ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (18)

  • 尖閣動画流出によって勢いづく排外主義者たちを許すな - 過ぎ去ろうとしない過去

    今年の9月7日に発生した、海上保安庁の船と中国漁船が尖閣諸島*1付近で衝突した事故の映像が、ある海上保安官によって流出した問題が話題となっている。議題のひとつは、映像がどのようにして流出したかであるが、はっきりいえばそんなことは関係者の間で了解がつけばいいだけの話であって、わざわざ朝から晩まで公において騒ぐ必要がある話だとは思えない。 映像流出は正当化されるべきかどうか、は議論の余地があるといえるだろう。当然ながら、機密である情報をリークすることは法的には問題がある。しかし、ある組織において不正が行われているとき、内部告発によってその事実を明るみに出し、不正を正そうとすることは、一般論としては、その例外として保護されなければいけないだろう。ただし、その告発が正当なものであるかどうかは、当然ながらその内容を吟味しなければならない。 内部告発は、公において知られていなかった不正を明るみにだす。

    尖閣動画流出によって勢いづく排外主義者たちを許すな - 過ぎ去ろうとしない過去
    yamatedolphin
    yamatedolphin 2010/11/17
    そもそも公開しなかった政府が悪いと言う人にかぎって、なぜか、公開してホラぶつかってきてると叫んだところで「そもそも」ここは中国の領海だと言われる公開の無駄さの可能性については余り考えないようにみえる。
  • 「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■ナチスの「25カ条綱領」は日人必読では http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program ■右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right まああらゆるレベルで間違っていると言えてしまうのですが、キリが無いので少しだけ。 ■誰がナチスを支持したのか? ワイマール共和国において、ナチスは政権を取るまで一度も過半数の議席を獲得したことが無い、というのはよく知られているとおりです。1933年の選挙でナチスは288議席を獲得しましたが、それでも全体の4割程度を獲得したにすぎませんでした。退潮傾向にあったとはいえ社会民主党は120議席と3ケタを維持し、共産党も前回から票を減らしたとはいえ81議席を獲得しました。また、カトリック政党

    「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2010/10/16
    それでも例えば格差を問題にする人も大抵「同じ日本人なのにどうして」という共同体主義的な思いが先行している筈で、左派的な立場の人でも、この人は自分をまず「労働者」とみる人なのか「日本人」なのか警戒はする
  • 「野生の言語」と「獣は檻へ」 - hokusyu’s blog

    こういうのも当に野暮なんだけど書かずにはいられない。 少なくとも近代以降の世界史ってのは「人間」概念の拡大の歴史だといっても過言ではない。市民革命の時代にすら、「黒人」や「女性」は「人間」だとみなされていなかった。彼ら彼女らの地道な権利獲得運動の中で、今まで「人間」カテゴリから排除されていた人々が次々と「人間」になっていく。 だがちょっと待ってほしい。「人間」って一体何さ?と気付いた人々がいた。よくよく目をこらしてみれば、「人間」とは結局、「マジョリティ」の言い換えでしかなかった。つまり「黒人」が「人間」になるということは、「黒人」が「白人」になることでしかなかった。「女性」の場合は「男性」になることでしかなかった*1。 ■野生の言語 http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080504/1209929038 そんな「人間」なんかクソらえだ!と言い始めた人たち

    「野生の言語」と「獣は檻へ」 - hokusyu’s blog
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    yamatedolphin 2009/12/07
    議論の肝心な所で「気楽に」「人間」なんて言辞を持ち出す人こそ、想定外の事象に出会ったとき「人でなし」という反動を起こしそうでコワイ。
  • 暴力をいかにして包摂するか - 過ぎ去ろうとしない過去

