鈴木三元は、文化11年谷地村(現福島県桑折町 大字谷地字観音堂)に生まれました。 三元は、資性一徹にして幼少の頃より鋭敏明瞭 なる頭脳の持ち主であり、進取の気性に富み、 博愛で、郷土愛に燃えていたといいます。 三元は、明治初頭に既に交通機関が国民生活、 文化発展に重要かつ不可欠であると痛感し、 自走車の考製作に取り組み始めました。 明治5年制作に着手、時に三元は58歳。 多大の私財を投じ、寝食も忘れ、鋭意これに 心血を注ぎ創意工夫制作に没頭邁進する姿は、 心なき人々に狂人呼ばわりされたともいいます。 明治9年、努力は報われ、遂に自走車「大河」を 完成させました。これは、足踏み前輪二輪式の 三輪車でした。当時、この発明工夫は全く全人 未踏の快挙であり、人々は奇人と呼びました。 明治11年、2人乗り自走車の開発製作に着手。 明治12年、高辻侍従が東北巡視の際、御閲覧の 栄を賜り、これが新聞に記