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ブックマーク / www.mtfuji.or.jp (3)

  • 富士山会議インタビュー Vol.50 望月将悟

    海側の富山湾から日アルプスを縦走して太平洋側の駿河湾に至る約415キロを、 外からの援助を一切受けずに8日以内に完走するというTJAR(トランスジャパンアルプスレース)。 過酷さで知られるこのレースで現在4連覇中の望月将悟さんは、静岡市消防局の山岳救助隊員でもある山のスペシャリストです。 柔らかな物腰が印象的な方でした。 −山岳救助隊員になったきっかけを教えてください。 高校時代に将来の夢が見つからず、19歳の時に飛び込んだのが静岡市の消防局でした。その中で“自分の仕事”を見つけていく時に、山岳救助を選んでやりだした、ということです。僕は静岡市街地から北に車で約60キロ行った井川というところで生まれ育ったので管轄している山の情報に多少詳しかったんですよ。山で事故があった時にしっかり道案内をできる人間が一人いてもいいんじゃないか、と思って山岳救助にのめり込んでいった感じです。 −井川と

    富士山会議インタビュー Vol.50 望月将悟
  • 富士山会議インタビュー Vol.43 小山真人

    小山真人さんは“うさはかせ”の異名を持つ火山学者。山の中を歩き回って調査する姿を野うさぎに重ねているそうです。 それだけでなく“うさはかせ”という響きの柔らかさはどこか、小山さんの人柄にも通じる気がしました。 解説もとてもわかりやすく、火山としての富士山が一気に身近になりました。 −火山に興味を持たれたのはいつ頃ですか。 大学で古い時代の地質の調査をしていて、その後、大学院の博士課程東大の地震研究所にいた時に、火山関係の先生たちと交流するようになってからですね。その先生たちに噴火の現場に連れて行ってもらっているうちに、自然と興味が湧きました。生きている地球の姿を直接見られますし、古い地層がどうやってできたのか、その理解も深まりますからね。ダイナミックな地球のことを調べるのは、おもしろいですよ。 −富士山の研究を始めたのは? 90年代からです。当時、日歴史時代の噴火記録をきちんと調べて

    富士山会議インタビュー Vol.43 小山真人
  • 富士山会議インタビュー Vol.16 土器屋由紀子

    富士山測候所の現在の正式名称は富士山特別地域気象観測所。 2004年から無人で気象観測が行われています。 いつもはしんと静まり返っているこの施設に人々の声が響くのは夏の2ヵ月間。 多くの研究者がこの施設を使ってさまざまな観測や研究を行っているのです。 それを可能にし、研究をサポートしているのが認定NPO法人の富士山測候所を活用する会です。 会の歴史と活動について語る理事の土器屋由紀子さんの言葉からは、熱い思いが伝わってきました。 −NPO富士山測候所を活用する会設立の経緯から教えてください。 ご存知のように富士山測候所はもともと気象観測のための施設でした。富士山頂で初めて気象観測が行われたのは19世紀後半、1年を通して富士山頂で気象観測が行われるようになったのは1932年からです。当時、世界一の性能を誇った富士山レーダーが完成した1964年以降は、日の台風予報の精度は一気に上がって、たく

    富士山会議インタビュー Vol.16 土器屋由紀子
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