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ブックマーク / kazetabi.hatenablog.com (8)

  • 風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜 - 受け皿がないと、なぜ行動できないのだろう

    東京新聞の記事だけでは詳細がわからないから、仕方なく、現在発行されている「論座」を買って読んだ。 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答で、特に心に響くものはなく、だいたい常識的なものばかりだった。 なかには、「常識」の強権のようなものもあった。 私が一番不快に感じたのは、この雑誌に直接寄稿しているわけではないが、ある現職の東大教授が「こういう人間を養成した、戦後世代の者としての責任を感じる」と意見を発していることだった。(同じようなコメントを述べる良識的インテリは無数にいて、ワン オブ ゼムだから名前は不要) 養成する側とされる側があって、自分は養成する側にいて、その資格を持つという自惚れに、私は生理的な嫌悪を感じる。 責任があるといっても、あくまでも自分の使命が果たせていないというニュアンスであり、養成の基準そのものが間違いかもしれないという疑いではないようなのだ。 私の先日のエント

    風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜 - 受け皿がないと、なぜ行動できないのだろう
  • 現代社会の「生」の在り方について - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    昨日自分で書いた「生物」と「無生物」のことについて考えていると、現代社会の状況が何となく自分で腑に落ちるような気になった。 現代社会は、物をたくさん作り、消費し、スケジュールを埋めてたくさんの人と会って忙しく時間を消費したり、お稽古事をやったり、様々な活動に手を染めたり、じっとしていない状況が、活き活きした生活だと錯覚されている。 そして、そのように人や物が動けば動くほどGDPは拡大し、経済成長だとみなされ、それが豊かさだと思い込まされている。 「こんなに働いて、こんなに物があって、こんなに刺激的な毎日なのに、なんか心の中は寂しい。なんか生きていないような気がする・・・。」というような感覚が心に去来すると、より生きている実感を得ようとして、さらにスケジュールの空白を埋め、人と会い、物を消費し、何らかの活動に参加し、慌ただしい日々を送る。慌ただしさのなかで、寂しく物足りない気持ちを忘れること

    現代社会の「生」の在り方について - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 仕事の”間合い” - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    今日、夕べながら、一人の女性を取材した。 老人ホームで働く人だ。彼女は、最初、この取材を断ったけれど、周りに説得されて受けることにした。 彼女は、高校までバレーボールでセッターをやっていた。彼女曰く、自分はセッターの役割に合っていると思うけれど、セッターは表に出る存在でない。取材は他の素晴らしい人にお願いしたいというのが、最初、彼女が固辞した理由だ。 彼女と会って話しをしても、とても慎重に言葉を選ぶ。感情にまかせて話すことはできない。人がすぐに納得できるような単純でわかりやすいストーリーを話さない。言うに言われぬ思いをいっぱいに抱えているという感じだった。 老人ホームで働くというと、ただ単にお年寄りのお世話をするというイメージを持っている人が多いが、それはとんでもないことだ。 いろいろな人が様々な事情で老人ホームで暮らしている。奥さんに先立たれ、毎日、事の準備ができなくて仕方なく老

    仕事の”間合い” - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 偶然と必然 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    昨日、神保町で事をしながら、一人の女性をインタビューした。 彼女は、オリジナルのステンドグラスを制作しており、谷中に工房と店を持っている。 若い時は、頭を真っ赤に染めて、尖らせ、刺青をしたパンク少女だったと言うが、今はその面影は全くない。 ステンドグラスの制作を選んだのは、「たまたまです」と言っていたが、話しをしているうちに、「たまたま」ではないということがわかってきた。人は自覚していないけれど、潜在的な意識に既に準備ができていたということがわかった。 きっかけは、10年ほど前、友人からもらった一枚のステンドグラスの断片だった。 それをきっかけにして、親に勘当されたパンク少女は、ステンドグラスの学校に通い、イギリスにも留学した。 でも、そのステンドグラスとの出会いの5年程前に、彼女は、エジプト、ギリシャ、トルコを数ヶ月の間、一人旅していた。 ヨーロッパを旅して、教会のステンドグラスに感

