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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (172)

  • インターネットを楽しむ人達って、そんなにお利口なんですか? - シロクマの屑籠

    インターネットを楽しむ人達は総じて、お昼のワイドショー番組などを馬鹿にする傾向が強い。曰く、「俗悪なゴシップ記事」であり「思考停止」であり「メディアに洗脳されるがまま」である、と。そしてインターネットを楽しむ人達は、ワイドショー視聴者たる主婦層にも嫌悪と侮蔑の念を向ける。曰く、「俗物趣味」「脊髄だけで動く人」である、と。ワイドショー番組を通して芸能人の醜聞に現を抜かし、ゴミを溜める近所の困り者をテレビの前で罵倒し、健康材の煽動に右往左往する視聴者というのは、なるほど美しい光景とは言い難い。 だが、インターネットを楽しむ人達、例えばブロガーであったり2ちゃんねらーであったりする人達というのは、ワイドショー視聴者達を笑えるほど当にお上品でお利口なのだろうか。この疑問について検討してみると、なんのことはない、大して違わない人種であることがすぐに分かるしみえてくる。つまり、目くそが鼻くそを笑っ

    インターネットを楽しむ人達って、そんなにお利口なんですか? - シロクマの屑籠
  • blog大戦略兵法(の一例) - シロクマの屑籠

    REVの日記 @はてな Blog局地戦で、速やかな退却を見た。 - REVの日記 @はてな 上記リンク先の想像力をかき立てられる文章をみていたら、“或る、北極圏の小さな国で慎ましやかに暮らすクマー達の初等戦闘教”というフィクションでも書きたくなった。衆愚2.0な仮想空間で、火花散らして大戦略。進め進め機甲師団!有利な講和で優越感ゲットだぜ! 【ストラテジー】 ・「戦争とは他の手段をもってする政策の継続である。」というクラウゼ何某さんの格言は、ここでも真である。戦いに勝てば良いのではなく、勝つ必要のある戦いを勝ちにいこう。実際のところ、勝ち負けなんてものは大抵は二の次で、鍔迫り合いの結果として目的が達成されればそれで全く構わないし、目的に適わない戦いは常に不毛である。 ・銃声一発即戦闘、ではblog国家を安定させることは難しい。 ・大して必要でない戦闘を極力避けることは理に適っている。戦争

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  • 「僕なんかが関わると、あのひとに迷惑がかかると思うから」 - シロクマの屑籠

    1.迷惑かどうかを判断するのは、その人自身じゃないんですか? 2.人と人との関わるなかで、相手に迷惑や傷つきを一切与えない営みなんてあるんですか? 3.その人に迷惑がかかるか否かは、あなた個人の適応の可否とは必ずしも合致しませんが。

    「僕なんかが関わると、あのひとに迷惑がかかると思うから」 - シロクマの屑籠
  • なるべくして異性の奴隷となる男(女)達 - シロクマの屑籠

    女性の心ない言葉の暴力に殺された男たち[文書注意] | 住 太陽のブログ 優雅な日曜の午前中に、随分な文章を発見し、なんだよこれはと私は思ってしまった。曰く、「女性達の心許ない言葉の暴力に殺された男達」だそうな。確かに、例として挙がっている男性がメンタル的に追い込まれる一プロセスとして、からの言葉の数々が悪影響をもたらしたというのは想像に難くない。もしも男性が首でも吊ろうものなら、が悪いという文脈が形成されることも致し方ないことと思う。しかし、こういう男性というのは、件の女性のせいだけでコミュニケーション的に圧殺されていくのかというと、私はそうではないと思う(なお、「異性とのコミュニケーションなかで圧殺されていく」という構図は別に男性に限ったことではない。暴君のような男性に抑圧される女性も数多い)。私が思うに、件の鬼に出会わなかったとしても、その男性は別の女性の奴隷になっていたので

    なるべくして異性の奴隷となる男(女)達 - シロクマの屑籠
  • 特定の話題集団限定のコミュニケーションは、「見捨てられ不安」のダメージコントロールが容易な筈だが… - シロクマの屑籠

