生前に描かれたヴラド3世(1431~1476年)の肖像画の模写。現在は、オーストリア、インスブルックにあるアンブラス城に展示されている。(ERICH LESSING/ALBUM) ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のモデルの一人と言われるヴラド3世は、現在のルーマニア南部にかつて存在したワラキア公国の君主だった。ワラキア公国は1859年にモルダビア公国と統合し、ルーマニア王国として生まれ変わる。ヴラド3世は、1448~1476年の間に断続的にワラキア公国を統治し、ヴラド・ドラキュラ(ドラゴンの息子という意味)とも呼ばれていた。しかし、敵を拷問するなど暴虐の限りを尽くしたことから、ルーマニア語で「ヴラド・ツェペシュ」、すなわち「串刺し公ヴラド」という呼び名で最もよく知られるようになった。一部では、その生涯の間に8万人以上の命を奪ったともいわれている。犠牲者の多くは、串刺しにされて殺された
1992年、都市考古学者のシェリル・ウィルソン氏は、米ニューヨーク州マンハッタンにある世界貿易センターで、「ニューヨーク・アフリカ人墓地プロジェクト」の研究室に使えそうな物件を探していた。管理会社はツインタワー北棟の67階はどうかと提案したが、高いビルは苦手だったので、最終的にその隣にある8階建ての第6ビル(6WTC)の1階と地下室に落ち着いた。 そして2001年9月11日、ツインタワーに2機の航空機が突入し、ビルは崩落。3000人近い死者を出した。このとき北棟の正面の部分が第6ビルの上に崩れ落ち、ウィルソン氏の研究室に収められていた数十万点もの歴史的遺物もろとも破壊した。それらは、ニューヨークの町の起源や、この町を世界的大都市へと成長させた奴隷や労働者たちの歴史を伝える貴重な資料だった。
1789年4月28日、ウィリアム・ブライ艦長率いる英海軍の船バウンティ号で反乱が起こった。楽園のようなタヒチで何カ月も過ごした船の乗組員たちは、南太平洋の島に永住したいと考えた。(PAINTING BY ROBERT DODD, BRIDGEMAN IMAGES) 美しい南の島。壮大な船の旅。乗組員による反乱。1787年11月に英国海軍の輸送船バウンティ号がイングランドを出航した時、その後に待ち受ける運命を誰も想像だにしなかっただろう。 今では、事件は「バウンティ号の反乱」として知られるようになり、20世紀だけで5本もの映画が製作された。ありえない物語のように語り継がれているが、この船と乗組員に起こったことは紛れもない事実だ。 タヒチで奴隷の食料を調達せよ 海軍の船とはいえ、バウンティ号の任務はいたって平和的だった。艦長のウィリアム・ブライは、熱帯の果実であるパンノキの実を、南太平洋の島、
日本が作成した北朝鮮、平壌近郊の地図。(Photograph from Stanford University) 第二次世界大戦後、日本を支配下においた米軍は、日本の軍事機密となっていた地図とその原版を大量に接収し、米国に送っていた。その地図が近年発見され、注目を集めている。 日本軍の地図はアジアの多くの地域を網羅し、地形に加え、気候、輸送システム、現地の生活の情報が詳細に記されていた。こうした情報は侵略や占領の計画立案に使われたと思われ、一部には敵国に送り込まれたスパイが収集したものもある。 これらの地図は「外邦図」と呼ばれるもので、米国にとって諜報活動に役立つ貴重な資料となった。敗戦国の情報だけでなく、新たに台頭してきた敵、すなわちソビエト連邦の情報も含まれていたからだ。米国陸軍地図局は、こうした戦略上重要な資産を1カ所に保管しておくのは無謀と考えた。核攻撃でも受けようものなら、すべて
機関誌『水の文化』は、1999年(平成11)1月創刊。 創刊以来「人と水」、「人と人」のかかわりの中で生み出された、 知恵や地域固有の習慣に光を当てた取材を続けています。 全ての機関誌はホームページにてご覧いただく事ができます。 また冊子(無償)をご希望の方は、こちらからお申込みください。 なお、機関誌の全ての記事は地域やテーマなどから検索できますので、ご興味に合わせて是非ご活用ください。 最新号 水の文化 77号 2024年7月 特集「みんな、泳いでる?」 今年も夏がやってきました。 皆さん、最近泳いでいますか? 「泳ぐ」という行為は、かつて人間が食料を得るために必要な術でした。戦国時代には武術の一つとなり、江戸時代には水域に応じた泳法が各地に生まれます。明治時代に海水浴が療養法として注目される一方、大正時代にクロールなど西洋式の近代泳法が取り入れられると、泳ぎはタイムを競うものへと変わ
続編的記事。 「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥 NHKの「ひろしまタイムライン」というツイート企画の中で以下の内容が投稿されました。 この企画は1945年の広島を生きた3人の日々をSNSで毎日発信するというものでありますが、その内容は原本そのままではなく原本となる日記をもとに今の10代の若者たちがアレンジして発信というもの。上記の「朝鮮人」記述は現代の差別的状況を鑑みた場合や戦争への反省、加害責任を考えた場合には前提となる知識や注釈なしで情報を発信するにはあまりにも迂闊な事であり、朝鮮人が受けてきた被害の歴史をある時点での本来比較にならないほどの「加害」によって日本人が与えてきた加害を感情的に相殺させる作用さえあります。また戦後に朝鮮人による暴力事件があったのは事実でありますが、それを在特会などが誇大的に発した「朝鮮進駐軍」という【デマ*1
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く