中国・上海で新型コロナウイルスの流行を受けたロックダウンが続く中、不満をためた市民が抗議の動画をソーシャルメディアに次々と投稿している。
![上海ロックダウン、市民の抗議動画次々と拡散 検閲追い付かず - BBCニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/24694e2369845a16619da41d0737b1af2bdabbe7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fichef.bbci.co.uk%2Fnews%2F1024%2Fbranded_japanese%2FC055%2Fproduction%2F_124173294_p0c1bqqx.jpg)
中国・上海で新型コロナウイルスの流行を受けたロックダウンが続く中、不満をためた市民が抗議の動画をソーシャルメディアに次々と投稿している。
少し前にインターネットを騒がせていた言葉に「キモくて金のないおっさん」というものがあります。これは社会的弱者であるが権利運動とか救済の対象として想定されていない男性を指す俗語です。 このおっさんたちはどうやら非常に社会的、経済的に苦しい状況に置かれている一方で、マイノリティとして見えづらいため女性とか少数民族、セクシュアルマイノリティ、障害者などに比べると自己主張しづらい状況に置かれているそうです。「キモくて金のないおっさん」については、こうした不可視化、つまり存在が認識されていないことが問題だと考えている人が多いようです。 しかしながら、私の見るところ、文学史上にはあまたのキモくて金のないおっさんが登場します。そこで今回は私が個人的にキモくて金のないおっさん文学の名作だと思っている、ジョン・スタインベックの『二十日鼠と人間』と、アントン・チェーホフ『ワーニャ伯父さん』をとりあげ、古典がど
投稿日 2022-03-27 更新日 2022-04-05 Author 伏見瞬 MOVIE 観察する 批評家・伏見瞬による映画『ドライブ・マイ・カー』のコラム。本作が持つ滑らかさとそこに隠されているものについて。 3月28日(日本時間)に発表される第94回アカデミー賞。濱口竜介監督による映画『ドライブ・マイ・カー』は作品賞や監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門でノミネートされていて、受賞できるかで注目を集めている。発表を前に本作について、批評家の伏見瞬にコラムを依頼した。 ※文中には映画のストーリーに関する記述が含まれます。 (C)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 濱口竜介が監督した映画『ドライブ・マイ・カー』が、2021年カンヌ映画祭の脚本賞を獲得し、2022年のアカデミー賞4部門にノミネートされた。アカデミー作品賞へのノミネートは、日本人監督作で初のことである。濱口は優れ
Jack Goldstoneが見つけ出し、Peter Turchinが広めたStructural-Demographic Theory(構造的人口動態理論、SDT)について、これまでさみだれ式に紹介してきた。様々な時代の色々な国で「エリート過剰生産」をきっかけに周期的に社会政治的不安定性が増す「永年サイクル」が発生する、というSDTの主張については、先進国において社会的分断が激しさを増すであろうというTurchinの予測が的中したこともあり、注目を集める度合いが高まった。 ただ、当blogでSDTに対して言及しているエントリーの量が増えた結果として、blog内のどこにその情報があるのか分かりづらくなっている面もある。というわけでちょっとリンクをまとめ直してみた。割と基本的な情報に絞って載せたつもりだが、それでもちと量が多いかもしれない。またTurchinらの議論のうち他の歴史理論についての
英イングランド南東部ドーバーに同国国境警備隊の船で到着する移民(2021年12月16日撮影)。(c)Ben STANSALL / AFP 【4月15日 AFP】英国は14日、イギリス海峡(English Channel)から不法入国した移民らをルワンダに送る計画を発表した。英国に到着する不法移民の数は過去最多に上っており、政府は対応に苦慮している。 ボリス・ジョンソン(Boris Johnson)首相はイングランド南東部ドーバー(Dover)近郊で演説し、「本日をもって、1月1日以降に不法入国した者はルワンダに移送される可能性がある」と表明。「ルワンダは今後数年間で数万人規模の再定住を受け入れることになる」と述べた。 ジョンソン氏は不法移民の取り締まり強化を公約に掲げていたが、危険を冒して海峡を渡る移民の数は過去最多に上っている。昨年、フランスから小型ボートでイギリス海峡を渡って英国に到着
「好きで働いているんだろ?」 精神科医である斎藤環の『家族の痕跡―いちばん最後に残るもの』を読んでいたら、このような記述にいき当たった。 このように考えてみてはどうか。すべての「職業人」は「好きこのんで仕事をしている」のだ、と。 これを言うのは、正直に言えば、なかなか辛い。厳しい疲労とストレスに耐えて、それでも真面目に働いている人々を、もちろん私は尊敬する。 しかし、その尊敬こそが危険なのだ。その種の尊敬は、そのような生活スタイルがどうしても取れない人たちに対する軽蔑を伴わずには成立しないからだ。 それゆえこの尊敬は小声で口にされるべきものだし、まして自らの多忙さを誇る(=愚痴る)ことは、あきらかに下品な振る舞いなのである。 これには前段があって、ネット(当時の2ちゃん)に書き込まれたコピペがあげられている。 そのコピペ(詩)は見つけられなかったが、「働いたら負け」のインターネット・ミーム
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