最近の表現規制の問題に関しては、建設的話題というよりは香ばしい話題となりつつあるので論点を整理したい。 建設的な議論の一助になれば。 現状の保護法益は何か?筆者の見解:児童の人格権の保護を目的とする(個人的法益)。 似た趣旨の刑法175条(猥褻物頒布罪)は社会的法益が保護法益であると解されるのが専らであり、かつその規制対象は実在の人物を描写したものに限らない(仮想的創作物も含む)。 一方刑法175条に比して児童ポルノ規制に関しては重い刑罰を課しており、同一の法益の保護を目的にしたものと考えるのは難しい。加えて児童ポルノ規制において「性欲を興奮させ又は刺激する」かどうかの要件は記載されていない。そのため、自然な考えとして当該児童の人格権の保護を目的とする考えが生じてくるわけであり、現状においてこの点においてあまり争いはない。 「単純所持」の違法化: どのように正当化されるか?筆者の見解:一般
スタパ齋藤が好きだった。あの病的な衝動買いと、普通の人が買わないようなガシェットを買って、ズギャアアアアアアとか言うのが好きだった。「最強に強まった」とか「ジョリーグッド」みたいな言葉遣いも好きだった。 しかし、ずっとスタパ斎藤を追っているが、彼も歳とってもうだめなのかなと思ったりもする。一時「ズギャアアア」みたいな文体を抑えて普通の文章を書くようになって、最近またもとに戻ったのだが、もうかつての勢いは感じられない。 レビューするガシェットも、iPhoneとかの誰もがフツーに買うようなどうでもいいメジャー製品と、その周辺アクセサリばかりになった。iPhoneやらApple製品信仰を見るならスタパじゃなくても良い。そこらにいる女子高生でも林信行でもいくらでも適当なのはいる。以前のスタパは「間違いなくいいもの」ではなく、「やたらとんがっててすごそうだけどどうなん?」なものを買って、異様なテンシ
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