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増田とlifeに関するwhaleboneのブックマーク (110)

  • 30後半で嫁さんが死んでから数年がたち40歳になる。

    嫁は5つ年上ですでに40過ぎて死んだんだけど、嫁の人生、40年を振り返ることもなく、ただ俺はさみしいとなく。 それが数年たってもあんまりかわらない。週に1回くらいかな、週末とか。 仕事も給料稼ぐためにしてる仕事なら、もうここまで頑張んなくてもいいじゃないかと思う。 なんちゃって管理職で、部下の誘いも結構つらい。 家に帰ってもだれもいないし外にたくさんでればいいんだけど、家に早く帰りたい。 親は公務員だったからだいたい老後も安心だし。俺は子供もいないからなんていうかそのさ 張り合い?がないまま40になる。 人生消化試合のまま、楽しいことはいずれはあるんだろうと思いながら 40になる。40になってから楽しいことってなんだろう。 スマホゲーム? 愛すべき産まれて育っていくサークルなんてない。 俺のさみしさは嫁を失ったからで、それ以外なんてない。 街中歩いても、飲みにでても嫁以上の女なんていない。

    30後半で嫁さんが死んでから数年がたち40歳になる。
  • 30歳から34歳が受けた心の傷

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000122-mai-soci 30歳から34歳という年齢は、有効求人倍率が1を割った就職氷河期のピーク時に卒業の時期を迎えた年齢とドンピシャだなぁ。 当時就職がうまく行かなかった人は、自分に自信を無くした。自分が劣っているのだと思った。周りの人もそう思った。世間も「景気が悪い」事はわかっていたけど、それがどの程度なのか把握している人は殆ど居るわけ無くて、もちろん有効求人倍率がどんな事になっているのかを知らない人も多かった。上の世代にも下の世代にも、就職できない駄目な奴という視線を浴びせられた。ほんの数年生まれるタイミングが違っただけで、同程度の努力をした人でも就職できたのに、今この年齢の人たちは当時就職できなかった。そして企業は新卒を採用するので、最初のタイミングで躓いた人はもう就職の希望はほぼ途絶

    30歳から34歳が受けた心の傷
  • Jリーガーだった。

    Jリーガーだった。 つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。 山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕

  • 友達がいない税を払った

    二十代最後の誕生日だったが、今年はついに誰からも祝われる事が無かったので、友達いない税として日赤十字に10万円を寄付した。自分を追い詰める為に課した罰であり、実際今日まで何もしなかった為に罪を負った。 SNSもやっているが、今日は自分の誕生日です!だなんてみっともない事を言えないので、増田に書く事にした。 さっきまでコンビニで買った弁当をっていて、その間はネットニュース見てて、べ終えて一息つくと猛烈な虚無というか、渇望の様なものが沸き、どうしようもならないと諦めて、少しだけ涙が零れそうになった。 どうしてこうなってしまったか、自分でもハッキリわからないでいる。 人と喋るのが苦手なんじゃない。けど、人と深く付き合う事が出来ないでいる。独りが好きな訳じゃない。けど、一人で外に出かける方が楽と感じる。酒も飲める。都内に住んでる。身なりも多少気を使ってる。金も自慢出来るほどではないがある。

    友達がいない税を払った
  • 夏休みだねえ

    今窓を網戸にしてビール飲んでいて、テレビから高校野球のダイジェストが流れてて、夏休みを感じた。 ラジオ体操とか、その後朝飯ってから昼飯まで5時間あるとか、線香の匂いと終わんねえ宴会とかさー、始まるときの何でもできる気持ちと盆過ぎの暗澹たる気持ちとか、そういういろいろな夏休みの手触りがよみがえってきてなんか随分年ったなと思う。 そんで、こういうこと思い出すと決まって帰りたいなあってばっかり思ってたんだけどさ、なんか今日は、そうじゃなくてなんてんだろ、戻れないけどまあここにもあるじゃんて感慨がやってきた。なんかいい気分なんだ。うまく伝わんないと思うけどちょっと誰かに言いたかったんでここに書いとく。

    夏休みだねえ
  • 自分は魔法使い。職場は魔法省の地方支部。最近限りがあるらしいと判明し..

