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ブックマーク / www.kahoku.co.jp (6)

  • 菅内閣、基本方針で「震災復興」「原発事故」に触れず 前政権は全9回で言及 | 河北新報オンラインニュース

    菅内閣、基方針で「震災復興」「原発事故」に触れず 前政権は全9回で言及 菅内閣が16日の初閣議で決定した基方針で、東日大震災からの復興と東京電力福島第1原発事故の記載が消えた。震災復興を最重要課題に掲げた第2次安倍政権は2012年の誕生以来、内閣発足や改造に伴う基方針全9回で震災や福島再生に言及していた。 菅義偉首相は全閣僚に「自分が復興大臣と思い、しっかり復興に取り組んでほしい」と指示し、安倍晋三前首相の方針を踏襲。平沢勝栄復興相には「縦割り主義を排し、現場主義できめ細かく対応してほしい」と求めた。 菅内閣は基方針で、目指す社会像に「自助・共助・公助、そして絆」を据えた。その上で(1)新型コロナウイルス感染症への対処(2)雇用の確保(3)活力ある地方の創出(4)少子化対策と安心できる社会保障の構築(5)国益を守る外交・危機管理-を掲げた。 前政権の路線継承を公言する一方、(5)

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  • <井戸沢断層>いわき市教委、天然記念物に | 河北新報オンラインニュース

    いわき市教委は、東日大震災の1カ月後の2011年4月11日に起きた大規模余震で市南西部の田人(たびと)地区に出現した井戸沢断層の一部を、天然記念物に指定した。市教委や京都大によると、同断層は、地層が両側から引っ張られる「正断層」型の活断層。東北に地震を起こすような正断層型はないとされていた。海溝型地震に誘発されて内陸の活断層が動き、地震断層(地面のずれ)が顕著に現れたのは国内初という。  井戸沢断層は茨城県境からいわき市南部まで南北約20キロに及ぶ。余震は断層の南端付近、深さ約6キロが震源の直下型で、マグニチュードは7.0。震度6弱を観測し、田人地区で大規模な土砂崩れが起きて4人が犠牲になった。京大の調査によると、井戸沢断層の活動で起きた前回地震は1万数千年前だったという。  11年4月の地震で、断層は14キロにわたって地表に現れ、最大約2メートルの段差ができた。市教委によると、京大のほ

    <井戸沢断層>いわき市教委、天然記念物に | 河北新報オンラインニュース
  • 河北新報 東北のニュース/水素爆発直後を東電社員ら証言 福島第1原発事故

    福島第1原発の水素爆発直後 中枢施設の様子を社員ら証言 原子炉建屋が水素爆発した後の1号機中央制御室=2011年3月24日(東京電力撮影) 東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)事故のさなか、現場の東電社員や協力企業の作業員は、相次ぐ水素爆発や被ばくの恐怖と闘いながら、過酷な収束作業を続けた。連鎖的な危機に陥った原発で何が起きていたのか。中央制御室など原発中枢にいた社員、作業員らへの取材で、当時の様子が浮かび上がった。  余震が収まった次の瞬間、爆発音とともに押しつぶされるような風圧が1号機中央制御室を襲った。昨年3月12日午後3時36分のことだ。  「全員マスクを着けろ」。当直長の大声が制御室内に響いた。不眠不休の作業の疲れから全員が息苦しい全面マスクを外し、放射線量の高い1号機側を避け、2号機側の床に座り込んでいた。横たわっていた人もいた。  「人は大丈夫か。何があった」。免震重

  • 河北新報 東北のニュース/全入院患者死亡・不明 3階移動中に津波 石巻・雄勝病院

    全入院患者死亡・不明 3階移動中に津波 石巻・雄勝病院 雄勝湾に面した石巻市立雄勝病院=15日 東日大震災による津波で、石巻市立雄勝病院の入院患者40人全員が犠牲になった可能性が高いことが16日、石巻市災害対策部への取材で分かった。対策部によると、これまでに入院患者34人の死亡が確認され、残る6人が行方不明。さらに職員も25人のうち狩野研次郎院長(62)、鈴木孝寿副院長(58)ら13人が死亡、9人が行方不明になっているという。  市災害対策部によると、震災発生時に病院内にいて、生存が確認されたのは職員3人だけ。うち2人は漂流船で一夜を過ごし、救助された。狩野院長も一緒に漂流船にいたが、翌朝までに凍死した。もう1人の職員は山林の樹木に引っかかり助かったという。  同部が救助された職員から受けた説明によると、大津波警報の発令後、職員らは「(最上階の)3階にいれば大丈夫」と判断。患者を

    whalebone
    whalebone 2011/04/17
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  • 河北新報 東北のニュース/海峡の底出現 引き波後に津波激突 仙台の写真家撮影

    海峡の底出現 引き波後に津波激突 仙台の写真家撮影 大規模な引き波で海底が露出した金華山と牡鹿半島の海峡 南北からの津波が激突し、大きく盛り上がる海面=3月11日午後3時36分、宮城県石巻市の金華山から東野さん撮影 東日大震災で、宮城県の牡鹿半島と金華山の海峡で海底が見えるほどの引き波が発生し、南北から押し寄せた津波が激突する様子を、仙台市青葉区の元NHKカメラマンで山岳写真家の東野良さん(66)が撮影した。  東野さんは3月11日、石巻高の同窓生の登山仲間12人と一緒に金華山に来ていた。金華山港で、鮎川港に戻る定期船を待っていた午後2時46分、地震が発生。高台への道は土砂崩れが起きていたが、何とか通って高台に避難した。  午後3時12分ごろ、海面が上昇し始め、さっきまでいた待合室は水没。同29分ごろ、今度は南に向かって水が引き始め、同33分には撮影場所から約1キロ先に見える牡鹿半島との

  • 河北新報 東北のニュース/「仙台平野に巨大津波」16年前に警告本 仙台の郷土史家

    「仙台平野に巨大津波」16年前に警告 仙台の郷土史家 飯沼勇義さん 飯沼さんによると、慶長津波でタコとともに打ち上げられたとされる薬師像をまつる蛸薬師=仙台市太白区長町4丁目 「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日大震災の大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。  飯沼さんは元公立学校教諭。教壇に立つ傍ら歴史書をひもとき、仙台平野を襲った過去の巨大津波を研究してきた。  869年の貞観津波は国府多賀城の城下を襲い、多数の溺死者を出した。1611年の慶長津波でも仙台平野は一帯が冠水。津波は現在の太白区長町4丁目周辺にまで押し寄せ、薬師如来をまつる「蛸薬師」の由来にもなった。  飯沼さんは「仙台平野は180〜200年の周期で

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