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<道路レポート>と2006に関するyamaigaのブックマーク (17)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回

    私にとって、格的な廃道デビューの地「仙岩峠」。 秋田岩手両県にとって最も重要な交通路であるこの峠の一帯には、戦国時代よりも昔から道が存在していた。 だが、秋田県仙北郡と岩手県岩手郡の頭文字を取って名付けられたのは明治8年のことで、それまでは国見峠と呼ばれていた。 我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。 それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。 また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。 私がこの仙岩峠“明治道”に着目したの

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道12号旧道 八木沢峠

    阿武隈高地は、宮城・福島・茨城3県の太平洋岸に連なる広大な丘陵性山地で、八溝山や霊山などがよく知られている。 昭和53年に出版された『ふくしまの峠(福島中央テレビ刊)』に「阿武隈高地最難所の峠」と紹介されているのが、福島県南相馬市(旧原町市)と相馬郡飯舘村の間にある八木沢峠(海抜520m)だ。 昭和52年に完成したという現道を行けば峠も遠く感じないが、旧道には7つの大曲りと23の小曲りがあったといい、ドライバー泣かせの難路として知られていたという。 また、この旧道は明治初期から2度にわたり開鑿された道であったともいう。 八木沢峠は典型的な“片越え”の峠で、原町側は鹿島区(旧鹿島町)橲原(じさはら)あたりから峠が始まり、約10km、高低差450mの長大な登りを要するが、一方で飯舘側は峠のすぐそばまで農地が広がっており、最も峠寄りの八木沢集落からは500mと離れていない。 峠の名は冠しているも

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道318号 上小国下川原線 

    福島県北建設事務所が管轄する一般県道上小国下川原線は、同所発行の「管内概要」によれば、実延長6045mの路線である。 平成18年現在、このうち0.7kmが交通不能区間に指定されている。 路線は伊達市霊山町上小国において主要地方道霊山松川線より分岐し、福島市境をなす小山脈を越える。この初っ端の区間が不通となっている。 その先は福島市大波地区に下って国道115号と交差し、そこから再び伊達市保原町との境をなす峠を越え、下川原地区に下ると一般県道山口保原線に合流し終点となる。 路線は、福島市と伊達市の山間集落を相互に連絡し、ほぼ全線が山間部に位置する、国道及び主要地方道の補助的路線である。 私は、東北一円が雪に閉ざされつつある12月の初旬、草藪の弱った時期を見計らうようにして、この短い不通区間へ挑戦した。 この道は、今年春に周辺町村と広域合併を果たし「伊達市」となった旧霊山(りょうぜん)町が関

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島・宮城県道45号 丸森霊山線 

    主要地方道丸森霊山線は、宮城県伊具郡丸森町と福島県伊達市を結ぶ約30kmの路線である。 阿武隈川沿いの国道349号を補完する越県境交通路に位置づけられているが、肝心の県境部分の約3kmが通行不能区間となっている。 福島県と宮城県間の通行不能路は、この路線と以前紹介した県道107号赤井畑国見線の2路線が存在しているが、後者はかつて一度は開通したものが様々な要因によって通行不能となっているのに対し、この路線は未だかつて車道が開通した歴史を持たない。 一見したところ、一帯はなだらかな山域に思われるが、果たしてどのような事情があるのだろう。 県境の峠の名前は、笹ノ峠。 『伊具郡史(伊具郡教育会 大正15年刊行)』には、「沿道笹が繁茂したので此の名出ず」とあり、まさに名が体を表す沿道風景だったようだが、私は2006年4月24日に不通区間の踏査へと私は出かけている。 今回のレポートの開始地点は伊達市霊

  • 【山さ行がねが】道路レポート 新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線 

    ちょっと肩に力が入ったレポが多かったと思うので、ここいらで“昔くせー”レポを一発。 おもわず、チャリ馬鹿トリオ愛唱歌である『マイナーマンのテーマ』が脳内リフレインするほどにマイナーな、新潟県内のある県道不通区間の探索である。 道は、新潟県一般県道の178号、路線名「山ノ相川下条停車場線」である。 「そんな道しらねーよ」という声がいまにも聞こえてきそうである。 …あ、マジ聞こえてきた。家のが言ったよ、いま。 この道、今時「山ノ相川下条」ってググってもたった2頁しかヒットしないほど、マイナーであり、知られていない。 無論、私も知らなかったし、そう力んで近付いていったわけでもなかった。 ただ、なんとなくね。不通みたいに地図で描かれていたんで、チャリ旅の途中に寄ったわけよ。 で、この道についてレポる前に、何だか妙にカラフルチックな上のMAPを見て欲しい。 カラフルなのは、狭い範囲に県道や国道がひ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号 三陸峠 

