『ゲゲゲの鬼太郎』の新作ホラーゲーム『ノロイカゴ ゲゲゲの夜』体験版がSteamにて期間限定で配信開始。最大4人の協力脱出ゲームで、妖怪が徘徊する空間からの脱出を目指す。体験版配信は11月3日まで
2016年12月、森岡毅氏のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)退職のニュースは新聞各紙で報じられた。 ・USJ森岡執行役員退任へ ハリポタ手がけ回復の立役者:朝日新聞デジタル 彼の在籍した6年半で、USJは入場者数が倍増。ある月には、3倍の商圏人口を陣取る東京ディズニーランドを上回る集客があったという。 この期間、USJはいくつもの革新的な企画を打ち出してきた。実際にホグワーツ城を中心としたエリア『ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター』(2014年)や、「生存率0.003%」という異例の難しさのアトラクション『バイオハザード・ザ・リアル3』(2015年)、最近では「SUPER NINTENDO WORLD」の新設の発表など、森岡氏のもとでUSJは数々のコンテンツを大胆に調理してテーマパークに落とし込んでいったのである。 今回のインタビューは、そんな森岡氏の退職直前に話
ゲームの歴史の中で「ストーリー」をどう扱うかは、いつも問題になってきた。 プログラムで記述されたキャラに生命を与えてくれる一方、小説や映画のように作り込むと「一本道」として批難される。プレイヤーの入力に反応を返すデジタルゲームの表現で、実は大変な難しさがあるのだ。 この問題を実作で考えてきたクリエイターが、今回対談するイシイジロウ氏と芝村裕吏氏だ。 イシイ氏は、チュンソフトで企画をはじめ、ディレクターやプロデューサーとして活躍。プロデューサーを務めた『428 〜封鎖された渋谷で〜』などの、選択肢によってどんどんシナリオが分岐していくサウンドノベルの名作に携わってきた。現在はフリーランスとして『文豪とアルケミスト』などのヒット作を手がけている。一方で芝村氏は「エンジニア」の視点から、『高機動幻想ガンパレード・マーチ』で当時としては画期的なAIを使い、自由度の高い物語をプレイヤーに提供。現在は
ここ最近熱狂的な盛り上がりを見せ、ネット上の話題を独占しているアニメ『けものフレンズ』。 「すごーい!」「たのしー!」といったフレーズが大流行し、その独特のユルさから「見るとIQが溶ける」というような評価? を集めている。 ニコニコ動画での第1話の再生回数は150万回を超え、まだまだ勢いが衰える様子はない。 『けものフレンズ』はアニメやマンガを含めたメディアミックスプロジェクトで、その先駆けとなったのが2年前の3月に始まったスマホゲーム版だ。 しかし思うようにユーザー数が伸びなかったのか、昨年12月にアニメの開始を待たずひっそりとサービスを終了。アニメから入った多くの視聴者にとっては、ゲームをやりたくてもできない状態となってしまった。 一体なぜ『けものフレンズ』はこれほどまでに流行っているのだろうか? そしていつの間にか終了していた幻のスマホゲーム版はどんなアプリだったのだろうか? 電ファ
新しい年がスタートしてしばらく経ちましたが、皆さんいかがお過ごしですか? 増え続けるゲームを賢く収納してよりよいゲームライフを送るため、ある種の極まった人のお宅の様子や整頓術を披露していただく短期連載、その第2回をお届けします。 今回ご紹介するのは、その昔にあったオンラインゲーム誌に、“『ファイナルファンタジーXI』を10アカウント同時プレイで楽しむ強者コレクター”として登場したKaguraさんです。え? 10アカウント同時!? Kaguraさんは、全国展開するビデオやゲームのレンタル・販売ショップの店長を務める39歳。幼少時代に『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』にハマり、以降の関連タイトルは漏らさずチェックしている筋金入りの『DQ』&『FF』ファン。ゲームに加え、アニメやマンガ、フィギュアなどのコレクションが趣味で、日々とにかく増え続ける荷物をいかに捨てずに保管するかを考え
