中島飛行機が巨大化する中で、中島知久平は経営を弟の喜代一に譲り、自身は政界に入って専念していた。しかし中島飛行機の人達は、知久平を大社長と呼んでいた。そういった中で、中島知久平は自らの次の夢の実現へと歩み出したのである。 1940年(昭15)、喜代一社長(知久平の弟)は、突然秘書課長であった太田繁一(1938年入社)の前に大きな地図を広げ「ここに研究所をつくる」と赤線で囲ったところを示した。なんと62万坪もある。 なんで研究所に62万坪も?と怪訝な顔をしていると、「これは大社長の夢であり、構想だから直接指示を受け三鷹で土地買収に専念するように」と言い渡された。 以下、太田繁一の話を続ける。(以下、太田さんの敬称を省かせていただきます) そこで太田はまず三鷹に拠点を探したが、日本橋の問屋の旦那さんの森山さんという方の別荘があり、一部が洋館風で事務所に出来そうなので、まずそれを譲り受けた。それ
10月1日を期して、防衛庁の外局として「防衛装備庁」という新たな役所が発足することが、15日の閣議で決定したのだそうだ。 《1800人体制で防衛装備品の研究開発や調達、輸出を一元的に管理し、コストの削減を図る。自衛隊の部隊運用業務は自衛官中心の統合幕僚監部に集約し、内部部局の運用企画局は廃止する。中谷防衛相は記者会見で「新たな組織の下で、防衛省・自衛隊がより能力を発揮し、適切に任務を遂行できるようになる」と語った。》 と、読売新聞は書いている(こちら)。 なるほど。 不意打ちを食らった気がしているのは、単に私の現状認識が甘かったということなのであろう。 思えば、つい1週間ほど前、日本経済団体連合会(経団連)が、武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」とする提言を公表したというニュースが伝えられたばかりだった。 経団連がまとめた「提言」の具体的な内容は、こちらで読める(「防衛
8分あまりの強行劇。怒号が飛び交うなかで行われた採決だった。しかし、その筋書きは周到に準備されていた。 17日午後4時半ごろ、参院特別委員会の鴻池祥肇(よしただ)委員長に対する不信任動議が否決された。委員会室の外で待機していた鴻池氏が右、左、正面とお辞儀して委員長席に腰を下ろした。 民主党の福山哲郎理事が「これからの議題は何ですか」と話しかけながら委員長席に歩み寄った瞬間だった。委員会室の後方に控えていた約10人の自民党議員が鴻池氏をガードするためにスクラムを組んだ。 同時に、安倍晋三首相も閣僚席に座り、中谷元防衛相と岸田文雄外相が続く。 前日夕から足踏み状態にあった委員会が、あっという間に安全保障関連法案の採決の舞台へと転換した。 虚を突かれた野党議員は、一瞬遅れて委員長席に押し寄せた。鴻池氏の横に陣取った自民の佐藤正久筆頭理事が、手で合図する。すると同党の山本一太議員が法案の質疑を終え
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