    暴力の問題を純法律的問題としてのみ捉える考え方が馬鹿げているのは、むしろその考え方こそが、直接的暴力の質的問題を過小評価することにつながるからに他ならない。直接的暴力の形態は様々である。警察が振るう暴力だって、当然ながら直接的暴力と呼べる。では、なぜ今回のtoledさんに振るわれた暴力が問題となるのか?純法律的な答えは、このようなものにならざるをえない――法律でそう決まっているから。かくして、いっさいがっさいの「存在」の形象は問題の中心から切り離され、議論はひどく限定された「当為」の次元で行われる。これは――今や20世紀(初頭)の遺物となった――きわめて素朴な法実証主義といわなければならない。「存在」は「当為」から解放されるが、そのことによって「当為」に縛られる。まさに、あらゆる形象と結びついたさまざまな暴力の区別が、合法的かどうかの区別に還元されてしまうのである。たとえば陵辱ゲームはな

    暴力をいかにして包摂するか - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2009/10/09
    ※欄:理念対事実の争いではなく理念対理念かも。極めて形式的な理念と形式的には見えないくらい実質重視の理念との/ 対称な個人のコミュニケーションを論じても意味がないそもそも皆非対称だし(柄谷)、を思い出した
  • 「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスのジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人とユダヤ人二つの家族がナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ

    「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2009/03/25
    ※欄 無知に寄り添って知識人の独善を批判するようなもの・行為こそが全体主義(者)であって、知識人が独善を振りかざすのは全体主義じゃないだろう。ファシズムを「圧制的な何か」と誤解すると怖さがみえなくなる
  • ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■中3女子「卒業式出たい」 茶髪注意され、教諭にはさみ押し当てる http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090314/stm0903141620005-n1.htm 越谷署の調べでは、事件当日、同校は卒業式。午前9時45分ごろ、女子生徒が遅刻して体育館に現れたところ、男性教諭に「スカートの丈が短い。髪の毛が茶髪だ」と指摘され、保健室で注意を受けていた。越谷署の調べに対し、女子生徒は「卒業式に出席させてほしかった」と供述しているという。 学校における髪型規制だの服装規制だのといったものは、それ自体に何か意味があるわけではなく、たんに大人が子どもを服従させたいということ、あるいは権威にたいする服従精神を子どものうちから「調教」しておきたいということでしかない、という点については、今は2009年ですから最早常識といってよいでしょう。ヒトラーは

    ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2009/03/16
    共同体が意識されて出てくる「無理やりそうした規制を擁護する理屈」は具体個別的ならまだマシなのに、「みんな従ってるから」という究極の根拠があって、それは「ルール」が取り払われてしまった時とか反省が容易
  • 「決断」の暴力に抗する - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■思い出話 http://www.mojimoji.org/blog/0159 「バカ」を「シオニスト」に、「疑似科学」を「シオニズム」に置き換える。 mojimojiさんの目指そうとしている方向性については敬意を表したいと思っていますが、その議論は危うすぎると思います。「バカであるがゆえにわが子を傷つけてしまう母親の悲劇」*1を下敷きとして書かれた「十字軍はバカに勝てるか」を、現実に今、圧倒的な暴力によってパレスチナの人々を虐殺し続けている「シオニズム」にたいする論考として読むのは、少なくともそのままでは無理がありすぎると思います。たとえば、ガザ虐殺を「シオニズム(イデオロギー)であるがゆえに、パレスチナ人を虐殺してしまうイスラエル人の悲劇」という読み替えは可能でしょうか。議論としては可能であるにしても、こうした言明そのものは、現実にあるイスラエルとパレスチナにたいする圧倒的な非対称性を

    「決断」の暴力に抗する - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2009/03/10
    「観客席はない」という言い方や自己欺瞞をすべてクリアにしてからという姿勢も人によっては決断主義的に聞こえるかも。再考/ ベ平連もけっこうアバウトで手当たり次第だったからあそこまで行けたという気もするし。
  • 本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080915/p1 inumashさんの議論については様々な問題があります。質的なところでは http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080404/p1 につきるのですが、あれから全然反省しているようには見えませんね。まあいいでしょう。 何故「自称中立」か?については極めて簡単な解答がだせて、つまりたとえばこれが歴史修正主義の問題だったらどうか考えればいいのです。 南京大虐殺があったというのは自明です。しかし、それに対する否定論に我々はどう対処すればいいのでしょうか。ホロコースト否定論についてはもうはっきりしていて、無視すればいい。なぜなら否定論と議論すること自体が否定論が論として成立していることを認めることになるからです。 http://d.hatena.ne.jp/rna/20080104/p1