    相手は誰でもいい多対多のコミュニケーション : ARTIFACT ―人工事実― 多対多のコミュニケーションについてid:kanoseさんが書いていることは、ネット上のコミュニティや、オタクの集まりなどにおいて広く認められることだと思う。例えば特定のアニメやゲームに関するオフ会・コミュニティといったものにおいては、「誰と話すか」よりもむしろ「どの話題の集団で話すか」が個々人にとって重要だ。コンテンツや話題を取り囲むように集まったコミュニケーション*1においては、個々人はどこまで他者と会話しているのだろうか。特定の話題集団限定のコミュニケーションにおいては、他者は自分との相違を浮き彫りにする存在というよりも、自分自身がコンテンツに関して膨らませている願望を反響する装置としてまず機能しているのかもしれない。だとすれば、そのような反響装置は誰であっても良い筈だし、「そのようなコミュニケーションがど

    特定の話題集団限定のコミュニケーションは、「見捨てられ不安」のダメージコントロールが容易な筈だが… - シロクマの屑籠
  • 考えない人・メッセンジャー・学者さんの三つ巴 - シロクマの屑籠

    理解、または洗脳合戦の領域をみていると、1.考えない人2.メッセンジャー3.学者さん が三つ巴のジャンケンのような関係を形成している様子がしばしばみられる。とりわけ、1.〜3.までの程度差が大きくなりがちな、複雑な学問・専門性の高い学問・難解な学問 においてはこの構図を形成しやすい。 1.考えない人2.メッセンジャー3.学者さんは、それぞれのレイヤーでそれぞれの理解を構築する。彼らは勿論自分達が見知った出来事を(程度の差こそあれ)良いものとしているわけだが、異なるレイヤー間で議論を行うときには相性問題を起こしやすい。以下に、それをちょっと書く。 1.考えない人 白か黒かでなければ把握が困難な人達であり、自分の理解している範囲を「限定」したり、分からないことに分からないという「留保」を準備したりすることが困難な人達。赤ワインも納豆も体に良くて、ゲームは脳がダメになるから禁止、オタクは理解不能

    考えない人・メッセンジャー・学者さんの三つ巴 - シロクマの屑籠
  • 宴席で酒を無理強いされる状況も、事前対応次第で何とかなったかもしれない - シロクマの屑籠

    アルコールが呑めない人が無理矢理呑まされることはあまり好ましいことではないだろう。急性アルコール中毒のリスクは勿論として、身体的に変え難いものを気合だの帰属意識だの次第であると勘違いして他人に強要することには私も賛成できない。よって、まずは「呑めない人に無理矢理アルコールを呑ませる人」の態度なり考えかたなりを非難しようという意見には賛成ではある。 しかし、アルコールが呑めない人自身が無理矢理呑まされることには、幾ばくかの「自分の努力で回避できた余地」というものが含まれていることがある。とりわけ、新入生シーズンから一ヶ月が経とうとしているGWにもなって未だに「無理矢理呑まされる」とか「何年経っても呑まされる」ということになると、周りの連中の問題もさることながら、そんなポジションに甘んじている自分自身の判断なり舵取りにも問題があるのではないだろうか。初回の飲み会でリスクを回避できなかったという

    宴席で酒を無理強いされる状況も、事前対応次第で何とかなったかもしれない - シロクマの屑籠
    westerndog
    westerndog 2007/05/03
    はてな的反応に安心した。
  • 話題が豊富なだけではコミュニケーションは覚束ない - シロクマの屑籠

    2007-04-29 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」 これは確かに“非モテのカードゲーム”に違いありません。この極端な比喩を書いてしまうからには、コミュニケーションなり適応シーンなりでお困りでしょうし、大いなる勘違いを惹起しかねないかと。 確かに、レアでコアな趣味なり何なりが適合した時の喜びは大きいですし、巧くいけば二者関係の強烈な接着剤となり得ます。また、手札の数が多いこと・知識ジャンルの引き出しが多ければ多いほど重宝するということにも異論はなく、例えば症例12補足:文化多様性を生かしたカードゲームのようなコミュニケーションと、文化ニッチを越えたコミュニケーション(汎適所属)に挙げられているような話にも納得できる所があるわけです。コミュニケーションのモデリングのひとつとして、カードゲームに喩えること自体も決して間違っているとは思えない*1し、(repu

    話題が豊富なだけではコミュニケーションは覚束ない - シロクマの屑籠
  • 現在の世代別投票率が続く限り「高齢者のほうを向いた政策」は終わらない - シロクマの屑籠

