「堤さんには、がっかりしました」 言われて心臓が凍り付いた。2011年の暮れ、ドナルド・キーン先生と2人のタクシー車中でのことだ。この日、『ドナルド・キーン著作集』の刊行開始にあわせて新潮社で記者会見に臨んでいただくためお迎えに行った。(何をしでかしてしまったのだろう?)と自問しながら、恐る恐る先生にわけを訊ねた。「何か、お気に召さないことを、私はしてしまったのでしょうか」と。 キーン先生は真顔で、「堤さんは、私に、記者会見に太郎冠者の扮装で来てはダメだと言ったでしょう」と応えた。止まっていた心臓が拍動を思い出した。やられた! 先生お得意のジョークだったのだ。 数日前、記者会見の日時をメールで伝えると、「ところで私の格好は、①アイビーリーグの大学教授風、②1950年代英国の怒れる若者風、③太郎冠者風、いずれがいいでしょうか」とお茶目な返事がきた。「②や③のお姿もいつか拝見したいですが、今回
福島で生活する人から学びたい 絵本作家、松本春野さん(31)の新作絵本「ふくしまからきた子 そつぎょう」(父の松本猛さんとの共著、岩崎書店)が話題を呼んでいる。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に母と避難することを選んだ主人公の少女「まや」が、自分が通っていた福島の小学校の卒業式に戻ってくるという物語だ。反原発運動に参加する松本さんは、福島での取材を通じて「(反原発運動は)もっと福島で生活を送る人の声から学ぶべきだ」と感じたという。絵本作家、いわさきちひろの孫として注目された松本さんが福島での取材で何を感じ、どう考えが変化したのか。思考の軌跡をロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】
一昨日アップした岩田準一:挿絵、江戸川乱歩「踊る一寸法師」(『大衆文学全集』第3巻、平凡社、昭和2年)の挿絵画家・岩田と乱歩の”男色”について岩田の孫娘・岩田準子によって書かれた『二青年図』(新潮社、2001年)を見つけた。 岩田準一:挿絵、江戸川乱歩「踊る一寸法師」(『大衆文学全集』第3巻、平凡社、昭和2年 岩田準子『二青年図』(新潮社、2001年) 「竹久夢二に画才と美貌を寵愛されていた岩田準一は18歳の夏、ある男に出会う。男の名は平井太郎、後の江戸川乱歩だった。二人は許されぬ悦楽の世界に淫して『パノラマ島奇談』、『孤島の鬼』少年探偵団シリーズなどを創造し、そして二人の愛を結晶させようと誓い合った…。乱歩、エロ、グロの相貌を塗り替える、秘するほかなかった愛のかたちを孫娘が描き出した血涙の長篇小説。」(「BOOK」データベースより) 有名な話なのかもしれないが、浅学のため知りませんでした
礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎内村鑑三「末松男爵と人糞事件」(英文) 昨日の続きである。内村鑑三は、一八九九年(明治三二)二月一三日、今度は『万朝報』で、この「人糞事件」を採り上げている。よほど、この事件に関心を払っていたものと思われる。タイトルは、BARON SUYEMATSU AND NIGHT-SOIL AFFAIA(末松男爵と人糞事件)である。この英文は、『内村鑑三全集』第六巻(岩波書店、一九八〇)に載っているが、翻訳はついていない。一方、道家弘一郎〈ドウケ・ヒロイチロウ〉訳『内村鑑三英文論説 翻訳篇 下』(岩波書店、一九八五)には、その翻訳が載っている。 本日は、道家弘一郎氏による、その翻訳を紹介してみよう。これによると、事件が起きたのが「去る十二月下旬」であるかのようにも読めるが、事件
渡辺喜一郎『石川淳傅説』(右文書院、二〇一三年八月三〇日、装幀=臼井新太郎)読了。 「はじめに」に面白い話が披露されている。まだ流行作家となる前の石川淳が世話になった海老名雄二という人物がいる。著者は昭和四十年代末から度々海老名を訪問して石川のことを聞き出し、それを文章にして発表していた。 《その都度石川に送った。どうもその「伝記的研究」がいけなかったようだ。昭和六十一年二月に来た石川からの最後のハガキには「貴下の書くものが不快で氣に入りません」などと来訪などを断る文面であった。前年までの七通の"電文"のようなハガキはすべて好意的であったのに。》 渡辺は石川の逆鱗に触れた。それにしても昭和六十一年というと、石川は八十七歳である。まだ生々しい逆鱗が残っているというのも逆に不思議だし(ただし人が年齢を重ねると寛容になると考えるのは、考える方が間違っているのかもしれない)、それまでも研究者の作っ
