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2007年12月25日のブックマーク (3件)

  • 二人称小説一覧 - 三軒茶屋 別館

    ●二人称小説一覧(→新版) ◆ミシェル・ビュトール(清水徹・訳)『心変わり』岩波文庫(1957)長編:全編「きみ」 ◆倉橋由美子『暗い旅』新潮文庫(1961)長編:全編「あなた」 ◆都筑道夫『やぶにらみの時計』光文社文庫(1961)長編:全編「きみ」 ◆シオドア・スタージョン(山光伸・訳)『きみの血を(書評)』ハヤカワ文庫(1961)長編:最初と最後だけ「あなた」 ◆ジーン・ウルフ(伊藤典夫・訳)『デス博士の島その他の物語』(1970)中編(国書刊行会『デス博士の島その他の物語』収録):大体「きみ」 ◆阿部公房『箱男』新潮文庫(1973)長編:ほんの一部(《Cの場合》)だけ「君」 ◆山口雅也『『あなたが目撃者です』』(1994)短編(講談社文庫『ミステリーズ《完全版》[現在品切れ]』収録):全編「あなた」 ◆北村薫『ターン』新潮文庫(1997)長編:5分の3くらい(←適当)「君」。他、一

    二人称小説一覧 - 三軒茶屋 別館
    wepon
    wepon 2007/12/25
  • 主人公は当事者。プレイヤーは目撃者で黒子。演劇(歌舞伎)としてのギャルゲ。 - モノーキー

    ▲ギャルゲはインスタント講談師(考察する人)を生成する装置。 講談は自分が歴史を見てきたように語っている。「まことに困った奴でございます」とか「こう言いながら蔭で赤い舌をペロリと出しました」などと実に心易いもので、私がちゃんと見てきたのだから、文句は言わずに、信用しなさい、という立前なのである。 (坂口安吾 講談先生 [青空文庫 Aozora Bunko]) ▼ギャルゲを実際に見てきたかのように語れる(考察できる)プレイヤー 最近、いろんなところで、プレイヤーは主人公に感情移入してるわけじゃないんじゃないかという意見が出てるので。 今回は感情移入について考えてみた。 プレイヤーが誰に感情移入してるのか? って話。 結論から言うと、プレイヤーが感情移入するのは主人公ではなく、現実的にいえば物語の目撃者ということになる。 例えばギャルゲーでは常に主人公の視点で語られてるわけでは

    wepon
    wepon 2007/12/25
    主人公とプレイヤーの関係についての考察
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