    自分は魔法使い。職場は魔法省の地方支部。最近限りがあるらしいと判明した世界(と言うか地方の)マナの使用量を計測するのが仕事。 …ファンタジー世界で生きる自分を妄想することで現実から目を反らしている。魔法使いになることが子供の頃の夢だった。ゲームみたいな冒険がしたかった。 もう魔法使えないのが辛すぎるからいっそのことファンタジー脚色した日記を書いて気分だけでもファンタジーしたい。

    自分は魔法使い。職場は魔法省の地方支部。最近限りがあるらしいと判明し..
  • 祖父と競馬と私

    祖父が亡くなってから今年で3年が経った。 晩年の祖父は病院で寝たきりだったが、元気だった頃(亡くなる時から4〜5年ぐらい前か)は、専ら競馬と駅伝のTV観戦が趣味だった。 特に競馬が好きで、自分の物心ついた頃から、祖父の机には競馬のマークシートが積み上げてあり、1日競馬新聞を見てボールペンで新聞に書き込んだり、マークしていた。それを見ながら小さい自分は白紙のマークシートに絵を描いて遊んだり、マネして適当にマークしてみたり、よくわからない競馬を一緒に見ていた。 そしてしばらくすると祖父は「散歩に行く」とだけ言って出かけて、近くの場外馬券売り場で馬券を買って帰ってくるのだった。 祖父が買う馬券は子供の自分は見てもいつもよくわからなかった。 単勝だとかワイドだとかボックスだとかながしだとか書いてあったが、いつもだいたい右下に「100円」としか書いていなかった。(もしかしたら最低額が300円の馬券と

    祖父と競馬と私
  • 何にもなれなかった人たち

    Twitterを見ていると有名な人に毎日毎日リプライを飛ばしている人たちがいる。 そんな人たちは大抵有名な人たちが使っているものと同じものを揃えて、同じようなことをしようとしている。 きっと彼彼女らは有名な人になりたいのだと思う。 高校生くらいならまだ可愛げがある。 しかし、そこには3040の人間がゴロゴロといる。 なんだか見ていて辛い 真似をしていても何にもなることのできないまま大人になった人たちは一体何を夢見ているのだろうか。

    何にもなれなかった人たち
  • リアルがループものみたいになってる

    何も無い田舎町 単調なルーチンワーク 同じことしか言わない上司や同僚 失敗したはずの方針を繰り返す会社 俺自身もこのループシステムに取り込まれ同じことばかりしている 唯一インターネッツだけが変化する外の世界の様子を伝えていたがそれも最近怪しい この先どうなってしまうんだろうか 何も無い田舎

    リアルがループものみたいになってる
  • 中年で独り身の人って何を糧に生きてるの?

    こちら40代独身会社員。 なんか急に生きるの飽きて来たんだよね。 てか会社で同じ様な事を20年以上続けてたらそりゃ飽きるわ。 どう頑張って生きてもあと50年もすりゃ俺は死んで俺の人生はゼロになるでしょ? 極端な事を言うとこれから50年寝て過ごしてもがむしゃらに働いても最後はゼロになる。 貯金が6億あろうが借金が7億あろうが死んだら同じ。 そう考えると途端にやる気無くなるというか飽きてきたんだよね。 正直自分が死んだ後の事なんぞどうでもいいし。 人の人生なんて死ぬまでの暇つぶしって誰か言ってたけど。 結局みんな死んでゼロになるんだからどう生きたって一緒なんだよね。 結婚して子供でもいればまた違うんだろうけどその予定もないしな。 同じ様な環境の人ってどうやって人生のモチベーション保ってるの? 明日から無駄に長いお盆休みの始まりなんだけど何もする事が無い。

