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2007年7月18日のブックマーク (7件)

  • 柏崎市の歴史年表1971〜1975年

    whalebone
    whalebone 2007/07/18
    1975 昭和50年 2月4日 過しゅう曲断層はない、普通のゆるやかな傾斜、東電、真殿坂断層の心配はない(柏崎日報)
  • 柏崎刈羽原子力発電所の透明性を確保する地域の会

    whalebone
    whalebone 2007/07/18
    「海側、西側に向かって緩く、しかも連続して傾いている」「この褶曲構造は、より新しい地層でございます安田層にほぼ水平に覆われますことから、活褶曲あるいは活断層というものではない」
  • 昭和52年 原子力委員会月報22(8)東京電力株式会社柏崎・刈羽原子力発電所の原子炉の設置について(答申)

    昭和50年4月1日付け50原第2302号(昭和52年7月19日付け52安(原規)第212号で一部補正)で諮問のあった標記の件について、下記のとおり答申する。 記 標記に係る許可の申請は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律第24条第1項各号に掲げる許可の基準に適合しているものと認める。 なお、各号の基準の適合に関する意見は、別紙のとおりである。

  • 痛いニュース(ノ∀`):「リストカット、特殊な人たちと思わないで」・・・自傷の経験ある若者達の姿を写真集に テーマは「生きる」

    「リストカット、特殊な人たちと思わないで」・・・自傷の経験ある若者達の姿を写真集に テーマは「生きる」 1 名前:出世ウホφ ★ 投稿日:2007/07/15(日) 11:59:48 ID:???0 若者に広がるリストカットを撮り続けてきた写真家、岡田敦さん(27)が写真集「I am」(赤々舎、2940円)を出版した。「何か特殊な人たちの写真と思わないで。テーマの入り口は自傷でも、僕が撮りたかったのは生きることそのものだから」と岡田さんは語る。 写真集に登場するのは高校生から20代前半までの約50人。インターネットを通して自傷経験者ら約100人から応募があった。「僕は中3で周りには誰もいなくていつもひとりぼっちで消えてしまいたいと思っています」「私は14歳。リストカット、社会不安、アルコール、薬物依存、不登校……。私は壊れた人形」。誰もが撮られることで変わろうとしているように見えた。

  • 時間をレバレッジするための3つのポイント | シゴタノ!

    自転車をこぎ始めるとき、最初はペダルが重いものですが、スピードが乗ってくるとどんどん軽くなっていきます。スピードに乗ってくれば心地よさも手伝ってそれまでの苦労… 「面倒感度を研ぎ澄ます」とは、具体的には、飽きることに敏感になることだと思います。飽きているにもかかわらず無理矢理続けてもストレスという不快感がつのるばかりです。 『レバレッジ時間術』には次のように書かれています。 全部をコツコツやるのが面倒だという、その気持ちからブレイクスルーは始まる。 2.時間を天引きする この書き方は最初はピンと来ませんでしたが、要するに自分では動かすことができない予定を先に入れてしまうということです。もちろん、放っておいても入ってくる仕事の予定ではなく、削られたり端折られたりされがちな「不急だが重要な予定」が対象です。書では、ジムに行く時間や読書の時間、会の時間などが挙げられています。 こうした予定の

    時間をレバレッジするための3つのポイント | シゴタノ!
  • 仕事の”間合い” - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    今日、夕べながら、一人の女性を取材した。 老人ホームで働く人だ。彼女は、最初、この取材を断ったけれど、周りに説得されて受けることにした。 彼女は、高校までバレーボールでセッターをやっていた。彼女曰く、自分はセッターの役割に合っていると思うけれど、セッターは表に出る存在でない。取材は他の素晴らしい人にお願いしたいというのが、最初、彼女が固辞した理由だ。 彼女と会って話しをしても、とても慎重に言葉を選ぶ。感情にまかせて話すことはできない。人がすぐに納得できるような単純でわかりやすいストーリーを話さない。言うに言われぬ思いをいっぱいに抱えているという感じだった。 老人ホームで働くというと、ただ単にお年寄りのお世話をするというイメージを持っている人が多いが、それはとんでもないことだ。 いろいろな人が様々な事情で老人ホームで暮らしている。奥さんに先立たれ、毎日、事の準備ができなくて仕方なく老

    仕事の”間合い” - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 偶然と必然 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    昨日、神保町で事をしながら、一人の女性をインタビューした。 彼女は、オリジナルのステンドグラスを制作しており、谷中に工房と店を持っている。 若い時は、頭を真っ赤に染めて、尖らせ、刺青をしたパンク少女だったと言うが、今はその面影は全くない。 ステンドグラスの制作を選んだのは、「たまたまです」と言っていたが、話しをしているうちに、「たまたま」ではないということがわかってきた。人は自覚していないけれど、潜在的な意識に既に準備ができていたということがわかった。 きっかけは、10年ほど前、友人からもらった一枚のステンドグラスの断片だった。 それをきっかけにして、親に勘当されたパンク少女は、ステンドグラスの学校に通い、イギリスにも留学した。 でも、そのステンドグラスとの出会いの5年程前に、彼女は、エジプト、ギリシャ、トルコを数ヶ月の間、一人旅していた。 ヨーロッパを旅して、教会のステンドグラスに感

    偶然と必然 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