    国や地方自治体の政策を「時代遅れ」「老害」「年寄りの顔色ばかり窺っている」と呼ぶ人をネット界隈では大勢みかける。2chでもブログ界隈でもmixiでも、「政治家と官僚は若年〜壮年世代の未来をいつぶすつもりか?」「時代に追随出来ない、ぼけた政策を改めろ」などなど、批判的な事を書いている人はどこにでも転がっていて、若年世代の憤のようなものを感じずにはいられない。 彼らの批判をよく観察してみると、時折、“民主主義”という語句を用いて為政者批判を行っている人もいる。しかし民主主義における為政者・被選挙者というものは有権者の意見を汲み取って政策に反映させる筈のものなわけで、だとしたら現在の日政治状況は必ずしも民主主義の理念に反してはいないように思える。現状においては、「高齢者のほうを向いた政策傾向」を為政者が持っていたとしても、あんまり文句が言いづらいんじゃないだろうか。そこら辺についてちょっ

    現在の世代別投票率が続く限り「高齢者のほうを向いた政策」は終わらない - シロクマの屑籠
  • お互いを見下し合うカップル - シロクマの屑籠

    一般に、男女交際の関係が構築されていくということはめでたいことと言われている。また、男女交際を善いものと捉える風潮の故に、男女交際をやらないよりはやったほうが好ましいとも思われている。だが巷を見渡せば、見るも無惨なカップルが溢れている。今回は、その一類型としての「見下し合うカップル」に触れてみる。 30歳SE男性 あの30歳男性に「どうやら彼女が出来たらしい」ことを知ったのはX年の11月頃のことだった。三十路に突入するまで浮いた話が無かったっぽい彼において、「彼女が出来た」というのはとても嬉しいことの筈なのに、妙に淡々としているのが気になった。彼が忌み嫌ってきたクリスマスも近いにも関わらず、である。逆にそのことに興味を抱いた私は、当人について知る周りの人から情報が入ってこないか耳をダンボにして待つことにした。また、当人との会話のなかでどのような語りが出てくるのか待つことにした。やがて、断片

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  • いい加減、「甘え」と「努力」を対立項だと勘違いするのはやめようよ - シロクマの屑籠

    ちょっと、以下のグーグル検索の結果を見て欲しい。 努力 甘える - Google 検索 この検索結果からは、「甘える」と「努力」を対立項のように捉えている文章が沢山見つかる。かなり嘆かわしく、短慮のほかないと思う。しかし実際、多くの人が「甘えること」と「努力すること」を対義語のように用い、対立する概念のように考えているのが現状なのだろう。即ち、甘えることの重要性を説く人は努力を否定し、努力を強調する人は甘えることを非難する、という図式である。しかしこれは道理に合わない考え方ではないだろうか。 「甘える」能力を馬鹿にしてはならない。適切に甘えることが出来る人は強い。自分では出来ないことも、省力化したいことも、他人に解決してもらえる。そして甘えるスキルが巧みな人は大抵、相手をむしろ気分良くしながら助けて貰ったりするのだ。「甘え上手」ということは間違いなくコミュニケーション上の大きなアドバンテー

    いい加減、「甘え」と「努力」を対立項だと勘違いするのはやめようよ - シロクマの屑籠
  • 邪悪なブックマーカー達は、カルマの低い人をマークしているに違いない - シロクマの屑籠

    悪業を積んだブロガーは、自らのカルマによって自滅する - シロクマの屑籠 リンク先エントリでは、自らの業深いカルマによってブロガーが(そしてコミュニケーション主体者が)自滅しやすくなることについて書いた。実際、悪いことばっかりやっているブロガーは、因果が回った挙句にクロスファイアの只中で焼かれることが少なくない。 当人にとってはこれは由々しき問題であり、当然品行を改めたほうがよさげと僕も思うわけだが、邪なはてなブックマーカー、とりわけアルファクリッパーだのはてな大カラスだのと呼ばれる怪しい人達においては、別種の興味が惹き起こされることと思う。つまり、「カルマの低い人は因業によって大炎上する可能性のある火薬庫だから、マークしてたら素晴らしい見世物に遭遇できるかもしれないね」、という興味である。 ご存知の通り、「衆愚2.0」ともいうべきはてなブックマーク界隈においては、天まで届く大炎上・自意識