2013年04月27日15:12 カテゴリ 『不連続殺人事件』と岡倉天心――坂口安吾とコナン・ドイル(2) 坂口安吾の「不連続殺人事件」は、昭和22年9月から翌年8月まで、雑誌「新小説」に犯人当て懸賞付き探偵小説として連載された。「堕落論」で流行作家になった安吾が長編探偵小説を書く、というので注目されたが、既存の探偵小説家、例えば、海野十三などからは「坂口安吾氏その他が探偵小説を書くのは結構だが、どうせろくなものは出来ないだらう。」とひややかな眼でみられていた。しかし、連載が終わると、江戸川乱歩は早速、「『不連続殺人事件』を評す」と題する一文を「探偵作家クラブ会報」(昭和23年9月)に寄せた。「純文学者の探偵小説には望みを属することができないと云ふのが定説のやうになつてゐたが」、『不連続殺人事件』は、この定説を破った瞠目すべき作品と褒めた。 同年12月15日、『不連続殺人事件』(写真左)は
昭和33年創業の大阪・梅田のバー「キャシー」が、31日閉店する。寿屋(現・サントリー)社員だった作家の開高健も通った名店だ。店主の塩野保男さん(83)によると、閉店の理由は「アホ(常連客)の相手するの疲れたから」。54年間変わらぬ毒舌と飾らない人柄で、多くの客を魅了してきた。実際は体調を崩しがちになったことが閉店の理由というが、老舗の止まり木が消えることを惜しむ声は多い。 店は大阪駅前第1ビル地下2階にある。「KATHY」と書かれたドアの向こうでは、8席のL字型カウンターが午後5時には埋まる。 ほとんどの客のオーダーは、角瓶のハイボール。常連客に言わせると、最近人気の飲みやすいハイボールとは違って「どっちかっていうとソーダのウイスキー割やん」。濃いめに作るのがキャシー流だ。 創業時は別の場所でサントリーのトリスバーとして営業。大阪市大出身で同社宣伝部に採用され、PR誌『洋酒天国』の編集など
「丸谷先生には申し訳ないんだけれど…」。1日夜に東京・内幸町の帝国ホテルで行われた作家、丸谷才一さん(86)の文化勲章受章を祝う会には、親交の深い作家や編集者ら約180人が集まった。にぎやかな宴の中でもひときわ会場を沸かせたのは、冒頭のように遠慮がちに切りだした世界的指揮者、小澤征爾さん(76)の意外(?)なスピーチだった。 小澤さんは50年以上前、丸谷さんが桐朋学園で英語教師をしていたころの教え子だ。そんな小澤さんが「僕ね、こんなに外国でいろんなことやっているけれど英語はうんと下手なんです。なぜ下手かと考えると、英語の先生が丸谷先生だったから」と告白すると、会場は笑いと拍手に包まれた。話にはもちろん続きがある。 「先生は文学者だから(英国作家)ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』を読まされた。優秀な人はそれを読みながら英文学の良さを学んだと思うけれど…」。丸谷さんが使う英語うんぬんでは
『忠臣蔵とは何か』論争と丸谷才一 丸谷才一(一九二五− )は、三島由紀夫や梅原猛と同年である。東大英文科の大学院を出て、國學院大学の教授をしており、作家として独立したのは四十を過ぎてからのことだ。若いころ、篠田一士らと同人誌『秩序』をやっており、一九五二年からそこに長編『エホバの顔を避けて』(のち中公文庫)を連載したのが、デビュー作ということになるがこれが単行本として刊行されたのは六〇年のことである。その間、もっぱら、グレアム・グリーンやジェローム・K・ジェローム、また英文科の後輩で、のち東大教授になる高松雄一(一九二九− )らとともに、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を翻訳したことで、次第に名を知られていった。六二年に「彼方へ」を『文藝』に載せて文藝誌にデビューし、六六年に書き下ろし長編『笹まくら』を刊行し、好評を得て、河出文化賞を受賞した。 丸谷は、日本の私小説批判で知られる批評家
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く