    偶然と必然 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • この大地に命与えられし者たちへ - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    神保町の三省堂でA5サイズという非常に小さな写真集の表紙が気になったので、手にとった。桃井和馬さんの『この大地に命与えられし者たちへ』だ。 桃井さんのことは、紛争地帯などのフォトジャーナリストとして、これまで認識していたのだが、その小さな写真集をパラパラとめくると、9.11テロの1年後のグラウンド・ゼロの写真から始まり、ナミビア砂漠とかギアナ高地などの広大な自然風景が続き、さらに、アンコールワットなどの遺跡から、世界の紛争地のドキュメント写真が数多く入り、日々の生活を慎ましく生きる人、蜘蛛の巣など昆虫の営みなどが続く。 その展開は、私が「風の旅人」の創刊の頃から意識していた眼差しと非常に近いものがあると直観した。それで、引き続き文章を読んでいった。 桃井さんは、この眼差しの旅を、9.11の一年後のグラウンド・ゼロから始めたと書く。人類は新しい時代に突入してしまったという思いを強く抱きながら

    この大地に命与えられし者たちへ - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 環境と幸福 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    最近、三件ほど母子家庭を取材した。母親が何年もの間、一人で働いて子供達を養っているのだ。現在、子供がまだ小学生の家族もいれば、中学生もいるし、成人に達している家族もいた。 共通点として、どのお母さんも、明るくて力強い。女手一つで子供を育てることに対して、困難なことはたくさんあるだろうに、惨めさをまったく感じさせない。見事なものだと思う。そして、どのお母さんも、子供たちに感謝している。お母さんの苦労を傍目で見ている子供たちは、小さい時からお母さんの手助けすることを当たり前のこととして育っている。小学校の低学年で、保育園に通う妹を迎えに行き、母親の仕事が終わるまで保育園の傍のジャスコのアイスクリーム売り場でじっと待ち続けているという話しや、お母さんが働いている間、家の片づけをしっかりとして待っている小学校の子供の話しを聞くと、いたいけで、愛おしくなる。どの子供たちも、少しシャイだけど、とっても

    環境と幸福 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    映画監督の小栗康平さん、鬼海弘雄さんと、「黙示の時代の表現〜見ることと、伝えること〜」というテーマでトークを行った。 撮影:市川 信也さん 日、10月19日は、写真家の鬼海弘雄さんが他界されてから3年目の命日。 この写真は、5年前の秋の京都で、鬼海さんと映画監督の小栗康平さんと私との間で、「黙示の時代の表現、見ることと伝えること」というテーマでトークを行い、その後、数日間、京都の私の家に鬼海さんと小栗さんが泊まり、京都の神護寺など紅葉を味わい尽くした時のもの。 その時点では体力は落ちていたものの神護寺の坂道を登ることができたし、カルボナーラの絶品スパゲディを作ってくれたりした。 長年、体調が優れない原因が癌だとわかったのは、その時から4ヶ月ほど経った春だった。 電話がかかってきて、「癌になっちゃったよお」と、胃に握り拳くらいの腫瘍ができているという話があった。(胃癌ではなくリンパの癌だっ

    風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 変わるべき「体制」とは何か!? - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    kuriyamakoujiさん、ワタナbシンゴさん、コメント有り難うございます。お二人が書かれたこと、そして赤木さんのことについて、もう少し私の考えを述べます。 まず、昨日のエントリーの続きになりますが、私は、赤木さんの考えにすり寄るつもりはないですが、自分の経験から、今日の赤木さん的立場の人を苦境に陥れる「体制」は、政府ではなく、安定労働者だと思っています。それは、たとえば企業の採用担当者は、安定労働者であり、彼らの多くが、自分たちの狭隘な価値判断によって人の価値をはかるからです。子供の頃から進学塾に通い、偏差値の高い大学を出て大企業に就職して、そのポジションに固執している人は、どうしてもその価値判断で人を見る傾向にある。彼らが、もう少し柔軟な判断をすれば、学歴がなかったり、ドロップアウトの人間も雇うでしょうが、なかなかそうはいかない。採用担当者の問題だけでなく、大企業には相変わらず、「

    変わるべき「体制」とは何か!? - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
    whalebone
    whalebone 2007/03/24
    再度読む。
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