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2012年8月5日のブックマーク (4件)

  • 信濃毎日新聞[信毎web] アニメにちなんだ自転車イベント 田切-伊那市駅、80人が走破

    JR飯田線が登場するアニメ「究極超人あ~る」(1991年)にちなみ、田切駅(上伊那郡飯島町)から伊那市駅までを、アニメと同じく1時間を目標に自転車で走る催しが28日、開かれた。伊那市駅開業100年を記念し、同市職員らのグループが企画。県内外から自転車好き、アニメ好きの約80人が挑んだ。 アニメでは、高校生たちが東京駅から豊橋駅経由で、駅のスタンプを押しながら伊那市駅まで旅をする。田切駅で降車したがしばらく後続列車がなく、持参の自転車で伊那市駅に向かう。 参加者は午後5時前から順次、ロードバイクや「ママチャリ」などで出発。国道153号、アニメに登場する山裾など自由にコースを取り、鉄道で約15キロある伊那市駅を目指した。ゴール後はアニメと同じスタンプを台紙に押した。 山梨県の会社員柴田貴康さん(26)は約40分で一番乗り。「国道を走ったので楽だった。また来たい」。スタンプ作りを担当した伊

  • 内藤多仲 - Wikipedia

    内藤 多仲(ないとう たちゅう、1886年〈明治19年〉6月12日 - 1970年〈昭和45年〉8月25日)は、日の構造家・建築構造技術者・建築構造学者・一級建築士(登録番号第17200号)。「耐震構造の父」と称されている[1]。名古屋テレビ塔や東京タワーなど、鉄塔の設計を多く手がけ、「塔博士」とも呼ばれている。日建築学会長、日地震工学振興会会長などを歴任。 経歴[編集] 東京タワー 山梨県中巨摩郡榊村(現南アルプス市曲輪田)出身。旧制甲府中学(現・山梨県立甲府第一高等学校)、第一高等学校を経て東京帝国大学(現在の東京大学)入学。最初は造船学を専攻していたが、日露戦争後の造船不況を考慮して建築学に転向。佐野利器に師事した。 1910年に東京帝国大学卒業(同期に高松政雄、安井武雄らがいた)、1913年に早稲田大学教授。 1917年-1918年、アメリカへ1年間留学。旅行用トランクの仕切

    内藤多仲 - Wikipedia
  • 山本義隆_第三十回大佛次郎賞受賞記念講演 十六世紀文化革命

    第三十回大佛次郎賞受賞記念講演 十六世紀文化革命 「磁力」と「重力」をめぐる思考の変遷を描いて読書界の話題を集め、大彿次郎賞を受賞した『磁力と重力の発見』。 その著者・山義隆氏が、新たな視座から西洋思想史の知られざる側面に光を当てる。 「空白の時代」とされてきた十六世紀に起きた「知の地殻変動」とは何だったのか。 (二〇〇四年二月二十一日、横浜市開港記念会館で行われた講演会の記録をもとに加筆・編集した) 山義隆 予備校講師 今日はわざわざ来ていただいて、ありがとうございます。遠方からも来られた方がおられるようなんで、正直恐縮しております。 今回受賞した『磁力と重力の発見』というは科学史のなんです。科学史という学問が学問として自立したのは、実はたかだか五十年ぐらい前で、二十世紀の後半です。もちろん科学史、あるいは物理学史のはそれ以前から存在していたんですが、それまでの

  • 元全共闘議長の情熱

    考える力がたいせつだ。その基となる日語も重要だ。教育論がにわかに高まっているが、2人の自然科学昔が、そのことを早くから率直な言葉で語っている。 昨年の3月末、駿台予備学校物理科講師の山義隆さんが、受験を終えた200人あまりの学生に話をした。著書の『磁力と重力の発見』で大佛次郎賞などを受賞した記念講演である。 山さんは、近代科学の歩みを説明し、最後に「ところで、何のために勉強するのでしょうか」と問いかけた。 「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを白分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」「外国では、自己主張しない人間は単に不勉強で無能だと思われるだけです」 自分の考えを持つだけでなく、それをきちんと話し、書くことも重要だ。そう主張した人に環境化学者の立川涼さんがいる。10年