特別展「江戸の暮らしと江東の漁業」見学後、大島地区の神社を巡ります。大島稲荷神社では茅の輪を見ることができます。 ※少雨決行、現地解散 ≪散策コース≫(予定) 中川船番所資料館集合 資料館見学後出発 → 陶首稲荷神社 → 宝塔寺(塩なめ地蔵) → 大島稲荷神社 → 芭蕉座像女木塚 → 子安庚申堂 → 東大島神社 → 東大島文化センター迎春展見学後解散
「江東区史」に出てくる鈴木藤三郎という人物について知りたい。静岡県森町で氷砂糖の製造をしていた。渋沢栄一に東京での起業を相談したが、一蹴されたらしい。 人名事典や糖業関係資料で得た以下の情報および資料を紹介する。 鈴木藤三郎(スズキ トウザブロウ) 安政2(1855)年11月18日日生まれ。明治期の実業家。日本精糖社長。日本醤油醸造社長。氷砂糖製造法開発。日本精糖創立に参加。衆議院議員。大正2(1913)年9月4日没。 『実業人傑伝 5』『人物レファレンス事典 新訂増補 明治・大正・昭和(戦前)編 す~わ』『朝日日本歴史人物事典』『国史大事典 8』『コンサイス日本人名事典 改訂版』『事典近代日本の先駆者』『新潮日本人名事典』『日本人名大事典 3』『日本の「創造力」 6』『砂糖の歴史物語』『続砂糖の歴史物語』『日糖六十五年史』『近代日本糖業史 上』『砂糖あきない今昔』『鈴木藤三郎伝 日本近代
それでは見沼行の模様を。見沼行と言っても今のさいたま市見沼区だけのことではなく、かつて周辺に大きく広がっていた「見沼のあったところ」というような意味で。勿論いきなり一周とはいかないけどね。 むかし、今の埼玉県さいたま市・川口市辺りには見沼(みぬま)という大沼があった。武蔵一宮氷川神社・中氷川神社(現中山神社)・氷川女体神社はこの見沼を望んで祀られた社だという人もあり、あたしもそう思う。 図は単純な海面上昇図。見沼干拓は埋め立てもあり、ただ海面上げてもしようがないのだけれど、ま、大体こんな感じ、ということで。 その見沼が江戸時代に干拓されて、これにまつわる竜蛇絡みの話が周辺わらわらと(にょろにょろと?)あるわけです。また、弁天さんも多く祀られ、盛時は「見沼八弁天」とも言われる程の弁天銀座であったそうな。その辺りを辿って行くわけです。
長いです。 ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでたんすけどね。 あ、俺も昔ちょっとブログやってたことある人なんですけど。 あれつくづく俺と対極にいる人なんだなあと思いました。 個人的な感情としては「そこまでしなきゃマネタイズできないとか向いてないからやめたほうがいいよ」としか思わないんですけども、同時にだれもが文章一本で金とれるわけでもない、ということもよく知っています。 俺はかなり自覚的なアマチュアリズムの信奉者でした。書籍化とかまあそういう話もそこそこあったんですけども、一度の例外を除きすべて断ってます。まあ商業に乗っかることのめんどくささってのがいちばんでかいんですが、それ以上に俺には「自分の文章を換金する」気がかなり強固な意志としてなかった。ブログでもそれを鮮明にしていたはずです。 アマチュアリズムというとかっこよく聞こえるんですが、要は「無料なんだからなに書い
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く