歴史[編集] 修復のため、水を抜かれた久地円筒分水 農業用水の厳正な管理と配分、それに伴う係争は三州水利論争(英語版)のように世界中で見られる。 水田耕作が主体であった日本でも、各地で農業用水の確保にまつわる紛争(水論、水争い)が絶えず、大正年間より正確な配水が可能な分水樋が考案され、各地で似た構造の施設が造られ始めた。第1号の円筒分水工は可知貫一が発明したもので、1914年(大正3年)に小泉村 (岐阜県可児郡)に設置された[3]。 当初は高低差を利用して導水する方式のものが造られ、1934年(昭和9年)になると福島県や長野県などで地下から吹き上げる方式のものが造られるようになった。ただし長野県に造られた施設では円筒を使わず、分水樋の中央に吹き上げられた水が放射状に拡がる原理を利用したもので、流水量に偏りが生じるといった欠点もあった。 上記の欠点を克服するために、円筒状に組んだコンクリート
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