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2010年6月6日のブックマーク (30件)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.3.31撮影 宮城県志津川町 (現南三陸町) だらだらと続いてきた(オイオイ…)小ネタ集、もとい「ミニレポート」も、いつの間にやら50回を迎えた。 そして、そんな私につい先日、奇跡的な発見がもたらされたのだ。 私は、以前「クアトロ秋田」さんから“その”話を聞いて以来、ずっと探していたものを、やっと、初めて発見したのである。 嬉しくて嬉しくて、もう感激しっぱなしだったのだが、そろそろその発見を自慢したくなってきたので、ミニレポ50回の記念に、紹介したい。 みんな!注目! 私の発見に、ちゅーもくっ! ここは、海。 それも、見慣れた海ではなく、世界の海・太平洋です。 宮城県桃生郡は北上町小指という、太平洋に面した漁港に、私はおりました。 旅の目的は、もちろん山チャリ。 この時は、前夜から国道398号線をひたひたと、志津川目指し北上しておりました。 ただ走っていても、風光明媚な三陸は十二

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-50>ミニレポ50回記念。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.3.14撮影 青森県青森市 東北線の長き鉄路も終わりに近い、浅虫温泉から終点青森までの約20kmの大部分が、開業時とは異なるものであることは、比較的よく知られている。 この路線の改廃については、廃線探求者のバイブル的存在である『JTBキャンブックス刊 鉄道廃線跡を歩く』の第2刊に詳しいが、この名著を読んでいて、いつも私が気になってしまうことがある。 それは、幾度と無く出現する廃隧道について、内部の様子が紹介されていないことだ。 私だったら、隧道だったらまず入る。 行き止まりだと言われていても、反対側の坑口が存在しないことをこの目で確かめていたとしても、やはり、入る。 それは、私が隧道を好むからに他ならない。 そういうわけで、この区間に存在する「旧浦島隧道」を、内部を含め紹介しよう。 今回のレポは、東北線を青森から出発して4つめの駅である、野内駅よりはじめよう。 この野内駅は明

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-49>東北本線の廃隧道に初チャレンジ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-48>白亜の三穴洞
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-47>古き良き峠
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-46>何となく気になる橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.7.17撮影 岩手県宮古市 浄土ヶ浜 三陸沿岸有数の観光地である浄土ヶ浜へ到着したのは、午後5時半過ぎであった。 朝、盛岡市を出発した私は、国道106号線の旧道を巡りながら北上山地を横断して、やっとここまで来た。 しかし、ここは今日の目的地ではない。 今晩の宿は、まだ遙か先。岩泉町のJR岩泉線の終点である岩泉駅なのである。 むろん、無料で眠れるスペースを求めた末の、無人駅拝借の予定である。 気分的に余裕はない中、私は浄土ヶ浜の正面玄関であるところの、広大な駐車場に立った。 メジャーな観光地には興味のない私が、時間のない中わざわざ立ち寄る、その理由は…。 地図に描かれた隧道達だ。 今回紹介する道は、浄土ヶ浜観光の遊歩道であるから、自転車での通行には細心の注意を払った。幸い通行は禁じられていないが、皆様も注意して走行していただきたいと思う。 駐車場にある大きな絵地図を頼りに、海岸線に

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-45>海と 森と 隧道と
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.11.5撮影 雫石町橋場 国道46号線の難所といえば、誰もがまず仙岩峠と答えるところだろうが、そのそばに小さくとも厳しい難所があった。 その名を、“へぐりの難所”と言った。 国道46号線を秋田から盛岡へと進み、仙岩峠を越えて進むこと10kmほど。 久々の集落である橋場に差し掛かる直前、峠から寄り添ってきた竜川の両岸に蒼蒼とした崖が迫る。 この先が、かつては“ヘグリの難所”と畏れられた道だが、現在の国道はここを避けるように二度、矢継ぎ早に竜川を渡る。 旧道は、真新しいガードレールで無造作に封鎖されている。 引き寄せられるようにして、ガードレールをチャリごと跨ぎ進むと、間もなく「びっくりマーク」が現れる。 仙岩峠の旧国道には、まるでシンボルマークのように点在する同標識だが、やや離れたこの地にも存在していたのだ。 ここで想定された「その他の危険」とはいったい何であったのだろうか? 補助

