タグ

2015年6月27日のブックマーク (2件)

  • NHK NEWS WEB 追跡!“消えた日系ブラジル人”

    追跡!“消えた日系ブラジル人” 6月26日 16時03分 東海地方や北関東など、日各地にある日系ブラジル人街。実は今、そうしたところからブラジル人の姿が消えているといいます。ブラジル人は、平成2年の出入国管理法改正で日系4世までが定住できるようになったのをきっかけに来日が相次ぎ、自動車など製造現場の担い手となってきました。いったい何が起きているのでしょうか。静岡放送局の松尾恵輔記者が取材しました。 ブラジル人街に異変が 異変は、浜松市内の団地で起きていました。浜松市南区の中田島団地。かつて、130世帯もの日系ブラジル人が暮らしていました。自治会もブラジル人をメンバーに迎え入れ、地域の祭りにサンバを取り入れるなどしていますが、訪ねたときは空き家が目立つ状況でした。団地に住む住民は「最近では日系ブラジル人をほとんど見かけない」と話していました。 影響はブラジル人学校にも及んでいました。浜松市

    NHK NEWS WEB 追跡!“消えた日系ブラジル人”
  • メートル法の成立と尺貫法 | 探検コム

    1955年、通産省は乗用車を普及させるため、「国民車構想」をぶち上げます。これに呼応して、1958年、富士重工が「スバル360」を発表。この軽自動車は、量産型として初めて大人4人が乗車でき、しかも当時の水準を超える走行性能を実現したことで、大人気となりました。 この360という数字はどこから来たのか。もちろん排気量から来てるんですが、どうしてこんな中途半端な数字なのか。一説によると、360ccは180ccの2倍、つまり2合だというんですな。当時はまだ尺貫法が残っていたため、通産省の官僚が「2合」に決めたとされています。 しかし、1954年以前の軽自動車は、2ストロークエンジンの排気量を240cc、4ストロークを360ccと決めていました。240ccだと1.3333…合になってしまうし、そもそも「国民車構想」では「積載量100kg以上」「最高時速100キロ以上」「修理なしで10万キロ走行」な