ワシントンD.C.の中心部に広大な敷地を持つ、スミソニアン博物館。そこには、世界で最初に動力飛行を実現したライト兄弟の飛行機、アポロ16号が持ち帰った月の石、あるいは持ち主が不幸になることで知られる「呪いのダイヤモンド」 まで、実に様々な人類の「宝」たちが収蔵されている。 そこに1998年、日本人が開発した“とあるゲーム”が収蔵された。その名は――「バーチャファイター」。そして、この開発者こそが『アウトラン』や『スペースハリアー』などの「体感ゲーム」でセガを世界的企業に押し上げ、現在も欧米の開発者から高い評価を受ける、鈴木裕氏である。 この連載では、日本のゲーム業界黎明期のクリエイターを取材してきた。だが、鈴木裕氏はその巨大な業績に比して、今ではあまり語られなくなった人物だ。日本ではその名前は、ドリームキャストの「シェンムー」シリーズの続報が聞こえなくなった頃を境に、ゲームファンの間から消
1970年代の殺人事件を調査する推理アドベンチャー『The Rise of the Golden Idol』が11月13日に発売決定。『The Case of the Golden Idol』の続編で日本語に対応 「狂気を感じる」「発想がハイレベルすぎる」――。あるカードゲームがネット上で話題となっている。 Webページ上で色を指定するための6桁の「カラーコード」を読み札にしてかるたを行うカードゲーム、その名も『COLOR CODE』。「#FF0000」「#808000」といったコードを読み上げ、対応する色をいかに素早く取れるかを競う。 カラーコードを読み上げて色を取る『COLOR CODE』。(遊戯部すずき組ホームページより) 思わず「なぜそれをかるたにしようと思ったの!?」と反応してしまう、遊び心に溢れたゲームだ。12月11日に開かれたアナログゲーム国内最大の祭典「ゲームマーケット2
PlayStation 4 (以下、PS4)の販売台数が全世界で 4000 万台を突破したという。 スマホゲームが強い日本では、あまり実感がないかもしれないが、海外では現在も家庭用ゲーム機(据え置きゲーム機)の需要は高いのだ。『アンチャーテッド』や『The Last of Us』などのAAAタイトルの名作に支えられて、今やPS4は家庭用ゲーム機としては歴代最速のペースで、世界中でその数字を伸ばし続けている。 PS4の販売台数は全世界で4000万台を突破した。(プレイステーションオフィシャルサイトより)――そんなPSの伝説の始まりとなった、初代PSが我々の目の前に登場したのは、今を遡ること遙か昔、22年前の1994年。 当時は、スーパーファミコンに続く、次世代家庭用ゲーム機のプラットフォーム戦争が激化するまっただ中。同年に発売されたセガの「セガサターン」、96年の任天堂の「NINTENDO6
2001年にPS2/Dreamcast向けに発売された『Rez』を始めとするRezシリーズ。電脳空間上で敵を撃破するシューティングゲームとテクノミュージックがリズミカルに刻まれる音楽ゲームの要素を併せ持つ。その独特で浮遊感のある世界観はカルト的な人気を集めてきた。 そんなRezシリーズから満を持してリリースされたのが、PS VR向けタイトル『Rez Infinite』。「気持ち良さを追求したゲームデザイン」を掲げ、完全新作ステージ「Area X」の存在も注目を集めている。 初代からプレイしてきた生粋のRezファンであるドワンゴVR部メンバーたち。VRで展開される最新の電脳空間は、彼らの目にどう映るのだろうか……?
