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増田と郷土史に関するwhaleboneのブックマーク (7)

  • 無職期間に読む「郷土の歴史」の味わい

    無職になって2か月が経った。 徒歩圏内にある二つの図書館を行ったり来たりしている。 いや、徒歩圏内というのは一般的な意味での徒歩圏内じゃない。「無職者にとっての」徒歩圏内だ。 それはまぁいい。 別に学習意欲が旺盛なわけでも、知的好奇心に溢れているわけでもない。 ただ、何もせず一日を過ごしてしまうと16時くらいから窓の外が完全に暗くなるまでの数時間、心の中の小さなハムスターがシクシクと泣き出してしまうので彼を慰めるために図書館に出向いている。 (なお、彼は労働しようとしてもシクシク泣き出してしまう) ところで、近所に「旭小学校」という小学校があって、図書館で「郷土の歴史」的なを読んでいたらその由来が解説されていた。 その小学校は近隣の三つの村から子供が通うために作られたもので、学校の名前をどうするかでもめていた。 三つの村がそれぞれに自分の村の名前を小学校の名前にするべきだ、と主張していた

    無職期間に読む「郷土の歴史」の味わい
  • いたばし花火大会に関して

    火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。 でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。 そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。 荒川放水路工事と河道直線化赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは

    いたばし花火大会に関して
    whalebone
    whalebone 2023/08/07
    『飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけない』
  • 『地域特有の偉人っているよな』へのコメント

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    『地域特有の偉人っているよな』へのコメント
  • 地域特有の偉人っているよな

    京都で小中学校に通うと必ず習う「田辺朔郎」なる人物がいるんだが、他の県、京都でも舞鶴とか上の方の人になると全く知らない人が多い。 田辺朔郎は簡単に言うと疎水(琵琶湖から水引くやつ)作った人。 その話をフォロワーにしたら全然知らなかった。 しかしフォロワーは「佐倉惣五郎」なるご当地偉人を知っていた。 面白い。 というわけで、これを読んでいる人、全国的には知られてないだろうなあと思う偉人を知っていたら教えて欲しい。 追記 思ったよりいろいろ出てきてびっくりした!ひとつずつ調べてみます。ありがとう!

    地域特有の偉人っているよな
  • 婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

    今年87歳になった婆ちゃんに、 正月、田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。 当時「この世界の片隅に」のすずと、 同じような年齢で戦争を経験した婆ちゃんに当のところは、 どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。 婆ちゃんは7人兄弟の三女。 婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて 物心ついたころには、後としてきたお母さんに育てられたそうだ。 婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく 家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、 戦争前に事業に失敗。 家は途端に貧しくなったらしい。 たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、 小学校の先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て 婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。 当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、 授業料免除の手続きなどをするなど、 当に熱心に動いてくれたらし

    婆ちゃんに戦争の話聞いてきた
  • 佐野市のこと

    私は北関東民だ。北関東は、自他共に認める魅力のない三県で成り立っている。まず、佐野市とは、栃木県の市である(ちなみに栃木県とは、関東北部の県だ。存在感のない茨城県、群馬県の間に挟まった地味な県である)。県庁所在地でもない。群馬県と隣接する端あたりにある。誇るものがとくにない我が地元から見ても、印象が薄い。野球で例えるなら県庁所在地のある宇都宮市が二軍なら、佐野市は草野球のようなもの。とはいえ、北関東の地味市だる我が地元も草野球なのである。 同じ草野球サイドから見ても、佐野厄除け大師やラーメンしかないし、別に用はない地味な市だ。佐野市サイドとて、我が県に仕事以外では用がないだろう。 いわば、北関東とは、大した魅力のないものが集まった集合体なのである。とはいえ、北関東のことをよく知りもしない道府県民がごじゃっぺ訛りで、揶揄すると、軽くイラつくほどに愛着を抱いているのである。 ツイートする

    whalebone
    whalebone 2015/09/06
    天明鋳物は 田中正造旧宅は
  • 首都圏の主要道路の変遷メモ

    明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。 ■今昔マップ on the web 首都圏編 で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。 なお、情報源はこの今昔マップが主で、一部ウィキペディアからの情報で補足しているが、事実と異なる記述があったらご容赦。自分の興味地域は、東京南部~神奈川なので、以下はそのエリアについてのみ。 【おもな放射道路編】 東海道(国道1号・15号)日橋~品川区間。 1900ごろ時点で現在の国道15号と同じルート。市電も敷設されていた。八ツ山橋が現在の道路形状になったのは1960ごろ。品川~横浜間。 京急線が1900ごろ時点ですでに敷設されているが、道路は現在の旧東海道のみ。六郷橋は1900ごろ時点ですでに架橋されていた。現在の国道15号品

    首都圏の主要道路の変遷メモ
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