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-44>死を呼ぶ洞門
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-43>木造橋なんか作っちゃって…
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.9.17撮影 雄勝町秋ノ宮 主要地方道73号「雄勝金山線」は、秋田県雄勝町と山形県金山町とを結ぶ全長10200mの路線である。 と、県の資料は述べている。 線は、現時点で最も番号の大きな主要地方道で、平成6年に認定されている。 だが、未だに開通していない。 果たしてどのような道なのか、辿ってみよう。 国道108号線を雄勝町横堀から宮城県境へ向けて走ると、秋ノ宮地区に入るあたりで一つの青看がある。 そこは以前紹介した『旧旧川井橋』の重厚な橋桁が野晒しに展示されており、現在では川井橋の袂となる。 この青看は、これから探索する県道73号線のヘキサが唯一記された標識なのである(←秋田県側では)。 目的地は「薄久内」と小さく表示されており、この薄久内というのは、雄勝町秋ノ宮の字に過ぎない超ローカル地名である。 来の目的地は、遠く離れた「金山町」のはずなのだが…。 では、いってみよう。

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-42>秋田県最マイナー県道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.1.1撮影 由利郡東由利町 出羽丘陵に無数に存在する小さき峠も、年々トンネル化が進みその都度旧道が生じている。 その中でも、昭和62年という比較的早い時期にトンネルが開通した白沢峠は、由利郡と平鹿郡を結ぶ重要な路線として、現在でもよく利用されている。 その白沢峠だが、稜線越えの旧道の標高は高々200m。 しかし、私はこの殆ど無名に近い旧道で、手痛い撤退を演じていた。 2002年9月、東由利側からアタックしたものの、ほんの10mほど進んだだけで、猛烈なススキの原に断念。 それ以上進むことが出来なかったのだ。 そして、2004年の元日。 私は再びこの峠にチャレンジする機会を得た。 しかも今回は、あの男も一緒だった。 主要地方道30号「神岡南外東由利線」は、その名が示す町と村を経て県南内陸部を縦断する全長36キロ余りの路線である。 その全線は出羽丘陵地帯にあり、途中いくつかの峠を越える

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-41>ホリプロ氏の一日 復活編?!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.11.19撮影 仙北郡田沢湖町 先達 小ネタ集として始まったこの「ミニレポ」も、今回でいよいよ40話を数える。 今回のネタ名は、タイトルの通り「主要地方道8号 十和田角館線」だ。 もしあなたが、秋田県に長く住んでいる道路フリークであれば、不思議に思うことだろう。 「そんな道、あった?」 そう感じたなら、あなたは確かな知識をお持ちである。 そう。 2004年現在、秋田県の県道番号において、8は欠番だ。 昭和53年より今までずっとそうだ。 だが、昭和29年に認定された主要地方道8号線は、確かに「十和田角館線」を名乗っていたし、実際にこの両者を結ぶ全長73km余りの道路が、少なくとも帳票上は存在していた。 もっとも、田沢湖町と鹿角市の間にある峠は永く不通であったが。 では、これほど長大な道が、一体どこへと消えたのだろうか? 少し地図を見れば分かりそうなので、種明かしだ。 実は、昭和53

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-40>葛藤の極度廃道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.8.7撮影 北秋田郡合川町 小阿仁森林鉄道は、米代水系阿仁川最大の支流である小阿仁川の源流部から、阿仁川と合流する合川町増沢地区までの、線43km余りの、県内有数の長大森林鉄道であった。 1967年に廃止になるまで、小阿仁川流域の豊富な森林資源開発のみでなく、鉄道など公共交通機関の著しく立ち遅れていた上小阿仁村の主要な地域を縦貫していた線は、地域の足としても、非公式に活躍してきた歴史がある。 県内有数の長大森林鉄道だった小阿仁森林鉄道だが、その大部分は廃止後、道路敷きなどに転用されており、以外に痕跡は残っていない。 また、地形的に比較的恵まれていたせいか、隧道や橋梁といった構造物も、延長のわりに多くはなかったようだ。 ただ、その非常に発達した支線網や、上流域の萩形地区(ダム水没あり)の極めて険しい山地地形など、まだまだ全容は掴めておらず、その探索は始まったばかりである。 今回

