東京新聞の記事だけでは詳細がわからないから、仕方なく、現在発行されている「論座」を買って読んだ。 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答で、特に心に響くものはなく、だいたい常識的なものばかりだった。 なかには、「常識」の強権のようなものもあった。 私が一番不快に感じたのは、この雑誌に直接寄稿しているわけではないが、ある現職の東大教授が「こういう人間を養成した、戦後世代の者としての責任を感じる」と意見を発していることだった。(同じようなコメントを述べる良識的インテリは無数にいて、ワン オブ ゼムだから名前は不要) 養成する側とされる側があって、自分は養成する側にいて、その資格を持つという自惚れに、私は生理的な嫌悪を感じる。 責任があるといっても、あくまでも自分の使命が果たせていないというニュアンスであり、養成の基準そのものが間違いかもしれないという疑いではないようなのだ。 私の先日のエント