某所*1で「セックスに愛は絶対に必要である」と主張されている方をお見かけしてちょっとそんなことを思いました。 性的な快楽は性的な快楽でしかなく、それをどういう風に位置づけるかはあくまでも「個人の自由」にすぎない。だってねえ、片方が「愛のあるセックス」と認識していても、相手は「金銭を媒介にしている愛のないセックス」としていた場合、その「愛」の定義はどうなるんだとか思ってしまいますわ。思考停止言葉のひとつでしかないんじゃないかしらん。「性交渉」という単なる動的な「行為」(行為は行為でしかなく、そこに意味や価値はない)と観念上の概念であり定義づけはたぶんに個々人の価値観に依拠する「愛」をコンドーするのはいい加減やめにしないかね?ちんまんにどのようなデルフォイのオラクルを見出すかは個人の勝手ですが、幻想を幻想と認識した上で消費するのが近代的自我の洗礼を受けた正しきオトナ(まんこから血を流して幾星霜