配信スタイルの永井先生 ゲーム実況、ニコ生主、YouTuberなどの先駆けとなったネット配信者が「永井先生」だ。その名前は知らなくても「なんぞこれ」という言葉をネット中に広めた人、といえばピンとくる人もいるのではないだろうか。 活動の歴史は古く、まだ動画配信などの文化がなかった「2ちゃんねる時代」に遡る。ネットに広く名が知られるようになったのは、動画配信システム「PeerCast」の人気配信者となり、ニコニコ動画黎明期に配信の録画が転載された頃。元2ちゃんねる管理人のひろゆき氏が「ニコニコ動画の面白い動画」として言及したり、しょこたんのブログや漫画『GANTZ』に「なんぞこれ」といったセリフが登場するなど、当時のネット配信者としては極めて大きな影響力を持つ人物として話題になった。 放送スタイルは、パチスロと雑談。そして絶望的に下手くそなゲーム配信。本名やプライベート、性癖まで何もかもをさら
この年表は鳥嶋和彦さんの取材を行うにあたって、編集部が作成した取材用メモです。 それゆえ、色々と視点の偏りや「お前の趣味だろ」という要素もあるかもしれませんが 日本のサブカルチャー史の流れをつかむ上で多少の役には立つかと思って、公開してみることにしました。 なお、明白な記載の誤りなどがあれば修正していきたいと思いますので、お手数ですが電ファミニコゲーマー公式Twitterまでご連絡いただけますと幸いです。 よろしくお願いいたします。 電ファミニコゲーマーTwitter 「冒険活劇文庫」が「少年画報」に改称(50) 鳥嶋和彦、新潟県に生まれる(52) トキワ荘に手塚治虫入居。ここから藤子不二雄や赤塚不二夫、つのだじろうなど数々の作家が巣立つ(53) 月刊漫画雑誌のブーム(54) 『赤胴鈴之助』(54) 『ロボット三等兵』(58) 「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」創刊。月刊漫画雑誌から
鳥山明の名作漫画『Dr.スランプ』に、則巻千兵衛博士のライバルとしてアラレたちに立ちはだかるDr.マシリトなるキャラがいたのを皆さんは、覚えているだろうか。 このキャラのモデルになった人物こそが、今回インタビューする白泉社代表取締役社長・鳥嶋和彦氏にほかならない。 彼の編集者人生は数々の伝説に彩られている。新人賞にかすりもしなかった新人漫画家・鳥山明を一から育て上げ、何百枚にも及ぶボツ原稿を出したあげくに、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの名作をタッグで世に送り出したこと。鳥山明のみならず多くの漫画家にネタにされてきた、その“悪魔のような”強烈なキャラクター。そして90年代後半、週刊少年マガジンにジャンプが追い越された「暗黒期」に編集長として呼び戻され辣腕をふるい、『ONE PIECE』や『NARUTO』、『テニスの王子様』などの作品を次々に世に送り出し、再びジャンプを王者の座に
日本のコーエーテクモゲームス(当時 光栄)が初の歴史シミュレーションゲーム『川中島の合戦』を発売したのはいつか? ――正解は、1981年である。 そのときには、まだパソコンでゲームをする文化自体が相当にマイナーな楽しみに過ぎなかった。有名なパソコン版の『シヴィライゼーション』が発売されたのでさえ、ずっと後のことである。しかし、そのゲームは、紡績業を営んでいた光栄という会社が大きく業態を変えていく転換点になるほどの話題を日本で獲得した。 その2年後、彼らは『信長の野望』という大人気歴史シミュレーションゲームを生み出した。コーエーテクモホールディングス社長・襟川陽一氏ことシブサワ・コウは、それをRPGや司馬遼太郎の小説をヒントに作り上げたという。我々の遊んできたこうした『信長の野望』などの歴史シミュレーションゲームは、実はコンピュータゲーム史にほとんど忽然と登場したゲームに近い。 『ファミコン
過去の名作ゲームの企画書を見せてもらい開発秘話を聞くシリーズ「ゲームの企画書」。連載3回目となる今回は、「不思議のダンジョン」シリーズを手がけてきた、スパイク・チュンソフトの中村光一会長とディレクターである長畑成一郎氏に話を聞いた。 「1000回遊べるRPG」という衝撃的なキャッチフレーズで登場した『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』から、20年の時が経った。 (C)Spike Chunsoft Co., Ltd.ALL Rights Reserved. パソコンゲームの名作『ローグ』のシステムを換骨奪胎し、親しみやすいキャラクターで『ドラクエ』ファンにアピールすることに成功した本シリーズは、現在も多くのファンを魅了し続けている。 そんな本シリーズのインタビューだが、スパイク・チュンソフトの中村光一会長にインタビューをお願いすると、「ぜひ本シリーズ開発者の長畑氏を同席させてほしい」との
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