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    yamatedolphin 2008/09/16
    この騒動で思うのは、ほとんど同じことなのに、「黒人は元来怠け者」という言い方はもはや拒否反応以外出てこなくなったのに、「ホームレスはもともと怠け者」だとかそういう意見がある程度受容されてしまう不思議さ
  • 目的外利用なるもの/連帯の可能性 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/Romance/20080830#p1 ごく簡単に。 図書館の目的外利用であるからホームレスは排除されて当然だという意見があるが、まったく賛同できない。 ある施設の利用目的があらかじめさだめられていたからといって、事実として我々がその施設を他の目的に利用できなくなるわけでは無い。そして、もしその「他の目的」が生存に関する目的であれば、それは来の目的以上に優先して認められるべきだ。ホームレスがたとえば図書館の椅子で寝ていたとしても、彼らはそもそも安全に眠れる場所から排除されているのだから、図書館の椅子で眠ることは生存のために必要な行為である。 それでもなお図書館の目的外利用を問題にするのならば、それはつまりホームレスの問題自体を焦点化することに他ならない。実際、上の記事のブクマコメントでも、ホームレス問題が質的問題なのではという指摘が多くある。

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    yamatedolphin 2008/09/03
    確かに>災害時の学校体育館など。/ それにしても図書館を何より大事に大事に守ろうとする人が多いよなあ。本を読むためという目的は分かったけど、何のために本を読むのっていう目的がそういう人からは見えてこない
  • そろそろなんとかならねえかな - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20080820/1219160439 初音ミクといい、ニコニコ大会議といい、Googleストリートビューといい… なんでこう、決まって「パラダイムシフト!!!感性を阻害しない!!!」みたいなこと言い出す人が出てくるんだろう。一瞬テンプレかと思ったわ。 リアルワールドそのものの検索エンジン化、言い換えればセカンドライフのようなしょぼいことではなく、リアルワールドそのものをセカンドライフ化することだろう。 リアルワールドそのものをセカンドライフ化することだろう。 リアルワールドそのものをセカンドライフ化することだろう。 リアルワールドそのものをセカンドライフ化することだろう。 やめてくれ。むしろお前の人格全部ハードディスクに移植して、ネットワークの中で永遠に生きてください。 なんだろう。新しい技術に理解がある俺ウハ合理的ってのは

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    yamatedolphin 2008/08/22
    可能性だけ言ってるなら馬鹿にしてれば済むけど、せっかく開発したからって無理にでも一度は使おうとする所あるからな。そういう欲望は喚起するかも
  • 「聖なる」街と「引き裂かれた」街 - 過ぎ去ろうとしない過去

    オタク」は加藤智大を切断処理なんてしてないと思うよ。 http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080613/p1 『普通のオタクは良識のある市民であって通り魔などしない』というのが「単なる事実」であると言い切ってしまえるところに問題があると思います。「普通の」オタクがいるということは、「普通じゃない」オタクがいるということです。でも、加藤容疑者のそれまでの書き込みなどを読む限り、よくあるオタクの書き込みであって「普通じゃない」点は特に感じませんでした。境遇にしてもたとえば学歴あって期間工というのは、いまどき珍しくないわけです。ではどこで「普通」と「普通じゃない」点が分かれるかというと、それはやったかやってないかでしか区別できません。でも、やったかどうかに「普通」と「普通じゃない」の分水嶺を置いておいて、やったのは彼が「普通じゃなかった」からだと言うなら、それはトー

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    yamatedolphin 2008/06/16
    確かに切り離しは醜いぶん目立つが、今回の事件で言えば、「私の中の加藤」というように切り離そうとしない人もけっこう目立つ。だからこの問題に拘るのはどうかな、と。
  • あのころは加藤智大がいた - 過ぎ去ろうとしない過去

