 2021年度世界史関連ベストブック10 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    今年読んだのベスト10を発表します ぼくは自分の読書数を数えたことがないので、今年何冊読んだかよく分からないのですが、多分120~130冊くらいになると思います。 その中で「これは面白かったなあ」と印象に残っている作品をランキングにしました。 「世界史関連」と銘打っていますが、世界史以外の、紀行文や政治学、社会学のもあります。 6冊は2021年度に発刊になったですが、4冊は今年以前のです。中には古典的な作品もあります。2021年に発売されたのトップ10ではありませんので、ご容赦ください。それではいきます。 1位:『チベット旅行記』 河口 慧海 講談社学術文庫 リンク さっそく紀行文かつ古典ですいません。ご覧になった方も多いと思います。 ただ私はまだ読んでなくてたまたま今年読んだんですが、ダントツで面白かったです。 初版は1904年で、その後現代仮名遣いで再編集され、講談社学術

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    watapoco 2021/12/26
  • ウォッカのロシア史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ロシアの国と人を支えてきたウォッカの今昔 ロシア人といえば、大酒飲みで特にウォッカが大好きというステレオタイプなイメージがあります。 90年代のテレビニュースに映った赤ら顔のエリツィン大統領や、ハリウッド映画で描かれる飲んだくれロシア人のイメージが強いかもしれません。 ただ、これが間違っているイメージかというと、半分くらいは合ってるのが悲しいところです。いかに健康を害しようとも、ロシア人はウォッカをこよなく愛してきました。ロシア歴史はウォッカと共にあったと言っても過言ではありません。 1. 「生命の水」ウォッカ 「ウォッカ」がロシアに伝わったのは14世紀後半と考えられていますが、それ以前からロシア人は酒好きであったようです。 キエフ・ルーシの歴史が描かれた12世紀前半の『原初年代記』には、キエフ大公ウラジミールがイスラム教徒に「ルーシは飲むことが生きがい」と言ったエピソードが掲載されてい

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    watapoco 2021/11/16
  • 肥料の歴史−農業の始まりから化学肥料まで− - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    農業と切っても切れない存在・肥料 農業の歴史は肥料の歴史でもあります。 人類はより多く、より美味しく、より栄養のある物を育てるために肥料を使い、研究して新たな肥料を開発してきました。 詳しく書けばが一冊書けるくらいの膨大な歴史がある分野ですが、6000字程度に簡単にまとめていきます。 1. 肥料のはじまり 農業の起源は約1万2,000年前頃と考えられています。 農業が始まった地域は肥沃な土壌が河からもたらされる大河の流域。ナイル川中下流域、チグリス・ユーフラテス河流域、揚子江の中・下流域、インダス川下流域を中心として、農業技術はユーラシア大陸・アフリカ大陸各地に伝播していきました。 農業文明が発達すると都市が生まれ、神殿や住宅、農具の需要が増えるため、大量の木材が必要になってきます。都市は河川上流の木を大量に伐採。川を使って運搬しました。木材資源が枯渇してくると、森林が蓄えていた水分が

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    watapoco 2021/11/08
  • 悪魔の造形の歴史 - 悪魔はどんな形で描かれてきたのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    さまざまな姿で描写されてきた悪魔 悪魔とはキリスト教では、人間をたぶらかし、善の道に背かせ、神を裏切るように仕向ける存在であるとされます。 悪魔自体もサタン、ルシファー、アゼザル、ベゼルブブ、アスモデウスなどなど、数えきれないほどたくさんの数がいます。 悪魔を絵画に描くとき、そのビジュアルは、当時の人々が感じる醜悪で邪悪なイメージに基づいて描かれるのですが、時代によってさまざまに移り変わっています。 この記事では時代ごとの悪魔のイメージを見ていくのですが、そのどれもが悪魔のイメージを現代でも帯びているというのがスゴイところです。 1. アダムとイブをたぶらかす蛇 蛇がアダムとイブをたぶらかし、知恵の実をべさせてしまう旧約聖書の「創世記第三章」は非常に有名です。 ところがヘブライ語の原文ではアダムとイブをたぶらかしたのは蛇ではなく、「サタン」と書かれているそうです。サタンとは「敵」「障害」