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-39>生物の宝庫?の廃隧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.11.13撮影 秋田市仁別 今回も、秋田市に住む人に送りたいローカルネタである。 秋田市周辺に住み、そこで育った山チャリストにとって、仁別地区というのは、思い出深い地だと思う。 秋田市街に最も近い「格的な」山岳道路群の起点としても、周辺の山間に縦横無尽に伸びる林道たちを攻略する起点としても、多くの山チャリストが経由し、補給し、生還を喜び合った地だと思う。 少なくとも、私はそうだ。 そして、これはここ仁別に限ったことではないが、馴染みの土地に、新しい道、新しい空間を発見すると、なんとも得した気分になる。 自分だけの場所を見つけたような、そんな子供じみた喜びを得られるものだ。 今回紹介するのは、私にとっての、そんな場所である。 だからこそ、ぜひ、仁別を知り尽くしたと考えている人たちに、ご覧頂きたい。 あなたは、こんな場所が存在していたことを、知っていただろうか? 当サイトでは意外に

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-38>ダム直下に隠れた軌道跡
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-37>超ローカルネタでごめん
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.11.5撮影 秋田県能代市 機織 今回はまた、皆様からの情報提供をお願いしたいと思います。 見つけたのは、謎の鉄道橋なんです。 もっとも、謎といっても、今度の物件はしっかりと地形図にも載っていたし、存在自体は疑う余地は無いんです。 では、その地形図をちょっとご覧頂いちゃいましょう。 これは、大正元年測量・昭和14年修正版の5万分の一地形図の一部分です。 写真の範囲は、奥羽線の東能代駅駅の一帯ですが、いかがでしょうか。 見慣れない鉄路が、一、描かれてますのに、お気づきになりましたか? それは、東能代駅のすぐ東より北に分岐し、全体がS字を描くようにして蛇行、わずか2kmほどで米代川に阻まれて終点となっています。 奥羽線の支線のようでありますが、沿線には駅どころか、人家ひとつ無い様子ではありませんか。 貨物扱い専用の支線だったにしても、余りにも辺鄙な場所に何ゆえこのような線路が敷

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-36>レールの残された廃橋梁
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-35>肘折カルデラを一望、絶景廃道!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.6.5撮影 山形県最上郡大蔵村 南山 東北を代表する“酷”道といわれる国道458号線は、山形県内陸部を南北に縦断する路線である。 この道が、「酷道」などというありがたくないレッテルを貼られている最大の原因は、起点からそう遠くない最上郡大蔵村から寒河江市にかけての山越え「十部一峠」の存在である。 砂利道を交えつつ延々と山を越えるこの峠は、確かに国道としては異例のショボさであるのだが、個人的には、真に”酷”というほどの物かといわれると疑問が残る。 「国道なのに砂利の区間が残る」というインパクトはあるのだが、それ一発勝負というか。まあ、ぶっちゃけ走行感は、よく整備された林道と大差ないと感じられ…、なんというか期待以上ということはない道であった。 当初は、このほぼ50kmにも及ぶ長大な峠越えを「道路レポート」として紹介するつもりであったが、ちょっとテンションがもたなそうだと思ったのだ。

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-34>崖下に消えた国道…
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.7.31撮影 秋田県湯沢市 ~ 稲川町 国道398号線は、宮城県の石巻市から奥羽山脈を襷掛けに縦貫し、秋田県荘市に至る268km余りの路線である。 全線は山がちであり大小の峠が連なるが、温泉や景勝地も多く、観光の面からは主力路線の一つである。 もっとも、山チャリストにとっては油断のならない難路線である。 その多数の峠のうちの一つ、山谷峠は湯沢市と稲川町を結ぶ短い峠である。 車だとものの5分ほどで通り過ぎることが出来てしまう。 しかし、ここにも旧道があった。 今回は、この旧道を紹介したい。 湯沢市の中心街にて、国道398号線は国道13号線と十字を切る。 西へ進めば、出羽丘陵を経て、いずれ荘市へ至る。 東へ進めば、この山谷峠を端緒にして、長い長い奥羽山脈花山越えの道のりが始まる。 約5kmほどで、早くも峠のトンネルが姿を現した。 直前まで点々と民家が続いており、峠越えという感じは