    オタクを叩くマスコミ叩きに余念が無いはてなオタククラスタのみなさん、いかがお過ごしですか。まあ卒業文集引っ掻き回してまで「オタクの」「心の闇」を探し出そうとしたり、両親連れてきて人身御供にしたりするマスコミに怒るっていうのは、正当であると思います。 しかしですね。そのやり口はどうなんでしょう。普通のオタクは良識のある市民であって通り魔などしないだとか、両親は悪くない大人なんだから全責任は容疑者に、とか言ってませんか? ぶっちゃけ、容疑者を切断処理してませんか? いや、今いろいろなところでやたらなされようとしている秋葉原の「神聖化」にそうしたものを感じざるにはいられないのです。 通り魔は「神聖な」秋葉原に「穢れ」をもたらしました。ゆえに、清めなければいけないというものです。 僕は、(通り魔事件のせいで)秋葉原に怖くて行けない感性というのがあまり理解できないのですけど、その真逆、つまり「我々は

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    yamatedolphin 2008/06/12
    切断から事件が起こったのかもしれないのにまた切断しようとする人たちへのことば、モニュメント/ 優れた「エッセイ」は、実践とおなじくらいよいものだと思うけど
  • 敵対関係について - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/oredoco/20080512/1210591521 敵というのは、利害関係が一致しないもの同士のことをさすと仮定しよう。厳密に言葉の定義をしたほうが良いのだが省略する。で、貧乏人の敵は貧乏人、貧乏人の敵は金持ち、金持ちの敵は貧乏人、金持ちの敵は金持ちと4種類できるが、どれも真理であって間違いがない むしろ言葉の定義をするべきです。というのは、まさにこれはカール・シュミットが『政治的なものの概念』で述べた「(自由主義は)精神と経済とのジレンマにおいて、敵を、取引の面からは競争相手に、精神の面からは論争相手に、解消しようとする」事例に他ならないからです。ダンコーガイが小市民の敵は小市民であるというとき、それは資主義的な社会関係の中でお互いが「足を引っ張り合う」ことを指して言っているのであり、資主義弱者であるウィンプから資主義強者であるマッチ

    敵対関係について - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2008/05/13
    敵対関係をどこに見出すか。たとえば誰かの戦争待望論とか、せっかく合意が不可能な地点から出発してるのに、敵対関係を外部に求めると、内部の敵対関係を隠してしまう結果になる。でこんどは愛国心とか言い出す。
  • 「殺すな!」と「殺せ!」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    光市母子殺害事件とチベット問題に関するはてな村*1の反応は、サヨク批判はまあ一緒だが、他に関しては一見異なるように見える。だが、実はコインの裏表の関係にすぎないと思う。 ネットを巡回したところ、チベット問題に対して共通して掲げるべき唯一のスローガンは「殺すな!」であるらしい。確かに、複雑な歴史政治の問題が絡み合ったチベット暴動に対して、「殺すな!」だけがあらゆる正義を体現しているかに見えた。それ以上は「蛇足」として扱われた。「殺すな!」に同意してさえ、それ以上の問題について深く言及することは非難の対象になる。自明の正義たる「殺すな!」の貫徹が、最優先事項であったのだ。 しかし、果たして「殺すな!」は自明では無かった。いまやはてな村では「殺せ!」のスローガンで溢れ返っている。ここにおいても持ち出されているのは「社会正義」つまり「正義」の概念であった。「社会正義」のためには、人間を二人も殺し

    「殺すな!」と「殺せ!」 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2008/04/24
    一見ダブスタがじつは「正義」の名において一貫している/ 「正義」の自明性を正義を用いて疑うのと「いかなる理由であれ」というラジカリズムは同居できるのか自問したい。/小田実にも根底には文学がある。
  • ナショナリズムとアウシュビッツ、あるいは国民統合の歴史 - 過ぎ去ろうとしない過去

    *方針:周辺の議論から入るけれども、できれば筋の話もしたいな。 http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080421/1208736765 http://www.hirokiazuma.com/archives/000395.html http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080421/1208747769 http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080421/1208763412 アウシュビッツがナショナリズムと関係あるかどうかは、単純に歴史的事実だけ追っていくと直接の関係は無いように見える。ただし、勿論ナチスがユダヤ人虐殺に至った思想的背景においては、ナショナリズムが関係無いわけがないのであって、というご