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    watapoco 2021/10/14
  • ソ連時代のマッド・サイエンティストたち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「進歩的国家」ソ連が生んだ狂った科学者 マルクス主義理論では、社会主義そして共産主義は人類が普遍的に向かうべき社会であり、成熟し堕落した資主義が倒されるのは必然であるとされました。 そのため社会主義国であるソ連では、アメリカやイギリスといった資主義国よりもあらゆる面で進歩的であるのが当然とされ、学術・産業・文化・芸術など科学的であることが尊ばれました。 確かにソ連時代は科学の進歩が著しく進んだ時代ではあるのですが、中には行きすぎてとんでもないマッドサイエンティストが出現しました。 1. イリヤ・イワノビッチ・イワノフ (1870 - 1932) 人間と猿の交配動物を作ろうとした男 イリヤ・イワノビッチ・イワノフはソ連(ロシア)の獣医学者で、異種間の人工授精の先駆者です。 1898年、イワノフはモスクワに動物学研究所を設立し、家畜の性器の構造や生命現象、受精時の付属性腺の分泌物などを研究

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    watapoco 2021/08/14
  • 海南鶏飯の歴史-シンガポールとマレーシアの「チキン論争」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Terence シンガポールとマレーシアの争いの種「チキンライス」 日韓国、インドとパキスタン、トルコとギリシャ、イランとイラク。 これらの国々は歴史的なライバル関係にあります。 この他にもライバル関係は数多く、政治、経済、宗教、文化、言語、スポーツなど様々な点でお互いを意識し争いあってるし、直接戦争をしたケースも数多いです。 実はシンガポールとマレーシアもライバル関係にあります。その争いのテーマとして、海南鶏飯(海南チキンライス)が挙げられることもあります。 1. 海南鶏飯とは? Photo by Misaochan 世界で人気の海南鶏飯 海南鶏飯(海南チキンライス)は、鶏のスープで炊いた米の上に茹でた鶏を乗せた料理です。シンガポール人のソウルフードで、フードコートや町の飯屋で日常的にべられています。 観光客にも人気で、シンガポールを訪れたら少なくとも1回はべる

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    watapoco 2021/07/20
  • パッタイの歴史 - 人工的に作られたタイの国民料理 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Terence Ong 「タイの国民料理」という使命を持った人工的国民 タイ料理の定番であるパッタイ。 歴史は古くなく、誕生したのは1940年ごろのことです。パッタイは時の権力者により、明確な政治的意図をもって作られ広められた料理です。パッタイ(Pad Thai=タイ炒め)という名前が象徴するように、その成り立ちや拡がりの過程は非常に近代的かつ人工的であります。 1. パッタイとはどんな料理か スーパーマーケットでもガパオライスやトムヤムクン、グリーンカレーといったレトルト品が並び、タイ料理は市民権を得て、いまや日人の日常の一部となっています。 パッタイもスーパーのお惣菜に並ぶほどですが、特にこだわりがないお店だと、「タイ風の味付けをした焼き麺料理」は全部パッタイと呼んでしまう傾向があるようです。ですが、タイの焼き麺料理はパッタイだけではなく、色々種類があります。

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    watapoco 2021/03/09
  • カナダ軍事史の英雄十人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    あまり知られていないカナダの英雄兵 国にはそれぞれ独自の歴史があり、独自の文脈があります。 その中で、その国では高く評価されてるけど他国にはあまり知られていない英雄という人物が必ずいます。 ローカルな英雄兵をピックアップするシリーズを書いていこうと思います。 第一回はカナダ篇です。 1. レオ・メジャー(1921-2008) Photo by Jmajor 二度の戦争で二度の特別功労勲章を得た男 レオ・メジャーはフランス系カナダ人の軍人。 1940年に19歳でカナダ軍に志願し、1941年に西部戦線に合流。1944年6月のノルマンディー上陸作戦に従軍しました。ノルマンディーでの戦闘で彼は4人のドイツ兵を殺害しますが、手榴弾の爆発で片目を喪失。しかし、偵察隊と狙撃隊として従軍を続けました。 1945年4月13日、オランダ東部ズウォレの奪還戦で夜中にたった1人、町を占領するドイツ軍を戦闘を繰り広

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    watapoco 2021/02/23