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-33>密林と化した小さな峠
  • ミニ・レポート 第32回 ○○○○橋

    世の中には、不思議な地名がいろいろとある。 素人が由来についていくら考えてみたところで、全然分からないほど難解なものも少なく無い。 そしてまたひとつ、そんな奇妙な名を持つ橋が、私の前に現れた。 おもわず首を傾げたその名は…? 宮城県は北西の端に近い栗原市栗駒の山中に、荒砥沢ダムはある。 北上水系ニ迫川の上流に作られたこのダムは、主に感慨用途として竣工した比較的規模の大きなロックフィル式ダムである。 これ以上上流には村落もなく、麓まで立派な県道が延びているが、その先は砂利の林道となる。 このダムの周囲を周回する林道は、細々とした沢筋を何度となく小さな橋で跨ぐ。 そのうちの一が、奇妙な名である。 林道にありがちな小さなコンクリート橋である。 全く個性のないガードレールには、これまた至って平凡な扁額が取り付けられている。 橋の四隅に扁額があるが、そのうちの3枚全てに、奇妙な言葉が刻まれている。

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-32>意 味 不 明
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.7.17撮影 岩手県下閉伊群新里村 ~ 宮古市 自身の初!三陸海岸まで後一歩と迫った、2003年7月17日15時30分過ぎ。 盛岡を午前8時に発って以来、ただただ国道106号線を辿ってきたが、道程は長かった。 これほどに時間が掛かったのは、旧道との戯れが過ぎたという理由もあったが。 ま、その話はまた今度。 今回紹介するのは、やはり旧国道106号線にある2の古い隧道だ。 この日の天候は生憎のどんより曇り、冷たい霧雨が時折降り注ぐコンディションでは、テンションは下がり気味である。 既に半日近くを共にして来た閉伊川の流れも、河口が近付き緩やかな景観を見せはじめた。 いい加減、どこまで行っても変化に乏しい渓谷風景に飽き飽きしていた頃である。 しかし、やっと景色に変化が現れ、さらには先には見えるのは… トンネルだ! 忘れかけていた興奮に、思わず漕ぎ足が軽やかに。 ちなみに、この道は旧国道

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-31>旧道と現道と鉄路―魅惑のの三重奏
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.5撮影 福島県福島市 栗子山 道路レポートに掲載した一枚の写真。 この写真が、今なお未解明な部分を数多く残す、万世大路最後の謎の始まりであった。 現地は、海抜850mを越える、万世大路のハイライト栗子隧道福島側坑門直前。 棄てられて30年以上を経た廃道の脇、もはやそこへ近付く方法すら分からないような谷間に、明らかに橋台と分かる一対の石組みの構造物があった。 道路レポートで記したとおり、私はこれを、明治にはじめて万世大路が拓かれた当時の痕跡と考えた。 余りにも風化が進んでおり、非常に古い時代の物と思えたからだ。 しかしレポート公開直後、当サイト掲示板に別の可能性が提示された。 サイト『山形の廃道』の作者にして、廃道界の権威 fuku氏 によるその書き込みの、稿に関する部分をそのまま以下に転載した。 それは、驚くべき内容であった。 さて、詳細不明の橋台ですが、人道橋と云うよりもしか

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-30>十七重のヘアピンで峰越を…
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-29>本当の最期
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2000.8.25撮影 岩手県沢内村~花巻市 秋田・岩手県主要地方道12号「花巻大曲線」は、奥羽山脈を二つの長大峠によって克服し両県を結ぶ全長33km余りの路線である。 しかし、昭和47年の路線指定以来ただの一度として、全線を通して通行できた日はない。 永らく二つの長大峠、それぞれ笹峠と中山峠と言うのだが、その両方が点線県道…不通区間だったのだ。 両県間には既に幾つもの整備された道があり、それらのメーンルートから外れた場所にある同路線の整備は牛歩の歩みのようであったが、それでも平成13年には遂に中山峠に風穴が穿たれた。 笹峠についても整備工事が進行中であり、近い将来その不通県道としての汚名は返上される日が来るだろう。 今回紹介するのは中山峠だが、これは開通したばかりの新道の方ではない。 かといって、そもそもが不通区間であり、旧道と呼べるものも無い。 県道の代用として利用された経緯を持つ林道