    中年で独り身の人って何を糧に生きてるの?
  • 遠い

    もうすぐ40になる独身・一人暮らしの自分 仕事はあまりできない 決められた時間に行ってできない部分は言葉で誤魔化したりしつつ、終わりの時間が来るまで何とか乗り切る、その繰り返し 新しいことは学ばず、古いことはだんだん忘れてゆく 生活はだらしない 掃除機かけるのもバスタオルの洗濯も、月1回もやらない、のトイレだけは2日以内に何とか掃除する 事は半分くらい安い外栄養バランスもあまり考えてない 税金払うのを忘れていてよく督促状が来るが、滞納金は発生する前に払えている こんな駄目人間だけど、それでも自分の人生の中では、今は一番ちゃんとまともに生きられている時だ 何もできない子供の時代から、カタツムリよりもゆっくりだけど、前進はしていると思う まがりなりにも自力で稼ぎ(そうできるようになれたのは、嫌がる自分に金と発破かけて受験とかさせてくれた親の力だが) まがりなりにも自分で身の周りの事を処

    遠い
  • 適当に生きられなくてしんどい

    旧帝大3年、文系、女 就活が憂だ。 自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。 就活は茶番だと啖呵を切ってみても、就活に反抗して自分で起業するだけの気概もなければ、反抗心をむき出しにして面接の場で音を語るだけの勇気もない。けれど反抗心をなかったことにして適当に茶番にのっかる自分を許すことも出来ず、中途半端な人間が出来上がり、そんな風しか生きられない自分が、しんどい。 私は仕事を通した自己実現なんて求めていないし、社会を良くするというような使命感も持ち合わせていない。仕事に求めるのは、自分一人の生計が立てられて、1ヶ月に1回ぐらいお寿司とか焼肉とかおいしいものがべられて、1年に1回ぐらい国内旅行(18きっぷでかまわない)に行けるぐらいのお金を稼げて、休日には家でゆっくり読書とネットサーフィンができる時間があって、こころと身体の健康を損なわないこと、である

    適当に生きられなくてしんどい
    whalebone
    whalebone 2015/03/06
    『現実的で内向的で悲観的な人間が、社会で自分が必要とされているという実感を得るのは、難しい』
  • 53歳独身だけどやる事なくて辛い

    最寄り駅の立ち飲みやで軽く晩酌してつまみで腹を満たし8時頃帰宅した。 もう既にやる事が無い。 一時小説を読んでいたが目が疲れるのでやめた。 両親は共に他界してる。 当にやる事がなくて暇だ。 会社ではそこそこのポジションにいて、それなりに給料を貰っているが使い道が無い。 同級生はほぼ所帯を持っているので平日の夜に呼び出すなんて事は出来ない。 そもそも家庭がある人間と話が合わなくなって来た。 子供の教育や進学の話なんぞ分かるはずが無い。 私が死ぬまであと40年程ある事に絶望してる。 毎日仕事して帰宅して起きてまた仕事しての繰り返し。 週末は当に何をしていいか分からない。 趣味を持てなんて言われても正直めんどくさいしこの歳から何をすればいいんだよって思う。 一時寂しくてキャバクラに行ってた時期が合ったが相手が自分の金の事しか見てない事が分かりやめた。 結婚しておけば良かった。 少なくとも今よ

    53歳独身だけどやる事なくて辛い
  • 自分の上位互換

    自分の部署に自分の上位互換のような人間が入ってきた。 俺はもう不必要だ。はじめから自分の代わりなのかもしれない。 辛い。苦しい。逃げ出したい。 若くてすごい奴はいっぱいみてきた。 でもまったく同じ場所に立つとは思っていなかった。 そんな覚悟なんて持ちようもなかった。 周囲の視線にも耐えられない。 もうだめかもしれない。

