津軽藩の御蔵番だった祖父が[1]、御維新で北海道樺太監獄の典獄長(刑務所長)に左遷され[1]、北海道に渡る[1]。 北海道の夕張郡の当時は人口6,000人程度の村だった由仁町に[2]父・鹿内徹、母・モヨの長男として生まれた[注 1]。母・モヨは写真館を経営していた[3]。父・徹は撮影技師だったが由仁町に来てからは歯科医になった[1][3]。 1924年、岩見沢中学に進むと弁論部に入って主将を務めていたが、鹿内は「小生意気な子供であった」という[4]。通学用の革靴が買えなくて、母親の婦人靴をぱかぱかいわせながら穿いていた[5]。母親も事あるごとに借金しようとしたが、由仁町の平均的生活感情からは「変った一家」とみられたため、誰も金を貸すものはいなかった[5]。 1929年に単身上京し、早稲田第一高等学院に入学した。同校では演劇に熱中[1]、左翼的空気の中で脚本や演出を学んだ。この頃の仲間には、