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    yamatedolphin 2008/04/23
    人種や民族は近代になってから強調された、ナショナリズムと密接に関係したもの/ 国家を超えるという言説に支えられた帝国主義もまた国家主義
  • 「平穏な生活」という欺瞞 - 過ぎ去ろうとしない過去

    特に新たな論点、というのも無いのだけれど、 http://d.hatena.ne.jp/eiji8pou/20080415/1208276616 念の為にもう一度はっきりさせますが、「立川テントが、平和に暮らしていた自衛隊官舎に不法侵入した」ことは、いい加減認めてはいかがでしょうか。招かれざる客であったことは確かなのでしょう? そして児童ポルノ関連については、「児童ポルノ規制派が、平和に暮らしていた二次元オタクに難癖をつけた」のです。 個人的に、このような認識に対して規制反対派がどのように感じるか気になったので。高橋直樹さんなどはもちろんこのような恥ずべき立場を取らないと思うけど、2ちゃんなんかにいる規制反対派の中にはこういう人もいそうだと思った*1。 自分達は「無垢な一般市民」であり、何らかの政治的勢力の争いに巻き込まれる被害者であるという幻想。 これはつまり、 当に居住権や平穏権を問

    「平穏な生活」という欺瞞 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2008/04/17
    日韓ワールドカップのときは夜中まで周りがウルサくて、はやく平穏な生活が戻らないかと思った。「日本戦?見てない寝てた」とか言ったらすごく嫌な眼で見られた。たぶんアジビラとか配ると、そんな眼で見られる。
  • 「表現の自由」が欺瞞だとは言わないけれど - hokusyu’s blog

    このあたりに対するお返事かもしれないもの。 http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080318#p1 http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080317#p1 参考文献 http://d.hatena.ne.jp/toled/20071211/1197417341 ここから題 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1104493.html 「表現の自由」を掲げる論者たちが、このようなものに対してどう考えるかです。ぼくはべつにいいと思います。ホコ天ちょっと占拠するくらいで、誰にも迷惑かけてないし。ところが、これに対して「やりすぎ」と言う人がいます。また、「こういう人がいるから規制しろという議論が出るんだ」と非難する人*1もい

    「表現の自由」が欺瞞だとは言わないけれど - hokusyu’s blog
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    yamatedolphin 2008/03/19
    「表現の自由」は人と人との約束事。児童性愛製作者は倫理的に人でない?ので「表現の自由」の範囲外となる。従って表現の自由を前面に出して戦えないし、表現の自由を重んじる人にも規制は受け入れられ易い?
  • 消極的自由は児童ポルノを擁護しうるか - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/demian/20080314 例えばなんとなく自分に近い感じの男性がレイプされる映像表現や文章表現を見た場合、わたしは恐らく生理的な嫌悪感を覚えます。また、わたしが自分の意思に沿わない相手から性的な接触を強く迫られた場合に非常に嫌な気持ちになることが想像されます。そうでなくとも性的な視線でジロジロ見られるのも嫌なものでしょう(そして多くの女性が社会の中で「性的な視線でジロジロ見られる」ことで非常にキツイことになっている、という指摘がありましたね)。 児童ポルノ法改正論者にとって、このあたりが感覚的な橋頭堡のような気がしますね。わたしがどこかで性の対象になっているかもしれない恐怖。彼らがあのマンガに向けている性的な欲望は、実はわたしに向けられるはずだったのかもしれない恐怖。大人だったら、まあある部分で折り合いをつけなきゃいけないところがあるとして

    消極的自由は児童ポルノを擁護しうるか - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yamatedolphin 2008/03/17
    レディコミとかでは、痴漢とかレイプまがいの行為が表現として現実とは峻別されて受容されてたんだけどな(今は知らないが)。これが男性による男性向けの媒体だと内心まで問題とされかねないのがよく分からない。
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