東の空がうっすら明るくなって、 コンビニまでご飯を買いに行く。 その間に誰ともすれ違わず、 自動販売機の押しボタンの明かりが、 強くなったり、弱くなったり、ほのかに揺れている。 新聞配達のバイクが小刻みにブルルンと言うのが遠くに聞こえて、 自分以外の人間が、そこにいることがわかる。 本当はこれくらいが丁度いいと思うんです。 明るくなると、箱の中から人がどんどん溢れ出て、 足で歩いたり、顔で喋ったり、脳で考えたりするから、 たまらず私は、家に帰って、次の夜明けを祈ります。
東の空がうっすら明るくなって、 コンビニまでご飯を買いに行く。 その間に誰ともすれ違わず、 自動販売機の押しボタンの明かりが、 強くなったり、弱くなったり、ほのかに揺れている。 新聞配達のバイクが小刻みにブルルンと言うのが遠くに聞こえて、 自分以外の人間が、そこにいることがわかる。 本当はこれくらいが丁度いいと思うんです。 明るくなると、箱の中から人がどんどん溢れ出て、 足で歩いたり、顔で喋ったり、脳で考えたりするから、 たまらず私は、家に帰って、次の夜明けを祈ります。
一人で家から見る花火は、上司からのどんな叱責より心が痛む。 この花火の下ではたくさんの人たちが仲間たちと花火を見てはしゃいでいる。 かたや私は。 花火があるからって早く家に帰されるのも毎年のことだ。 家に帰ったって花火の爆音を聞きながら普通の生活を送るだけ。 「花火を見てみんな楽しみましょう」 この流れに私は乗っかることができない。 社会から取り残されている。 花火なんて無縁の、そんじょそこらの土地に生まれたかった。
暗い部屋で暮らしていると、心がダークになっていくというのは、『あーあるある』のように思われる事実だけど、実際自分が暗い部屋で暮らして病んでいるときには、これに思い当たらない。もしくは思い当たっても、『いや、そんな単純な理由で病んでいるわけではない。この閉塞感は太陽光で解決できる問題ではない』と一蹴するのである。 夜が好きというのはやや危険な傾向である。そもそも人間は夜に生きるように作られていない。人間が夜もおおっぴらに活動するようになったのは灯りが発明されてからだ。 おもしろいことに人は病んでいるときに、『病んだままでいよう』とするようだ。病んだ人にとって、変化はおそろしい。その視点では、まるで世界が病んだかのように見える。 風景画ひとつとっても、灰色がかった風景画は、なんだか陰鬱なものに見える。色彩豊かで明るければ、優雅さを生み出す。部屋が暗いとは、陰鬱の中に生きることに似ている。 明る
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