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-28>天国と地獄の峠道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.5撮影 秋田県田代町 白神山地の豊富な森林資源を背景に木材集積地として栄えた早口は、現在でも北秋田郡田代町の中心地的存在である。 かつては奥羽線から、早口川沿いに延々と山野の奥深くまで林用軌道が伸びていたが、昭和40年代には全て姿を消し、林道によるトラック輸送に切り替えられた。 早口から北へ約10km、早口川沿い最奥の集落である大野の少し手前、高落地区に掛かる橋は、その変遷と共に移り変わってきた歴史を持つ橋である。 今回は、この高落橋をご覧頂こう。 現在、早口から早口側沿いの諸集落を経て大野へと続く道は町道となり、2車線の立派な舗装路となっている。 スカイスポーツのメッカである十瀬山を右に見ながら純農村地帯を北上すること約10km、李岱集落を超えると景色は一転、山々が谷の両脇に迫りいよいよ山深くなってくる。 そして、味噌内林道との分岐を右に見て間も無く、大きな橋に差し掛かる。

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-27>僅か14年。短命だった2代目。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.3撮影 青森県岩崎村 大間越は白神山地最高峰の白神岳の直下にあり、険しい山肌がそのまま日海に没する急峻な地形である。 梅津川河口部に拓かれた大間越集落には、江戸時代関所が置かれていた。 西津軽街道は、大間越街道とも呼ばれており、かつてこの大間越が道中最も険難な場所であったことを感じさせる。 その大間越だが、現在の国道101号線は昭和50年に完成した延長627mの大間越トンネルであっという間に通過してしまう。 そこに残る旧国道を、今回は紹介したい。 岩崎村大間越は津軽沿岸最南の集落であり、これより南には県境を越えて秋田県八森町の岩館まで10kmほど人の住む場所はない。 しかし、現国道沿いにはこれといって店も無く、集落裏手を一直線に駆け抜けている。 いかにも、バイパス的な道だ。 集落内に入る旧国道は、写真の場所から入る。 現道から見える印象とは異なり、意外に人家が密集し栄えてい

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-26>北の荒波に耐え幾星霜
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-25>竣工年不明の旧国道隧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-24>未舗装の旧国道がまだあった?!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-23>仙岩峠の、もうひとつの旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.5撮影 秋田県秋田市 県都秋田市の東側の太平地区には、太平山の南麓を東西に流れる太平川にそって以前から変らぬ農村地帯が広がっている。 この部分を縦貫する県道28号線は、秋田市中心街区と河辺町・協和町とを結ぶ幹線であり、昭和50年代から主要な部分のバイパスが完成している。 県道沿いに点々とある太平地区の各集落には、未だに古い県道が生活道路として残されており、今日でも旧道をその全線において走行することが可能な数少ない県道である。 その大部分は大型車の離合も困難な狭い一車線であり、当時の厳しい交通事情が想像できる。 途中には、現役で活躍している当時の橋が二あり、今回はそれらを紹介したい。 太平の八田地区は秋田駅から10kmほどの場所であり、宅地化が進んでもおかしくなさそうだが、昔からの集落と田園の区切りは殆ど変っていない。 ここから、古くは信仰、近年では市民の憩いの山である太平山の登

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-22>県都の片隅に残る小さき古橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.5撮影 青森県黒石市 青森県津軽平野の南東に位置し、十和田・八甲田観光の玄関口となる黒石市は、歴史のある都市である。 1600年代から南津軽の主要な町として発展し、長らく政治・経済・産業の中心都市であった。 青森県では4番目となる昭和29年に市制が敷かれるなど磐石の発展を見せてきた同市だが、近年では弘前市や青森市といった大都市圏に挟まれ、また市内の主要な鉄道線の廃止など、明るいニュースばかりではない。 中心街に、未だ昭和の町並みを色濃く残すこの黒石に、目立たず、しかし矍鑠と活躍を続ける老兵…一の橋があった。 津軽富士を望む小さな橋、「富士見橋」である。 黒石市を貫流する浅瀬石あせいし川の右岸に市街中心地はある。 現在国道102号線は、浅瀬石川の左岸を通行しており、中心部は幹線道路から離れてしまっている。 しかし、バイパス化する以前の旧国道は、市街地を多数の直角カーブですり抜けて

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-21>古都の老兵