    邪悪なブックマーカー達は、カルマの低い人をマークしているに違いない - シロクマの屑籠
  • 現代の通過儀礼としての「女性経験・男女交際」 - シロクマの屑籠

    かつて、日男子には元服という儀式があった。元服という儀式がなくなった後、徴兵制や成人式が一定の役割を担っていた時代もある。通過儀礼を経験することを通して、男子は一丁前の男としての認知を自他両方の側から獲得する、というカラクリだろうか。 もちろん通過儀礼は日国内に限ったわけではなく、バンジージャンプや(よその部族に対する)首狩りに代表されるように、様々な通過儀礼が存在していた。バンジージャンプは現在ではすっかり娯楽化しているようだが、来は地上スレスレで落下が止まるように計算してロープを用意しなければならない等、勇気・力・知恵を総動員して取り組まなければならないリスクの高い通過儀礼だった。危険と向かい合う勇気や命を守る為の知恵を持つ者だけが一丁前の男として認められる、ということだろうか。 しかし現在の日男子には、この通過儀礼に相当する経験が見当たらない。男の子から一丁前の男になったこと

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  • シロクマの屑籠(汎適所属) - 老人が尊敬される時代は終わった

    かつて、老人は敬うものという価値観が日にはあったのかもしれない。まだそういった価値観が残っている国・地域は残存しているものの、儒教圏か否かに関わらず、老人への尊敬というものはだんだん目減りしているように思える。“老人を敬う”という精神が、前提ではなく限定へ、そして衰退へと向かっている背景にはどのようなものがあるのか?価値観の変容を促した要因にはどんなものがあるのか?この文章では、“老人が持つvalueの低下”という視点から幾つかの要因を考えてみる。 老人一人あたりのvalueが低下している時代 人間というものに、valueという言葉をあてがう事には私も抵抗を禁じ得ないが、かつて老人が尊敬されていた時代においては、老人は無条件に敬われる存在というよりも、共同体・家族などに大きな貢献をする存在とみなされていたことに私は注目する。キリスト教文化圏ではどうだか知らないが、儒教文化圏であれ、ポリネ

    シロクマの屑籠(汎適所属) - 老人が尊敬される時代は終わった
  • シロクマの屑籠(汎適所属) - 私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている

    以下のエントリ群と、それに対するトラックバックやブックマーク数をご覧になって欲しい。私は人生ゲームに喩える、という視点があっても良いとは思うし、そういった視点から得られる教訓やユーモアを貴重なものとは思うけれども、人生ゲームに擬える視点がこれほどまでに一般化・陳腐化している事には驚かざるをえない。 はてなブックマーク - 人生は神ゲーだ はてなグループ はてなブックマーク - 煩悩是道場 - 人生は神ゲーなんかじゃない はてなブックマーク - 人生は糞ゲーだ - うさだBlog 人生を神ゲーに喩える人、糞ゲーに喩える人。ゲームが楽しいという前提に立って、ゲームほど楽しくないからゲームじゃないと言う人。堀井雄二さんの「人生RPG」以来、人生ゲームに喩える表現はこんなにも一般化してしまっている。 ロールプレイングゲーム、とりわけ見下ろし型のロールプレイングゲームやシミュレーションゲーム

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  • 釣られたかどうかよりも大切なこと - シロクマの屑籠

    ネットで議論する相手を判断する基準 - ARTIFACT@ハテナ系 1. そりゃ私だって、釣られた時に「こん畜生!釣られちまったっ!」と思うことはある。散々議論を重ねた相手に、突然「ネタでした〜べろべろば〜!」とやられたら「なんだこいつは」とも思うだろう。とはいえ、釣った相手に怒りをぶちまけるよりも、そんな相手に対して労と情念を費やした自分自身の愚かさや軽挙さを呪うのが私の流儀だ。幾ら彼がずるかろうが卑怯だろうが、それに釣られて憤怒する自分は華麗でも壮大でもあるまい。 釣られたり梯子はずしされたり罵倒されたりして猛り狂わなければならないなら、どんな相手が釣りを仕掛けそうか、どんな相手なら梯子はずしをしそうか、見極めてリスクを回避しろってもんだろう。「誰が悪いのか」という悪者探しをするのも結構なことだけど、自分自身の人間鑑識眼を少しでも精錬することにエネルギーを使ったほうが、反省を生かして今

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  • id:ululunさんには因果が回ってきたんですよ - シロクマの屑籠