    全国津々浦々にある大峠。 岩手県大船渡市立根町(たっこん)と越喜来(おっきらい)の間にある海抜321mの大峠もまた、その一つだ。 この峠の直下には国道45号がトンネルで通過しており、トンネルの名前は旧町名を取って三陸トンネルという。 それゆえ、私はつい最近までこの旧道の峠も三陸峠だと信じていた。 その間違った思いこみを敢えてレポートのタイトル名にしたのは、これからお送りするレポートが大峠だけではないためだ。 近接し、異なる時代に存在した三代三の峠道を一挙にレポートしたい。 そして、この三つの峠を総称し、便宜的に三陸峠と称する事にしたのである。 右の地形図の断片を見ていただきたい。 いかにも旧国道だろうと思われる位置(三陸トンネル直上)に大峠が記されている。 そして、今回現地に赴いて色々と知る前には、この大峠に対して新しい峠道だと疑わなかった新峠も記載がある。 だが、地形図には記載がないも

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号 羅生峠旧道 

    よく岩手県は峠の国などといわれる。 地形図に峠と記されているものいないものを含め、県内には二千を越える峠があるとも言わるほどに、古来多くの峠が拓かれてきた。 それは、岩手県が全国有数の山がちな県域を持つことと当然無関係ではないが、そればかりではなく、今も民謡などに伝わる馬追衆の営みなど、もとより岩手県の民は遊牧や交易に生計を立てる素質を持っていたのである。 県内には、北上川流域を除けば稲作に適した肥沃な土地が少ない。 特に北上山地一帯や三陸地方においては、毎年吹き付けるやませと呼ばれる冷たい季節風が、著しい稲作不適地域を生じさせてきた。 かつての人々は生きるために流浪を余儀なくされたとも言える。 三陸地方にも、多くの峠が拓かれてきた。 そのうち、メーンとなるルートは、藩政期までは浜街道と、明治には東浜街道と呼ばれ、時代に応じて整備されてきた。 昭和30年代以降、ようやく自動車交通時代が要請

  • 道路レポート 主要地方道小出奥只見線 <シルバーライン> 第一回

    私が生涯に体験したい道10選 というものがあるとしたら、確実にあの塩那道路と共にランクインする道の一つ。 それがこの、“奥只見シルバーライン”こと、新潟県道50号小出奥只見線である。 この道は、かつて日最大の電源開発事業のために、国力をあげて開発された道である。 行く手にあるものはただ一つ、2006年時点での国内ダム総貯水量第一位の奥只見ダム(6億百万立方メートル)。 ダムを生み出し、管理するためだけに設けられた、開発道路。 それが、“奥只見シルバーライン”と後に愛称され、年間15万台が訪れる観光道路になる道の、始まりだった。 道路の開通は、昭和32年。 国営の電源開発株式会社によって施工され、3年の年月と延180万人の労働力が投入された。 開通した全長22kmの資材運搬道路には、あわせて19、合計延長18km余りの隧道が掘り抜かれ、他に類を見ないトンネル連続道路が出現したのである。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道253号旧道 八箇峠

    山行が合調隊メンバーのふみやん氏(新潟県長岡市在住)より、今からだいぶ前に現地の廃道情報がもたらされた。 それは、新潟県十日町市と南魚沼市を結ぶ八箇峠の旧国道に関するものであった。 彼は普段から余り感情を表に出すことはないが、こと、この八箇峠については、並ならぬ感情が含まれている気がした。 そして、彼は言った。 「夏場には近づけない」 -らしいと。 私は、彼が示すいくつかのサイトのレポートを見たが、確かに偉大なる先人の数人が峠に辿り着いてはいるものの、みな、盛夏期を避けているようだ。 はたして、夏場にはどんな景観がそこにあるのだろう。 当に、近付くことさえ出来ないというのだろうか。 たかが、たかが薮ではないのか?! 別に私は、そんな無意味な挑戦に駆られたわけでは決して無く、単に、この時期に通りかかってしまっただけである。 まさか、あんな重大な困難が待ち受けているとは、思っていなかった。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道久慈岩泉線 滝地区旧道 前編