    自分の上位互換
  • 頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。- はてな匿名ダイアリー

    頑張ろう、頑張ろうって言うけど、 家が流されたんだよ? と、福島の兄に電話したら、言われました。 おまえ、ちゃんと分かってるの? 超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、 あの帰る家がね、全部流されたんだよ。 俺、もう、家ないの。 明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。 今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、 全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。 おまえ、家ないのに頑張れる? 服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。 よし、頑張ろう!って思える? すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。 ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。 いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。 仕事もあるじゃんって。 おれ、船、なく

    頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。- はてな匿名ダイアリー
  • ダメージ0

    @damagezeroさんをフォロー スペシャルサンクス しぃアンテナ(*゚ー゚)様 2GET様 2chまとめくす様 エクサツール改様 おすすめまとめアプリ ワロタあんてな 記事紹介ありがとうございます! 変人窟 (HJK)様 情報屋さん。様 日視覚文化研究会様 HK-DMZ PLUS.COM様 Girls Reader様 TBN様 激安特価板ブログ様

  • 僕はもうプログラミングしなくていいんだ

    大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。 パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、

    僕はもうプログラミングしなくていいんだ
    whalebone
    whalebone 2014/12/03
    『オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている』
  • 精神科慢性期病棟で働いて一年経った(長文)

    昨今では忌み嫌われる長文で、たいして面白くもない内容なので誰も読まないだろうが、それでいい。 軽く自己紹介。精神科病棟で働きはじめて一年になろうとしている。看護助手の契約社員。今年で21歳になった。 一浪して合格した、世間的には難関と認識されている、都内の有名私立大学()を半年で退学して、今の職場に入った。高卒資格なしで将来っていけるか不安なので、不況でもいっぱぐれないと聞く、看護師を目指そうと今は考えている。それ以前はコンビニのアルバイトと日雇いの倉庫作業くらいしかしたことがなかった。退学した理由はくだらない。授業に出席せず、単位取得における必須出席率(三分の二)に満たなかったので、留年がほぼ確定していたからである。受験当初から志望校などなく、勉強もさほどせず、たまたま合格した大学にとりあえず入ったという塩梅で、絶対に卒業しなければならないという意志もなかった。中流家庭で経済的には比

    精神科慢性期病棟で働いて一年経った(長文)
    whalebone
    whalebone 2014/09/26
    『閉鎖的な環境で長年生きていれば、自分で虚構の世界をつくりあげてそれにすがって生きていくしかないのではないか』
  • 自転車は自由の象徴だった

    思い出した. 自転車は自由の象徴だった. いつもバスに不自由していた. 時間が限られていて,待ち時間が長くて,乗っている時間も長くて寝ているだけ. 嫌なにおい,振動,車酔い.この世の嫌なものを集めたのがバスみたいに思っていた. 高校生のころ,とても不自由した. 村の端っこから市まで1時間弱のバス. そこから乗り換えて高校までまた別のバス. これだけで往復3時間だ. バスの停留所もさみしくて,一緒に帰る友達がいなかった自分は一層さみしかった. 部活も夜遅くまでやるようなものには入れず,高校からそそくさと帰るだけだった. 友人が少ないのはバスのせい,とすら思っていたかもしれない. 待合室が苦手だった.いつも閉め切られていて風はなく,夏も冬も不愉快な環境であった. 待合室は老人たちでいっぱいで,この風が通らない空間に満足していて, ストーブがやかんをかたかた揺らす音を黙って聞いている,そんな態度

    自転車は自由の象徴だった
  • 部下がくれたアドバイス

    前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。 部下は新人のときから、びっくりするほどできるやつだった。 同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。 けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときのえくぼが印象深い奴だった。 俺は会社でパッとしない上司をやっていた。 経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。 かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。 だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。 責任が増えると共に

    部下がくれたアドバイス