    はてな界隈には、id:ululunさんという人物が存在している。彼のテキストがどのぐらい沢山の読者に読まれているのか、またどのぐらい沢山の着想をプレゼントしているのかは知らないが、ただ一つ、沢山の被ブックマークを集めている『煩悩是道場』というブログの持ち主だ、という所までは知っている。 この、被ブックマークの鬼とも言うべき人物の周辺がざわ…ざわ…となったのは以下の流れ、である。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070128/1169954241 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070129/1170069819 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070130/1170123378 この流れをどう分析するかは人それぞれだろうが、「あなたのエントリによって私だって傷ついているんだぞ!わかってんのか!」という

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  • umetenさん、じゃあ2chよりもはてなにはご立派な人々がいらっしゃる、とでも? - シロクマの屑籠

    もはや、ブロガーにとって、2ちゃんねるはこういうどうしようもない「頭のかわいそうな人」たちをしっかり囲い込んでおくための隔離装置=ゲットーとして機能している。 名なしさんを名乗れば自分が高みに立てると妄信するその態度。 掲示板とブログの間のデジタルデバイドとでも言うのか。 もちろん、根的には個人差なのだろうけど、それらが群れて集まっていてくれる「ガス室」*2として、2ちゃんねるは存続しておいてもらいたい。 そこで誰が中毒を起こそうと、窒息しようと、知ったことではない。 ただ、ふらふらと徘徊してもらっては困るのだ。 「頭のかわいそうな人たちのゲットー」一ブロガーが2ちゃんねるの存続を希望する理由 - こころ世代のテンノーゲームより抜粋。 ところで、はてなにはumetenさんの仰るゲットー機能は無いものなんでしょうか。私のようなごみくずも含めて、随分業の深い生き物が氾濫していますよ?はてな

    umetenさん、じゃあ2chよりもはてなにはご立派な人々がいらっしゃる、とでも? - シロクマの屑籠
  • データを溜め込む事が高度に目的化したオタクとの遭遇 - シロクマの屑籠

    私は色々な価値観や生活観のオタク趣味者と会うことを歓びのひとつとしている。例えばゲーム界隈ひとつ取っても、コレクター・技術者・ハイスコアラー・クソゲー鑑賞者などなどといった様々な“お付き合いの仕方”のオタク達がいるわけで、オタク達の価値観なり生活観なりには様々なバリエーションが存在する(と私は理解している)。 昨日会ったBさんは、あんまり会ったことのないタイプだったので記録に残しておく。拘りどころがちょっと珍しいというか、変わった執着の仕方というか。それとも、偶々私が知らない界隈ではよくあるタイプなのか。 BさんはグラフィックやゲームBGM同人音楽などを愛好している。コミケなどでも積極的にCG集や同人CDを買い漁るほうで、夏も冬も重い戦利品を抱えて凱旋するのだという。まあ、ここまではわかる。よくあるタイプの一つだ。 Bさんはそれらを“溜め込む”のである。CG集やら同人CDやらを買うと、B

    データを溜め込む事が高度に目的化したオタクとの遭遇 - シロクマの屑籠
    westerndog
    westerndog 2007/01/16
    コレクション的ななにかの延長だと思う。こういう人が自分のデータの検索技術の開発に目覚めたら、検索技術は画期的進歩を遂げるかもしれない。
  • 進化生物学者と似非科学論者との決定的な違いに関して - シロクマの屑籠

    科学が『ニセ科学』を糾弾できない当の理由 上のエントリを読んだ私は、素人目にもあまりにもひどいと思ってしまい、一応知っている範囲で進化生物学を弁護したいという気持ちになった。似非科学者達と真面目な学者達が一緒にされているのはあんまりだという心持ちにもなった。しかしやぶへびかもしれない。なぜなら、この記事はあまりにも釣り臭すぎるからだ。しかし、愚直に突っ込みを入れることにしよう。トラバ先の文章には、それこそ数え切れないほどの突っ込みどころがあるわけだけど、今回は三つのポイントを選んで反論を試み、最後にまとめてみた。残りの突っ込みどころは、はてなカラスの皆さん、宜しくお願いします。 【上の進化論批判に関して、そりゃないよと言いたい所幾つか】 1.遺伝子の近縁性に関する研究が無視されている 特定の酵素や蛋白をリリースする遺伝子の多形性を追いかけることによって生物間の近縁度を(相対的にせよ)測定

    進化生物学者と似非科学論者との決定的な違いに関して - シロクマの屑籠
    westerndog
    westerndog 2006/12/27
    気合の入った記事。お疲れ様です。