国内外のクライマー、そして世界のクライミングメディアから注目を浴びる日本人がいる。倉上慶大、37歳。2018年ヨセミテのエル・キャピタンThe Noseを世界で初めてロープソロで登攀。国内でも、2015年に不可能と考えられていた瑞牆山「千日の瑠璃」初登攀など、困難なルートを次々に開拓してきた。 だが、倉上は昨年、文字通りに生死の淵を彷徨っていた。日本屈指のクライマーに何が起き、そこからいかに奇跡の復活を果たしたのか。真摯に岩と対峙する男に「命」の意味を問うた。【全3回の1回目/#2、#3へ】
稀代の名将がこの世から去ったという一報を受けて、SNS上では数多くのサッカーファンから悼む声が。さらには阿部、巻誠一郎、水野晃樹らといった“教え子”たちも、オシム監督への感謝の言葉をつづっています。 3月にNumberWebで実施したアンケート『サッカー日本代表の30年、あなたが選ぶ「最高の名将」は誰ですか?』で、オシムさんは500を超える全体の得票数のうち、約35%を占める断然の1位に輝きました。 なぜオシムさんはこれほどまで、日本人から愛されたのか。 アンケート結果発表の際にご紹介しきれなかった「ファンからオシムへの感謝」を掲載します。 1)日本サッカーの進化を促す育成・戦術アプローチ オシム監督のサッカー哲学で代名詞となったのは「考えながら走る」。スキルと走力、連動性を融合したスタイルによって、ジェフは当時国内最強と言われたジュビロ磐田相手に完勝を飾るなど、一気に躍進。2度のナビスコ
KARATE1プレミアリーグ2019マドリード大会での植草歩。東京五輪でもメダル有力候補選手と考えられている 空手の東京五輪代表、植草歩が全日本空手道連盟(全空連)の香川政夫選手強化委員長からパワーハラスメントを受けていたと訴えていた件に関して、3月31日、全空連が倫理委員会を開催。植草および香川氏双方から事情聴取を行なった。 植草は帝京大学を卒業し、同大学空手部の師範でもある香川氏の指導を受けていた。卒業後も帝京大学を練習場所の1つとしており、香川氏の指導を受けてきた(帝京大学、香川氏のみに指導を受けてきたわけではない)。 選手に対して竹刀を突きや蹴りに見立てて振り回し...... ・2020年12月20日頃から、選手に対して竹刀を突きや蹴りに見立てて振り回したり突いたりし、それをかわしながら反撃させるという練習が行なわれていたこと。 ・選手は面などの防具をつけることを許されておらず、練
単独無寄港無補給の世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローブ」に再挑戦する白石康次郎。約2000時間を掛けて完走すればアジア人初の快挙だ あなたは白石康次郎をご存じでしょうか。 ヨットで地球を3周した海洋冒険家。サッカー界の“キング・カズ”三浦知良と同じ53歳。最も過酷とも言われ、4年に一度開催される単独無寄港無補給の世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローブ」に再挑戦する。11月8日にフランスをスタートし、約2000時間(約80日)を掛けて完走すればアジア人初。だが、数々の記録、数字、偉業よりも、伝えたいものがある。 「そりゃ世界一にはなりたいよ。でも、それは目的じゃない。手段だからね。『世の中を明るく元気にしたい』。それが一番の目的。今回は完走が目標。最高峰のレースで世界一周したヨットを日本に持って帰って、みなさんに見てもらいたいから」 おじさんが白い歯を見せ、キッズのようなコロコロした笑
地球を舞台にする長距離外洋帆走レースの最難関、ヴァンデグローブ単独無寄港世界一周ヨットレースに、白石康次郎が二度目の挑戦を果たし、ついに念願の完走を成し遂げた。前回4年前のリタイヤを乗り越えての30年来の夢の実現、そしてアジア人初のその快挙は、いかにして遂げられたか。 2021年2月11日午前11時52分、時折みぞれが混じる曇り空と冷たい風の中、白石康次郎が単独で乗るレーシングヨットDMG MORI Global Oneがフランス西部の港町レ・サーブルドロンヌ沖のフィニッシュラインを横切った。と同時に彼を迎えに出たチームのメンバーやスポンサー、ファンを乗せたたくさんのボートが一斉に祝福のホーンを鳴らして彼の船に近づき、約3カ月ぶりに康次郎と再会。海上は健闘を称え無事の帰還を喜ぶ大勢の人たちの興奮に包まれた。地元のファンたちが「ブラボー! コージロー!」と呼びかける声は、彼の船が港に入って桟
史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2、#3へ) 「救助を要請するときは山を辞めるとき」 ――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中で
毎年、山では多くの人が亡くなっている。遭難、滑落、雪崩。事故の理由は様々だが、ひとつすべてのケースに共通するものがある。事故の当事者の周囲で、悲しみ、嘆き、涙をする人々がいるということだ。 山という非日常空間で大切な存在を喪った人たちは、その「死」をどう受け止め、その後の日常を過ごしているのか。 スイスの山で夫を亡くした、ある妻の話に耳を傾けた。 2018年9月11日、雪解けが進んだマッターホルン東壁の麓で、地元の救助隊員によって遺体と登山道具が発見された。 DNA鑑定の結果、行方不明となっていたある日本人であることが判明する。 相馬剛、享年40。元海上保安庁の職員で、日本山岳耐久レース(通称ハセツネ)など数々の国内レースを制したプロトレイルランナー。2013年に海保を辞し、富士山周辺のアウトドアガイドサービスを行う『Fuji Trailhead』を立ち上げており、スイスでの事故はその矢先
あの冬の箱根は、とりわけ印象的だ。勝者ではなく、 敗者の崩れ落ちる姿が網膜に焼きついている。 うつろな目、半開きの口もと。何度転んでも立ち上がり、 襷をつなごうとする姿──。襷はなぜ、つながらなかったのか。 途中棄権を余儀なくされた3人のランナーの、その後を追った。 好評発売中の雑誌Number Do『体が変われば人生が変わる!?』より、 特別公開します! JR清水駅前の雑踏に、ジャージ姿のサラリーマンがすっくと立っている。 スリムな体型は現役当時のまま。山梨学院大のエースとして鳴らした中村祐二も、すでに不惑の年を迎えているはずだった。 「今年で42です。学生の頃と比べて、むしろ体重は減ってます。52kgしかないんですよ。ちょっと肺を痛めましてね」 何度目かの転職先である現在の会社は、経営再建のまっただ中。 造船会社で総務課長を務める中村は、ややかすれた声で言った。 現役はとうに引退した。
「大相撲の『八百長』って何だ!?」 この特集を組んだのは1980年。ちょうど「Number」創刊の年でした。 当時、大相撲は年間を通して殆ど満員御礼というブームの最中にありました。 現・貴乃花親方の父である初代・貴ノ花が群を抜いた人気を誇りつつも、 ウルフこと千代の富士が次代のスター力士として急成長している時代でした。 ――30年が経った2011年。ふたたび日本中を騒然とさせている八百長問題。 わたしたちは、この記事に再び陽の目を当てるべきだと考えました。 ウェブにしては長文なのですが……それだけに読み応え充分です。 大相撲の八百長。古くて新しい難問に対する一つの考え方がここにあります。 「“内部告発”を続ける某週刊誌」と表紙でお伝えしたのは『週刊ポスト』誌である。 かれこれ半年にわたって続いているそのキャンペーンの要旨はこうだ。 ――元十両力士で“大相撲の八百長の仕掛人であった”と称する
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く