    『道路トンネル大鑑(土木界通信社発行)』巻末の昭和42年の道路トンネルリストによれば、当時岩手県主要地方道久慈岩泉線には、3の隧道があったようだ。 そして、平成18年現在でも道路線は名前も変わらずに存在しているのだが、地図で見る限り隧道はかなり増えているようだ。 机上での調査を行った結果、リストにある3の隧道はいずれも旧道上に取り残されているであろう事が判明。 現地調査と相成った。 レポート範囲は右の地図の通りである。 私はここを北側からチャリで通過しつつ探索した。 鯉のぼりがかわいいこのダムは滝ダム。 ここが今回のスタート地点だ。 滝ダムは、変わった景観で知られる。 このダムの堤体から下流を見下ろすと、手に取るほど近くに市街地が見える。 それだけでも珍しいが、その向こうには、大きな入り江に小島が浮かぶ久慈湾が鮮明に見える。 ここは、全国でも珍しい「海が見えるダム」なのである。 ダムサ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道459号 和風月名隧道及び橋梁群 前編

    平成12年に国道指定を受けた459号は、400番台の路線としては唯一太平洋岸と日海岸(浪江町~新潟市)とを繋いでいる全長260km余りの道だ。 列島横断国道の例に漏れずその道中は険しく、幾多の山を越え谷を跨ぐ道のりとなっているのだが、この路線を辿ることの難しさはそればかりではない。 既存の国道や県道を繋ぎ合わせ(全線合わせて10もの他国道と重複している)、国道を求める幾多の市町村の要望に応えながら路線指定を行った結果、太平洋と日海沿岸を結んでいるという実感があまりにも湧きにくい、むしろ、「あれれ?なんで新潟と浜通りに同じ路線番号があるの?間違い?」などと思われそうな、迂遠屈曲を団子の如く列ねた継ぎ接ぎだらけの国道となってしまった。 故に、この道を辿る難しさは、未改良区間が多く残るという物理的側面のみならず、道なりに走っているといつの間にか国道から外れ、別の道へ誘導されているなどといった

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(雫石側) 第一回

    仙岩峠については、これまで山行がでも何度も語ってきた。 この峠は、秋田県と岩手県の県庁所在地を最短で結ぶ奥羽山脈越えの峠であり、今でこそ秋田自動車道とその役目を二分しているといえ、開通以来北東北の物流・観光・生活を支える、文字通りの幹線道路である。 この道は一般国道46号に指定されており、国の直轄路線であるころからも、その重要性が窺い知れるであろう。 この仙岩峠について我々旧廃道傾倒者、いわゆるオブローダーが語るとき、必ず話題に出る、いやむしろ仙岩峠と言ってもまず現道を指さないと言うほどに有名なのが、昭和38年10月に開通し、この峠に初めて自動車交通の時代を切り開いた旧国道である。海抜800mの仙岩峠を越える、九十九折りと断崖絶壁を繋いだ全線2車線の完全舗装道路だったが、一年のうち半分は雪に閉ざされ、沿道の景色の美しさから観光道路としても愛称を与えられるほどであったものの、結局は幹線国道と

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道13号旧道 栗子峠<万世大路> 再訪編 第一回

    いまさら、万世大路(ばんせいたいろ)や栗子峠の旧国道について長々しい説明は不要だろう。 山行がでも03年と04年に訪れ、それぞれレポートしているし(03年「万世大路」、04年「万世大路工事用軌道」)、様々な道路系サイト、特に旧道や廃道を取り扱った多くのサイトが、この万世大路について報告している。 きわめて簡潔にこの道を紹介するならば、奥羽山脈を縦断して福島市と米沢市とを結ぶ栗子峠の旧国道で、開通当初に明治天皇より「万世大路」と言う名を与えられた、日有数の由緒深い峠道、と言うことになる。 万世大路に関する略年表 年で き ご と

  • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区

    福島県国県道現況調査(平成15年版)によると、主要地方道31号浪江国見線には、1区間4.2kmの自動車交通不能区間がある。 これは、その区間を突破せんと試みた、山チャリではおそらく史上初の…… 試みである。 この不通区間があるのは、今年元日までは伊達郡霊山町で通っていた、伊達市の霊山付近である。 この「霊山」は、ふつう「れいざん」と読む一般単語だが、この地名は「りょうぜん」と読む。 読みは違っていても、その旧町名の由来となった山 霊山(りょうぜん・海抜825m)は一度見た者の心に残らずにはおかない、異様な山容と、日のマチュピチュ都市遺跡かと思わせる霊山城址などの古代史に彩られた、福島の代表的な名山の1座である。 不通区間とされているのは、旧霊山町霊山閣跡~登山口までで、私の手持ちの地図帳や地形図(2.5万分の1)などでは、霊山閣跡から1kmほどは細い実線、その先登山口までの3kmほどが点

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道7号旧線 笠取峠

    笠取峠。 ここは日最大級の遊歩道網である「新奥の細道」に指定されている、現役の遊歩道である。 そして、その入口近くにある案内板には、次のように説明書きがある。 (抜粋) 笠取峠は、旧羽州浜街道のうち山浜通りである三瀬村より小波渡村までの山路で、昔、旅人が峠を越えるときかぶっていた笠が、日海より吹き上げる強風で顔に結んでいたひもを残してとられることから名付けられたと言われています。 この道筋が地図に描かれている事は前から知っていたのだが、このような説明書きがあることから、これは古い時代の道筋であって、平行する国道7号線の旧道は別に存在する物と考えていた。 しかし、東北建設協会の発行する『語り継ぐ道づくり~東北の直轄国道改修史[国道6号・7号]』によると、そうではなく、昭和36~39年に行われた三瀬~小波渡間の一次改築工事より前には笠取峠が国道だったらしい。 半信半疑の気持のまま、私は地図

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号線 小本危険区間

    私が最初にこの道と出会ったのは、細田氏の運転するブルーバードの車内でのことだった。 その日、北三陸の田野畑村で一つ目の探索目的を果たした我々は、次の目的地である宮古市へと、三陸を縦貫する唯一の幹線道路である国道45号線をハイピッチに南下していた。 州最大の面積を誇る町、岩泉町の小港はその通過点である。 国道45号線は小港の前後では、リアス海岸特有の海岸線すれすれまで迫る険しい山なみを避けるように、やや内陸の山林を駆け抜けている。しかし、小付近では一度海岸線のそばまで降りて、龍泉洞で有名な宇霊羅山などから流れ出す小川の河口を跨がねばならない。狭い河口部の平野には小の集落がこじんまりとまとまっている。 小が近付くと、国道は下り坂になる。 そして、私はこのわずか2kmほどの下り坂で、天にも昇るような興奮を憶えた。 真性の道路好きならば、誰しもがその血潮を騒がせ、ともすれば放屁・吐血

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道7号旧線 三崎峠

    北日の環日海交通のメーンルートである国道7号線(新潟~秋田~青森間)。 この道が山形県と秋田県の境で越える峠が、三崎峠である。 だが、現在の国道を車で走る限り、県境を示す巨大な標識さえ無ければ、そこがかつて難所と呼ばれた峠であることは窺い知れないだろう。 この三崎峠の沿革を簡単に述べれば、国道7号線の前身であるところの藩政時代以前の羽州浜街道に端を発する。 当時の道は海岸線に近い位置を通っており、かの俳聖松尾芭蕉も「奥の細道」紀行で通った道であるが、明治期に入って馬車交通の要請には応えらぬ難路であったという。参考写真:三崎峠の旧街道(歩道) この道は当時の雰囲気を残した遊歩道となっており歩くことが出来る。 そして、この峠に文明開化をもたらしたのは、またしてもこの男。初代山形県令三島通庸である。 彼は、これまで山行がでも繰り返しその業績を(文字通り)辿ってきたわけだが、秋田山形両県間の交

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